第44話 最後の日
「つまり、あなた達は羽黒市内の森林内にある歪から出てきたと」
女性警察官が、手元にある書類を見ながら今までの取り調べで出てきた事実をライベに向かって確認した。
「ええ、そうです。ところで、この話をしたのは今回で五回目なのですが」
声調は常に一定で感情がよくわからないライベだったが、少なくとも皮肉を言っていることだけはわかった。
「あのときは魔法という概念が信じられなくて、一言一句妄言かと思って聞き流していました」
女性警察官は申し訳無さそうに視線を逸らす。
「奴隷を認めないにもかかわらず、人の発言を妄言扱い。人権意識が高いのか低いのかよくわかりませんね」
「それに関しては謝罪するわ」
女性警察官は軽く頭を下げた。
「謝罪したいというなら、この世界の物をいくつか貰えますか? 奴隷を失うことが確定しているのでその損失の補填も兼ねて」
ライベの隣にいるということはヘムカからしてみれば耐えられないことであったが、この言葉を聞き少し心が軽くなった。
ライベは、ヘムカという奴隷を放棄することを半ば容認しているのだから。
「それは無理ね。でもまあ拘置所に持ち込めるものだったら誰かが差し入れてくれるんじゃないかしら?」
頭の位置を元に戻した女性警察官が語る。
「確か衣料品や書物でしたね。でしたら人体の解剖図鑑はありますか?」
奴隷を失うとはいえ、あの実験はやめないようだ。どこかしらの誰かが被害に合うと知り、体を震わせながらヘムカは訳す。
「まあ、あるんじゃないかしら。というかあんた読めないでしょう」
「聞いた話によれば、この国の先の学者たちは言葉を読めないのに異邦の人体の解剖書を訳したらしいではないですか。だったら我々もできるでしょう」
同じ人間なのだからと、ライベはその難しさを認識するわけでもなく軽く言ってのける。
しかしながら、世界の重なりを研究していたりと頭はいいため少なからず訳せる可能性があるということに、ヘムカは苛立ちを隠せなかった。
「一応言っておくけど、前野良沢は少なからずオランダ語を理解できたそうよ?」
「つまり、もし私が完全に訳しきれたのであれば、それはここの国の偉人をも凌駕する天才であると。まあ、褒め言葉として受けっておきましょうか」
その後の取り調べも、ヘムカが樹に会えると本気を出して挑むとすぐに原因と対処法がわかってしまってしまった。そのためあまり進展はなく、ただの雑談になってしまった。
「あれ、もうこんな時間か。もうあいつのところに行っていいぞ」
女性警察官が机の上に置かれたデジタル時計に表示されている時刻に気がつくと、ヘムカに向かって仕事終了を告げる。
すると、ヘムカは一目散に取り調べ室を抜け出していった。
フードを被ると、真っ先に向かったのは安積警察署の近くにあるホテルだ。
保釈されたとはいえ、ヘムカは安積警察署に通う必要がある。羽黒市からは遠いということを考慮し、樹は近くのホテルを借りることにしたのだ。
ホテルに到着するなり、丁度エントランスホールに樹の姿があった。
ヘムカはその姿を見つけるなりすぐに樹のもとに飛び込んでいった。
「うわっ!? 何? ああ、ヘムカか」
樹はヘムカのことに気がついていなかったようで、飛び込まれた時本当に動揺していた。
「びっくりした?」
ヘムカは、樹にくっつきながら仰ぎ見た。
樹のことを好きだと自覚し、もっと知りたいと思うのに時間はかからなかった。しょうもないことでも、ヘムカは聞きいのだ。
「ああ、びっくりしたよ」
樹がヘムカの頭を撫でてやると、ヘムカは気持ちよさそうに目をつむる。
しかし、樹にヘムカへ恋愛感情はない。保釈期限が近いから、甘えたいのだろうとしか思っていないのだ。
「それでね──」
「今日でさ──」
ヘムカがそのまま喋りかけようとすると、樹の言葉が遮った。
「今日でさ、最後だね」
ヘムカの顔が曇る。
保釈は、今日が最終日。正確には、世界の歪みを修復するまでである。
明日の明朝には羽黒市内へ向かい修復魔法を執り行う予定なのだ。そうなれば、二人は当分会えない。
「やめようよ、こんな話。最後まで楽しく居たいな」
ヘムカとしても、最終日をこんな暗い気持ちで過ごしたくはない。
「ああ、そうだな。何する?」
樹はヘムカの気持ちを慮り、憂いの一切ない表情でヘムカに聞いた。
「部屋でいろいろ話そう?」
「そんなんでいいのか?」
「人とはあまり関わりたくないもん」
「そうだな。だとしても夕食どうする?」
二人が一緒にいる時間の中で最後の晩餐だ。これといって好き嫌いのない樹はヘムカに話を振った。
「今日もあまり人目につかないところにしないとね。高級寿司屋貸し切っちゃう?」
ヘムカは最後の晩餐なのだからと、有り金全て使い果たす気持ちで提案する。
「魚はNG」
即刻否定した樹は、ヘムカと一緒にホテルの部屋の中へと入っていった。
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