第12話 不安定

「……ん?」


 ヘムカはゆっくりと目を覚ました。程よく暖かく、地面からは懐かしい藺草の香り。無意識の内に匂いを堪能しようと大きく吸い込んだ。


「あれ?」


 ヘムカの記憶に残っているのは、意識が朦朧としている中誰かが近づいてきたということだけだ。しかし、付近に人物の気配は全く感じられない。

 辺りを見渡すと、数年ぶりに見る襖、障子。そして地面には畳が。天井には紐式の蛍光灯。この異質な光景にヘムカは目を見開いて驚き、そして悟った。

 ここはあの世界ではないのか。

 そう思うのが自然なほどに、この部屋の技術は進歩しすぎている。ヘムカの前世と同じ世界だろうか。そんなことを考えつつも、ヘムカは紐付きの蛍光灯に目をやった。もし紐を引っ張って明かりが点くようであれば、ここが元いた世界ではないことの証明になる。


「照明だけに……」


 ヘムカはそんな下らないことを呟くと、微笑した。別に駄洒落が面白いわけではない。駄洒落を考えられるほどに、心に余裕が戻ったのだと安心したからだ。

 妹を殺され、ひどい甚振りを受け、熊に襲われてよくここまで余裕が出たのだと自分でも驚いていた。

 立ち上がろうと足に力を入れるが、足のみならず全身に痛みが走る。


「うっ……。痛い」


 まだ怪我は完全に治ってはいないのだ。

 体をよく見ると、そこには包帯で巻かれていたりと治療の後が見受けられる。

 お礼の言葉を考えながら、何とか痛みに耐えつつ立ち上がり紐を引っ張る。すると、予想通りに点滅した後明かりが点く。とはいえ、ずっと点いているわけではなく度々点滅するのだ。

 ヘムカは微苦笑した。余裕が出たといってもそれは命を繋ぐことだけだ。余裕が生まれ始めた以上、すぐ何か目標を見つけるのかもしれないがそれまではただ惰性で食いつなぐだけだ。

 ヘムカは紐を再度引っ張り明かりを消す。そして、他の部屋も見て誰かを探そうと障子戸を開けた。

 濡れ縁の外に広がるのは傾きかけている日光が照らす小さな庭。庭と言っても全体的に草が生えて岩には苔むしており整備されているというわけでもない。

 玄関から一番近い部屋から探そうと移動すると、玄関から解錠の音が聞こえた。

 家主が帰ってきたのだと思い、ヘムカは玄関の方に向かった。


「あのー」


 ヘムカは声をかけつつ恐る恐る玄関の方を覗き見た。

 靴を脱いでいたのは、痩せ型の男だった。痩せているというよりかは、やつれていると言った方が正しいような体型。髪の色、瞳の色は当然黒であり大きな耳やしっぽなぞ、生えているわけもなかった。紛れもない人間である。

 ヘムカの視線に気づいた男は、彼女の姿を見るなり驚いたように固まった。男は、ヘムカの姿が珍しいのだ。森で助けた時や、治療の時に散々姿を見ていたがこうして動いている様子はまた別物の様に感じられるためだ。頭頂部から生える狐耳やしっぽを驚愕しながら眺めている。


「あのー?」


 特段言動がないので、ヘムカは再び男に声をかける。

 我に返った男は「ああ」と声を漏らした後、靴を脱ぎヘムカの前へと歩いてきた。


「えっとその……具合はどうですか?」


 男は跡切れ跡切れの日本語で、ヘムカに確認する。


「だ、大丈夫です」


 ヘムカが返事をすると、男の表情が緩んだ。


「その、ご飯食べます? アレルギーとかは……」


 男は両手に持っているレジ袋をヘムカに見せるように持ち上げた。


「多分ないと思います」


 ヘムカのアレルギーは、少なくとも今まで食べた食べ物の中では一つもなかった。とはいえ、冷涼地帯にある農作物が主であるため温暖な気候を好む農作物や卵や牛乳などは摂取したことがない。もしかしたら、アレルギーの可能性もあった。


「お名前聞いてもいいですか? 僕は佐藤さとういつきって言います」


 久方ぶりに聞いた前世で幾度も聞いた日本人らしい名前。ヘムカは思わず感極まってしまい言葉を紡ぎ出すのが遅れる。


「わ、私はヘムカです」


 その言葉に、男が少しばかり気まずい表情をする。


「外国の方ですか? 日本語とかは」


「大丈夫ですよ。お気になさらず」


 前世で日本語を使っていたといっても、転生したから八年が経っている。さすがにあまり難しい表現は覚えていないが日常生活を送る上では申し分なかった。

 その後、ヘムカたちはオープンキッチンへと向かった。水切りかごを見ると何も汚れておらず皿の一枚もなかった。

 樹がレジ袋からいろんな物を取り出すと冷蔵庫へ入れ、残りの物は開封するなり電子レンジへと入れる。その間に、樹は鍋で湯を沸かし始めた。


「すみませんね、僕料理できないんですよ……」


 樹はカップスープの箱を開け始めると、自嘲気味に苦笑した。

 ヘムカからすれば料理ができるできないは大した問題ではない。ただ、空腹であり食べるものがあればそれで良かった。何かを考えようとしても頭が回らないのだ。

 電子レンジが鳴り終わり、樹はヘムカの前に温められたばかりのものをテーブルに置いた。


「食べにくいかもしれませんが、それで我慢してもらえますか?」


 ヘムカの前にプラスチックのトレーに入ったばかりの鯖の味噌煮と白米、割り箸が置かれる。


「大丈夫ですよ。ありがとうございます」


 ヘムカは樹に笑って礼を言うと、割り箸を割ると鯖の身を解し食べ始める。生姜の汁でも掛かっているのかほんのり生姜の味がする。


「……おいしい」


 これが冷凍食品なんだとしても、人工的な添加物が入っていて自然の味ではなくてもおいしいものは美味しかった。

 八歳故、大人と比較しても胃の容量は小さいがそんなこと気にせず目の前の食事にがっついていく。


「スープ置くね」


 キャベツと人参が浮かんでいるカップスープを樹は白米の隣に置く。しかし、樹はヘムカの方を見るなり一転し慌てふためいた。


「大丈夫?」


 樹はヘムカに駆け寄ってきた。自分は何もしてないと思っていたのだが、気がつくとヘムカの目尻から涙がたれて頬を伝っていた。すぐにボロボロの貫頭衣の袖で拭う。


「ありがとうございます。佐藤さん」


 ライベがひどすぎたというのもあるが、ヘムカはここまでしてくれた樹に向かって微笑んだ


「……どういたしまして 」


 見知らぬ少女を助け少し緊張していた樹だったが、ヘムカの笑顔に多少は緊張が解れた気がした。

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