第45話 歪の修復
明朝。まだ日の出もしていない薄暗い空の下、羽黒市郊外にある山中を目指していくつもの警察車両が走っていた。
その車の一つの後部座席に、ヘムカと樹は座っていた。
しかし、何も喋ることはない。
昨日は気の済むまで会話をし、ヘムカたちは徹夜覚悟で話をし続けた。だが、期限が近づけば近づくほど話したい内容は増えて終わらないものである。
にも関わらず、いざ警察車両に乗り込むなり途端に話すことがなくなってしまった。
そんな謎の出来事を同乗している警察官は不思議に思っていたが、当の本人たちはそんなこと考える余裕もなかった。
「そろそろ到着です。降りる準備をしてください」
運転している警察官が、そう告げると車が速度がゆっくりと下がり道路上に停車する。
「ここからは歩きです」
ヘムカたちは車を降りると、目的地へと向かうべく森の中を歩いていく。
森の中は以前来たときよりもだいぶ歩きやすくなっていた。というのも、この場所からライベの部下が来ることを知った警察はこの歪周辺を囲い、万が一来てしまった部下を瞬時に取り押さえられるようにしていたのだ。
歩いて数分もすると見覚えのある松の木々が目に入った。ヘムカがこちらの世界に来てしまった時に初めて見た松の木々だ。相変わらず熊の爪痕も残っていた。
「ここで暫く待機していてくれ」
ヘムカたちの先導をしていた警察官は、何かの準備のために去っていく。とはいえ、別の警察官はこの場に残り二人の監視を続けていた。
「なあ、ヘムカ」
今までずっと黙っていた樹が口を開いた。ヘムカも、樹の方を見る。
「僕がいなくてもさ、元気でね」
当たり障りのない別れとしては一般的な言葉だ。
「うん」
ヘムカも、ただ頷くだけ。
これでいいのだと思った。
樹がいなくなった後、自分がどうなってしまうのはヘムカにはわからない。児童養護施設で過ごすのか、或いは誰かに養子として迎えてもらうのか。
しかし、そんな未来のことなどどうでもよかった。ヘムカは樹のことが好きだ。もっと一緒にいたい。なのに、引き離されるのだと思うと胸が張り裂けそうで、言葉が何も出てこない。
仮に言えたとしても、樹の方は困るだろう。八歳児から告白されてもどうしていいかわからないだろうし、今でこそ女性とはいえ元男なので断られるかもしれない。その上、少なくとも十年は会えない。会えてもガラスを挟んでである。
万が一承諾してくれたとしても、十数年後にはどうなっているかわからない。
だから、告白しないのが正解なのだ。
「そろそろか……」
ヘムカたちがこの場所について三十分程度。二人を監視している警察官が腕時計を確認した。
道路の方を見ると、捕まったライベを筆頭に次々とライベの部下たちが連れてこられていた。
だが、ライベの部下たちは皆手錠をつけていない。そんな中、ライベが向こうの世界の言葉で「帰れ」という。従うしかない部下たちは名残惜しそうに歪みの中に入り、消えていった。
そして、ライベには手錠がつけられていたがかなり特殊な手錠だった。
薄いパーツを留めて作られており、手に嵌っている部分と留め具の距離がある程度離れている手錠だ。
ポータルが閉じると留めた部分がこちらの世界側に残るため、向こうの世界では分断されるため外れるという仕組みである。
ライベもまた、名残惜しそうな表情ではあったがどこか満足げな顔をしており手錠をしてでもなお大切そうに本を持っていた。
医学書である。どこかの誰かが差し入れしたのだ。
「じゃ、彼に向こうの世界に戻って修復魔法をかけてと伝えて」
近くにいた警察官から、ヘムカに対して要請される。ヘムカは、恐る恐るライベに近づいて訳した言葉を伝える。
「わかりました。そして、ヘムカ。お元気でね。仮にも私の所有物になったのですから、そう安々と朽ち果ててくれては困りますよ」
言われなくても、ヘムカは朽ち果てるつもりなどない。少なくとも、出所した樹と会うまでは。
「言われなくても」
そう生意気な態度で返すと、ヘムカもまた修復魔法の準備を始める。警察官たちは離れた距離から見守り、樹だけは近くで見守る。
以前使用して魔力は枯渇してしまったが、歪の近くに入れば最低限の魔力は回復する。
早めにこの場所に到着したのはそういう理由もあるのだ。
ライベが向こうの世界へと帰ると、歪を通じて二人は面と向かう。
「では、始めますよ」
ライベの合図に合わせて、二人は修復魔法を行使した。徐々に歪が消えていくが、世界規模というだけあってそう簡単には治らない。
そしてヘムカは、せっかく回復した魔力を全て使い切り修復魔法を使った。
「はぁ……はぁ」
ヘムカが息を切らしながら歪のあった場所を見ると、そこには何もなかった。
「これで、終わった……はぁ……」
疲れ切ったヘムカは、おとなしく多くの警察官がいる場所へ戻っていった。
近くでヘムカを心配そうに見ていた樹も同様で、おとなしく手錠にかけてもらうべく戻って行く。
そんなときだった。一人の警察官が大慌てでこちらに叫んでいた。
「熊だ! 逃げろ!」
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