5:翼


 大粒の雨が降りしきる中、暗い空を羽ばたく一匹の銀竜。

 その心は、怒りに満ちていた。


 銀竜イルクナードの意思を継ぎ、このヴェルハーラの地にはびこる人間どもを、一匹残らず排除する……、それがワイティアの積年の望みであり、この世界に存在する意義であった。

 だがしかし、それは今、打ち砕かれようとしている。

 五人の若い魔導師達……、それも、一度はイルクナードが守ろうとした、人ではない者の血を受け継ぐ五人によって。

 これが意味する事は何なのか、ワイティアは考え、一つの結論を出した。

 人と交わりし者は、たとえその体に流れる血が他の種族の者であろうとも、もはや人と同等に罪深き存在なのである。

 それ即ち、排除の対象となり得る者達であるという事。

 このヴェルハーラの地を、真の意味で平和にする為には、全ての者を消し去らねばならない、と。


 ……そう。

 ワイティアは、またしても間違った答えを導き出していた。

 もはや、ワイティアの思考には、善と悪の区別がなく、あるのは己の支配欲のみだった。

 いや、もしかすると、初めからそうだったのかも知れない。

 生きてこの世に生まれる事のなかった竜の子ワイティアは、様々な部分が欠如したままに、今この時を迎えていたのだった。


『全て……、全てを排除せねばなるまい。悪しき人間どもは、その死でもって、罪を償わなければならないのだ。我が白き炎が届かぬならば、残された道は一つ』


 ワイティアは、分厚く黒い雲が覆う頭上を見上げて、ギュラララ! と、数回声を上げた。

 それはまるで、何かを呼び寄せているかのような鳴き声であった。






「あいつ……、まだ何かする気か?」


 空を見上げ、ワイティアの様子を目にしながら、ジークが呟く。

 雨の魔法を行使した事によって、多少疲れてはいるものの、その意識はハッキリとしていた。


「いったい何を?」


 リオも、目を凝らして夜空を見上げている。


「雷を呼ぶ気だ」


 背後から聞こえたその声に、二人が振り向くと、そこにはエナルカを抱えたオーウェンが立っていた。


「オーウェンさん! エナルカ!」


 急ぎ駆け寄るリオ。


「良かった、二人とも無事だったんだな」


 安堵の表情を見せるジーク。

 エナルカは、疲れ果ててはいるものの、オーウェンの腕を離れて、なんとか自分の足で立ち、マンマチャックの元まで歩く。


「随分と弱っているわ……。早く手当をしないと」


 いつの間にか意識を失っていたマンマチャックの額に手を当てて、エナルカはそう言った。

 だがしかし、エナルカ自身にはもう、回復魔法を使える魔力は残っていない。


「ルーベルはどこだ?」


 オーウェンの言葉に、辺りを見渡すリオとジーク。

 ルーベルも、少し離れた場所で意識を失い、倒れていた。

 ルーベルに駆け寄るオーウェン。

 その手を口元へ当てて、呼吸を確かめる。


「大丈夫だ、生きている」


 オーウェンの言葉に、ホッと胸を撫で下ろすリオとジーク。

 目の前の事に必死で、今の今まで、二人とも周りが全く見えていなかったのだった。


「早く回復魔法を行使しないと!」


 そう言って、ルーベルに向かって歩き出そうとしたリオを、ジークが制止する。


「待てリオ。お前が今やるべき事は、あいつらを助ける事じゃねぇ」


「え……、でもこのままじゃ二人がっ!?」


「分かってる。大丈夫だ、見捨てたりなんかしねぇさ。俺に任せろ」


「でも! ジークは雨の魔法の行使で疲れてるんじゃ!?」


「大丈夫だ! 疲れてるからって死にゃしねぇよ! それより……、お前はあいつをどうにかしてくれ」


 ジークは、その親指で上を指した。

真っ暗な闇夜に浮かぶ、銀竜ワイティア。

 もうすぐにでも、空の彼方より雷を呼び起そうと、その体から強大な魔力を放ち続けている。


「俺の力じゃ、あいつを止められねぇ。だけど、お前ならなんとかなるはずだ、リオ」


「そんな……、僕一人でだなんて……」


 不安げな声を出すリオ。


「リオ、大丈夫よ」


 エナルカが、リオに語りかける。


「あなたの持つ魔力、その炎の強さは、共に旅をしてきた私達が一番良く知っている。ちょっと、火力の調整がまだ苦手みたいだけど……。もうこの際よ。有りっ丈の魔力を、ワイティアにぶつけちゃいなさいっ!」


 リオを鼓舞するように、拳を前に突き出すエナルカ。


「でも……。あそこまでどうやって行くの? あんなに高い場所まで」


 遥か遠く、地上よりも雲に近い場所にいるワイティアを指差すリオ。


「どうって、お前……。背中の翼は何の為にあるんだよ?」


 シークに笑われて、リオはハッとした。

 今の今まで、忘れていた。

 いや、知らなかったと言っても語弊はないだろう。

 リオの背には、悪魔の翼がある。

 だがしかし、これまで生きてきた中で一度も、リオはその翼で空を飛んだことなどないのである。

 それどころか、飛ぼうと思った事すらなかったのだ。

 普段はその姿を魔法で隠していた為に、仕方ないと言えば仕方ないのだが……


 僕の背には、翼がある。


 それを今、ジークに指摘されて、リオは我に返ったかのように、改めて認識した。


「僕……。もしかして、飛べる……?」


「あぁん? 飛んだことねぇのかよ??」


「え、うん……。ないよ」


「なっ!? かぁ~っ、使えねぇなぁっ!?」


 ジークは思わず、いつもの粗暴な様子に戻って頭を掻いた。


「しかし、翼があるのなら飛べるはずだ。リオ、飛ぶのだ!」


 オーウェンは、かなり滅茶苦茶な提案をする。

 飛んだことがないというリオに対し、この危機的状況で、一か八か飛んでみろと言うのである。

 リオは渋い顔をした、が……

 今この状況で、ワイティアを止める術はそれしかないと、リオ自身も分かっていた。


 みんなはもう、疲れ切っている。

 だけど、僕はまだ力が有り余っているし、体だってどこも痛くはない。

 それに、僕には翼がある。

 ワイティアのいる、あの高い空まで、行く事ができる。

 ワイティアに向かっていけるのは……、ワイティアと戦えるのは……


「僕しか、いないじゃないか」


 リオはそう呟いて、頭上をキッと睨み付けた。

 出来るかどうかは分からないが、空を飛ぼうと考えて、背中にある翼に意識を集中させた。

 すると、不思議なことに、今まで一度も感じたことがなかった翼の温もり、その動きを、リオは細かに感じ取る事が出来たのだ。

 そして、試しに羽ばたいてみると……


「うわぁっ!?」


 リオの体は軽々と宙に浮いたではないか。


「すごいっ! やるじゃない、リオ!」


 エナルカがおだてる。


「こいつらの事は俺に任せろ。だから、お前はあいつを倒してこい!」


 ジークに背を押されて、リオは夜空へと羽ばたいて行った。

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