第6話 所詮は空っぽ

 ヘムカたちは走っていた。兵士たちの魔の手から逃れるためだ。両親はヘムカたちのことを思い、兵士の前に立ち塞がりそして犠牲になった。その様子を見ていないながらも、ヘムカは恐らく殺されたのだろうと確信する。そして、そんな犠牲になった両親の思いを無碍にはしたくない。ただ、逃げ続けていた。

 とはいえ、少女の全力疾走と兵士の走り。どちらが速いかは言うまでもない。ましてや、ヘムカは妹を連れている。兵士たちは、すぐ目の前にヘムカたち二人を捉えた。


「はぁ……はぁ……」


 一方の、ヘムカの妹は限界だった。

 ヘムカに引っ張られ、慣れない速さで走らされている上に後ろから兵士が来ているという恐怖感。とうに体力は尽き、死にたくないという思いが脚に鞭打ち強制的に走らせる。

 だからだろう。足元は安定しておらず、草原に存在する些細な石ですらヘムカの妹のバランスを崩すには充分だった。

 バランスを崩したヘムカの妹は、そのまま草原の地面へと倒れ込み俯せになる。そして、そんなヘムカの妹と手を繋いでいたヘムカもまた影響を受けてその場に倒れ込み仰向けになった。

 ヘムカはすぐに立ち上がるも、ヘムカの妹はどうも立ち上がらない。


「うっ……うぅ……。人間怖い、人間怖い……」


 妹は、脚を酷使しすぎて思うように動けなかった。また、人間への恐怖心が余計に体を執拗に震わせて正常な動作の邪魔をしているのである。

 そうしている間にも兵士たちはすぐ側までやってきており二人ともに剣を突きつけられた。


「おとなしくしろ、さすれば痛い思いはしないで済む」


 ここまでかと、ヘムカはゆっくりと両手を上げ屈従の意を見せる。しかし、ヘムカの妹の様子は違った。

 兵士たちが村を襲った理由。それは、奴隷確保のためだとヘムカは理解した。しかし、それは前世の記憶があったからだ。

 だが、ヘムカの妹は違う。前世の記憶なんてないし、村には奴隷制度はなく、奴隷制度を用いている人間とは出会うのは初めてだ。そもそも、奴隷の概念を理解していのすら怪しい。人間というのは恐ろしいと村の者に吹聴されたこともあるのだろう、兵士の投降の呼びかけに応じる気がまるでなかった。

 投降するくらいなら、抵抗したほうがましだとヘムカの妹は思ったのだろう。妹は歯を食いしばると、そのまま全身全霊を以て兵士に襲いかかる。

 しかし、結果は明らかだった。体力が戻っていないのもあり、兵士に避けられたかと思うとそのまま別の兵士が持っていた槍の柄で頭を強打された。


「……え?」


 ヘムカは、目の前の光景が信じられなかった。

 ヘムカの妹は、体を一瞬だけ波打つように動かしたかと思うとそれ以後体の動きはない。ただ、頭から大量の血が垂れ流されるのみ。


「嘘……だよね……?」


 ヘムカは涙を溜め、兵士がいることも気にせず一歩一歩ゆっくりと妹の亡骸へと近づいていく。しかし、近づけば近づくほどにそれは亡骸だということを思い知らされる。

 亡骸の眼前まで来たとき。立つことすら叶わぬ絶望に打ちひしがれ倒れるように手をついた。

 そして、ゆっくりと亡骸に触れた。脈も、息も感じないまだ体温を保っているだけの存在。


「ねえ、起きてよ」


 ヘムカは、虚空を見つめるような光のない目で妹の体を揺らした。


「ねぇってば」


 ヘムカは再度妹の体を揺らした。


「お姉ちゃん怒るよ?」


 ヘムカは妹の体を強く揺らした。


「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ!」


 性懲りもなくヘムカは妹の体を揺らし続ける。しかし、妹の亡骸は動こうとはしなかった。

 ヘムカは、自分でもわかっていた。目の前にあるのは、妹の亡骸。動くわけもない。それでも、物心ついたときにはいた妹が目の前で殺されたという事実が飲み込めなかったのだ。


「うぅ……」


 何も見つめていない瞳に、涙が溜まる。限界までその涙を溜めた後、決壊したかのように頬を伝い妹へと滴り落ちる。

 ヘムカは心からの慟哭をした。しかし、草原には何ら遮る物はない。反響するわけでもなく、一定の距離を取れば自然に聞こえなくなってしまう程度の虚しいものだった。

 喉が枯れたのか慟哭を止めると、全身の気が抜けたように脱力しその場に倒れ込む。草原にいる虫たちが、興味本位でヘムカの体を登るが気づきすらしない。仮に気づいたとしても、反応を示さないだろう。もうどうにでもなれと思ったヘムカは、あまつさえ草原の肉食動物に襲われたとしてもその運命を粛々と受け入れるだろうから。


「別れは済みましたか?」


 声をかけたのは、ライベだった。彼は、ヘムカの妹が抵抗する気を見せたときからもうこの場にいて様子を見ていたのだ。

 皮肉にもライベは、ヘムカが妹の前で泣き喚いたことに対し何も行動を取らず、ヘムカが何も行動を起こさなくなると声をかけた。しかし、反応はない。二人とも、色のない死体であるかのようだと思えた。


「連れて行け」


 ライベの一声により、ヘムカは兵士たちに枷をつけられる。しかし、ヘムカは何ら抵抗する気を見せずいとも簡単に装着が終わる。

 そして、他の奴隷たちと一緒に兵士たちに引きずるように歩かされこの村──虚無と化した村を去った。

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