第15話 この線に、気づいてほしい

 樹は西日が眩しさに目を細めつつも、外へ出るなり敷地内に停めてある自動車の横を過ぎ自転車置き場へと向かう。そこに停めてあるのはクロスバイク。決して安くはないものだが所々錆びついている。

 自転車に跨ると、漕ぎ始めブロック塀に囲まれた敷地内から出た。目的地は特に決めてはいない。というか、わからないのだ。


「おや、佐藤さん。おでかけですかよ?」


 幸い漕ぎ始めたばかりであまり速度も出ていなかったため、樹は通り過ぎることもなく自転車を止め声の方へと顔を向けた。

 方言全開で話しかけてきたのは樹の家の隣に住む渡辺だった。樹も詳しいことは知らないが御年六十八であり、妻には先立たれたのだという。

 渡辺は自身の家の前にある花壇に水やりをしていた。


「ええ、まあ。服を買おうと思いまして。……そういえばこの辺に安い服屋ってあります?」


 ヘムカを無駄に刺激しないように早く帰るつもりの樹は、目的に合致するような衣料品店を渡辺に聞いた。渡辺は生来この地に住んでいるため、頼りになると考えたのだ。


「ええ、ありますよ。若者が好きそうな店だと……西羽黒駅らへんとか。いっぱいあるから」


 樹は北を指差した。

 西羽黒駅というのは、樹たちが住んでいる羽黒市内にある鉄道駅だ。


「ありがとうございます。ところで、渡辺さんは水やりですか?」


「ええ、終わったらキックボクシングジムでも向かおうかと」


 渡辺はキックボクシングらしき動きを見せるが、知識のない樹はよくわからない。


「キックボクシング?」


「ええ、若い頃は大会で優勝したこともあるんですよ。でね、その時の相手が──」


 話しかけたのは樹だが、このまま話を聞いていたら永久に終わらなさそうと思えた。


「そ、それでは失礼します」


 樹は渡辺に会釈をし感謝を述べる。


「え? ああ、いいって、また聞いてくれよ?」


 渡辺は朗らかに笑い感謝を軽くだけ受け取る。


「はい」


 渡辺と別れると、樹は北西へと向かう。

 樹は十分程かけて西羽黒駅周辺まで向かい、辺りを調べる。大手ファストファッションチェーンや総合スーパーなど、買えそうな場所は多い。

 悩んだ末に入ったのは総合スーパーだ。最悪、ヘムカに指図された通りにまた買い物すればよい。

 入って子ども服売り場に行くなり真っ先に悩んだのは下着だ。身長が百十ほどしかないヘムカのシャツとズボンは簡単に決まる。しかし、下着は違う。何しろ、貫頭衣の下には何も着ていなかったからだ。

 下着なしでも別に構わなさそうなのだが、万が一外出するときを考えると買っておいた方がよい。

 適当な物を買い物かごに入れ、忘れずにパーカーも入れる。これで狐耳を強引に押し込めば見えなくなるし、着方によっては首枷も見えなくなる。しっぽはパーカー内に入れれば、確実に違和感を持たれるだろうがどうにかならないこともない。


「多分……大丈夫だ」


 樹は会計を終えると、おとなしく自転車に乗り帰路につく。樹が家を出てすでに三十分程度。ヘムカを待たせないようにと急いで帰ってきたのだ。


「ただい……ま?」


 言うべきなのか迷ったが、仮にもしばらくの間同棲することになる。帰宅の挨拶をして玄関を上がりリビングへと向かう。ヘムカは入浴を終えたようであり、バスタオルに体を包みながらテレビを眺めていた。

 テレビは丁度夕方のニュース番組をやっており、アナウンサーがニュースを読み上げていた。するとテレビスタジオから、規制線が張られ大量の警察官で溢れかえっている場面が表示される。


「本日、羽黒市において男性の死体が発見されました。羽黒市で遺体が発見されるのは今週二度目であり、市民の中には不安の声も聞こえます」


 ヘムカはニュース番組に目が釘付けになっていたが、帰ってきた樹に気がつくと一瞥し視線を再びニュース番組へと戻す。


「……おかえり」


 テレビに向かって言っており樹への信頼の無さが改めて浮き彫りになる。ヘムカは今日目が覚めたばっかりなのだから、仕方ないこともある。けれども、樹は同棲するのだからもう少し信頼し合いたいと思っている。ヘムカを怒らせてしまったことは痛手だった。


「ヘムカさん。その……ごめんなさい。嫌がっていたのに、興味本位で触ってしまって本当に申し訳ないと思っている。二度としないと誓うよ。服も買ってきた」


 樹は土下座し、ヘムカに頭を垂れる。けれども、肝心のヘムカはニュース番組に釘付けだ。


「どうしたら許してもらえる? 何か欲しいものはある?」


 樹は謝罪を続ける。そんな中ヘムカは一瞥したかと思うと、大きくため息をつく。さすがに鬱陶しく思えてきたのだ。それに、本当のことを言わずに無駄に好奇心を刺激したのは自覚している。

 頭と床をすり合わせている樹の方を振り向くと声をかけた。


「どうしてそこまでするの?」


 樹は頭を上げた。


「私さ、自分で言うのもあれだけど怪しいよ? 狐耳生えてて、しっぽも生えてて、首枷してるし、着てた服だって血まみれ。警察に突き出されても文句は言えないよ?」


 ヘムカがこの家に来て感じた疑問だった。居候なのに家主の機嫌を損ねて、正直追い出されても文句はいえないと思っていた。


「そうだね……最初君を見た時、昔の自分を思い出したんだ。昔いろいろあってね。君を放っておけなかった」

「というと?」


 樹をこんな人間に育てたその事実が興味深く感じられ、深堀りしようとする。しかし、樹は首を横に振った。


「言えない。今は、まだね? それに、僕は自信がないんだ。みんなを不幸ばかりにする。僕の家を発つのは早いほうがいいよ」


 樹の顔色が急に変わる。何か苦い経験をしてきた表情で、喋っている間も苦しそうだった。ヘムカも少なからず、苦しく人にいえない経験をしてきた以上詮索はしない。


「わかった、でも新しい居場所が見つかるまで暫くかかると思う」


 樹は本の少し安心できたが、まだ信頼関係を構築できてないし先の件のこともまだ許して貰っていない。表情が曇るまで時間はそうかからなかった。

 ヘムカとしても、信頼関係を構築したいのは同じだった。


「いいよ、許してあげる。その代わり──」


 ヘムカは妖艶な笑みを浮かべると、樹が持ってきた総合スーパーのビニール袋を手に取る。


「この服貰っていくね?」


 それだけ言い残し、ヘムカは別室へと向かった。

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