お嬢様殺し屋

インドカレー好き

死んでいただけませんでしょうか?

 マクラーレン(スコットランド人)が、音もなく紅茶のおかわりを運んできた。

「あら、ありがとう」

 お嬢様は永い時をかけて数行ずつ読み続けている愛用の失われた時を求めて(1巻)をテーブルに置くと、静かにミルクと紅茶が撹拌されるのを眺めている。

「お嬢様、殺しの依頼でございます」

「あら、素敵ね」

 ミルクティーを飲みながらお嬢様は微笑んだ。


 ロールスロイス・ファントムが音もなくオフィス街を進み、いかにも疲れた会社員といった風情で歩いている男の横に停まった。静かに開く後部座席の窓。気がついた男の体が驚きでこわばる。

「ごきげんよう、ちょっとお時間よろしいでしょうか?」

 薄く開けられたスモークガラスの奥から、少女のものと思われる声が聞こえた。

 いつの間にか運転席から居りてきた白人の男が、うやうやしくドアを開ける。

 促された男が車に乗り込むと、テーブルを挟んで向かい合う形に配置された後部座席へ座るように促された。正面には紅茶を飲みながら座る少女が、男をにこやかに見つめている。

 豊穣な麦穂のような金髪、白い肌に赤みがかった大きな瞳。そう、お嬢様殺し屋だ。

「わたくし、殺し屋をやっておりますの」

「あ、それはご丁寧に…。ま!まさか上司の汚職を告発しようとしている僕を殺すために!?」

 お嬢様殺し屋は、流れるような動作で男に小切手を渡す。

「こちらの金額で死んでいただけませんでしょうか?」

 額面にはゼロが1つ2つ…8つ、三億円と書かれている。二の句が継げない男。

「金額が少なすぎたでしょうか」

 悲しそうな顔をして、お嬢様殺し屋が尋ねた。

「あ、いやその、金額は十分かなって思うんですが」

「それは良かったですわ。奥様もお子様もいらっしゃるようですから、ちょっと心配でしたの」

 お嬢様殺し屋は、お金で問題を解決する。

「大変恐縮なのですが、できれば人知れず自殺して頂けると手間が省けて助かりますわ」

 お嬢様殺し屋は、男にお願いをする。


「うう、このまま死ぬのはいやです。死ぬ前に僕の話を聞いてください。僕は会社で上司の横領を発見して…告発するために準備を…上司に左遷され…かくかくしかじか…」

 男は涙ながらに事情を説明した。

「そうでしたの、それは大変なご事情でしたね」

 この世の終わりを垣間見たかのような、悲しい顔をしてお嬢様殺し屋が共感の言葉を漏らす。薄っすらと涙ぐんでいるようにすら見えた。

「はい、この三億円は残された妻と子供に渡そうと思います」

「ちなみに、今回のお仕事はあなたの上司から百万円で請け負ったものですわ」

「安っ。それじゃ完全に赤字ではないですか。そんなことで大丈夫なのですか?」

 男は心配そうにお嬢様殺し屋を見た。

「ふふふ、殺し屋は趣味なので採算度外視なのです」

 赤字ということがバレてしまい、顔を赤くしてはにかむお嬢様殺し屋。

「ところで、その三億円でわたくしに上司を殺す依頼をしたらいかがでしょうか?」

「え」

 時にお嬢様殺し屋は、情にもろい。


 翌日、男の上司が川に転落して事故死したという報道があった。きっとお嬢様殺し屋の仕業に違いない。

 男は上司が備品の切手を金券ショップで繰り返し転売しているのを発見し、それを告発しようとしていたのだった。

 それにしても、せいぜい横領した金額は十万円程度だろう。それを隠すために百万円で自分を殺す依頼をした上司にもショックだったが、未だに男は悩んでいた。

「ひょっとして三億円もらって死んだほうが良かったんじゃないだろうか…」

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