5:竜の子
***
我が世に残しし、最大にして最強の者、竜の子ワイティア。
天候を操り、その身に雷を宿す、白き炎の使い手である。
我が、竜の子ワイティアに残した意思はただ一つ。
『今一度、人間が自然を破壊するようならば……。その時はお前の手で、人間どもを根絶やしにしておくれ』
その意思に忠実に、ワイティアは誕生の時を待っていた。
しかし、ワイティアの誕生を待たずして、人間達はこの地にはびこり、次々と自然を破壊していった。
切り拓かれていく森の悲鳴、失われていく数多の獣、魔物たちの命。
卵の中から外界の様子を見ていたワイティアは、人間達の浅はかな行いを嘆き、悲しみ……、そして、抑えきれぬほどの怒りを、その身に覚えていた。
だが、いくら待てども、ワイティアが誕生の時を迎える事はなかった。
何故ならば、ワイティアのその体は既に亡き者となっており、卵から孵る事など、最初から、永遠に訪れるはずがなかったのだ。
そこにあるのは、我が残した意思と、それを頑なに思い続けるワイティアの魂だけだった。
けれども、ワイティア自身が、その事に気付くわけもなく……
沸々とした怒りと、行き場の無い焦燥感だけが、ワイティアの中に降り積もって行った。
そしてある時、ふとした瞬間に、ワイティアは思いついたのである。
何も、体ごと外に出ずとも良いのではないか?
強い気持ち、曲がらぬ決意、信念を持った心のみで、外界へと飛び出せば良いのではないか? と……
既に肉体を失いしワイティアの魂は、思念体となって、いとも簡単に外界へと飛び出す事ができた。
自由の身となったワイティアは、森の声に耳を傾け、死した命の残骸をその目に見る事で、さらなる怒りを胸に宿していった。
そうしていつしか、その怒りの感情が原動力となって、ワイティアの中に、大きく危険な力を生み出していったのだ。
遠い昔に、我がその身に持ち合わせていた様々な術を、ワイティアは使えるようになっていった。
そして思った。
銀竜イルクナードの意思を継ぎ、自分が人間どもを滅ぼし、自然を守ろうと……
かつて、我が誤って選んだ道を、ワイティアもまた、歩み始めてしまったのだ。
ワイティアは、人間達から魔法を使う力を奪い、天候を操って自然災害を起こし、徐々にその数を減らしていった。
ワイティアは喜んだ。
銀竜イルクナードが残しし意思を、自分はしっかりと成し遂げているのだと、その行いに自信を持っていたからだ。
だがしかし、そんなワイティアの存在に気付いた者たちがいた。
お前の師でもある、五大賢者達だ。
彼らは、ワイティアの正体を突き止め、その本体の在り処を探し出し、魔石での封印を試みた。
そして、その方法は成功した。
思念体であるワイティアは、封印の魔石によって、本体に縛られる事になったのだ。
また殻の中に戻されたという怒り、イルクナードの意思を遂行できないという焦りから、ワイティアの心の中には、大きな憎しみが産まれた。
時が経つにつれて、その憎しみはどんどんと増幅し、ワイティアの心を蝕み始めたのだ。
自然を守る為ならば手段は選ばない、己に逆らう者はみな殺してしまえばいいと、ワイティアは考え始めた。
その頃にはもう、竜の子ワイティアは、銀竜イルクナードの意思を継ぐ者ではなく、邪悪なる力を秘めし者へと変貌していた。
そして、数十年の時を経て、何倍にも膨れ上がった憎しみと共に、殻の中で力を蓄えたワイティアは、またしても思念体として外界へ飛び出した。
その手で全てを、終わらせる為に……
何故ワイティアが、今一度思念体として、外界に飛び出せたのか……?
五大賢者の封印は、決して失敗していたわけでも、脆弱だったわけでもない。
しかしワイティアは、わずかな隙間を見つけたのだ。
五大賢者達は、ワイティアの身の上……、もはや肉体は死したというのに、魂のみでこの世を彷徨うその存在を、哀れんだのだ。
それが、少しのほころびとなって、強固なはずの封印に、わずかな隙間を作ってしまったのだった。
外界へ出たワイティアは考えた。
また計画性もなしに人間を攻撃すれば、五大賢者に嗅ぎつけられ、再び殻の中へ封印されかねない。
ならば、外側からではなく、内側から、この国を潰していけばいいのだ、と……
自ら城に出向き、魔法で人々を操って、自分が王になれば良い、じわじわと内側から滅ぼしていこうと。
最初の犠牲者は、常闇の主と呼ばれる五大賢者、ロドネス・ブラデイロだった。
その身分は、国属の魔導師軍団長だけに留まらず、国王の子を産みし者として、将来は国の妃を約束されていた。
だがしかし、ワイティアはそれを全て壊し、自らが王となった。
その後は、じわじわと各地に天変地異を起こし、王都には疫病を流行らせた。
五大賢者を一人ずつ、静かに呪い殺し、弟子であるお前達をも亡き者にしようと画策した。
そして、今……
ワイティアは、自らが立てた画策の、最終段階に入ろうとしている。
封印が解かれた卵の殻を破って、死したはずの肉体を使い、王都に暮らす人間を一人残らず亡き者にしよう動き出した。
もはや、ワイティアを止める術はない。
ワイティア自身を亡き者にする、それ以外の方法は、残されていないのだ。
***
「止めなくちゃ……」
リオが突然、そう呟いた。
「リオ!? リオ、わかりますかっ!? 目を開けてくださいっ!」
マンマチャックが、必死でリオの体を揺さぶる。
すると……
「ん……、んん~??」
リオがゆっくりと、その目を開いた。
「リオ! 良かった! あぁ良かった! リオ、分かる? 私が分かる!?」
リオの視界に映ったのは、涙ながらに自分に語り掛けるエナルカと、眉間に皺を寄せた面白い顔で自分を見ているマンマチャック、そして、ホッとした笑みを浮かべるルーベルだ。
「みんな……、あれ? ここは?」
まだ意識がはっきりしない様子のリオは、寝惚けた様な声でそう言った。
「お前、ワイティアにやられたんだよ。大丈夫か?」
少し離れた場所に立つジークと、テスラの姿を目に捉えるリオ。
そして、何やら強烈な悪臭を感じ取って……
「何、この臭い……?」
険しい顔をしながらも、ゆっくりと、その身を起こした。
「急に座って大丈夫!?」
せかせかと、リオに尋ねるエナルカ。
「とりあえず、意識が戻って良かった……」
ふ~っと、安堵の息を吐くマンマチャック。
「臭いの原因はあれだ。ワイティアの本体が、卵から出ちまったらしい。なんだってこんな臭いんだか……」
うんざりしたような顔で、それを指さすジーク。
割れてしまった銀色の卵が目に入り、あぁ、やはり生まれてしまったのか……、と、大きく溜め息をつくリオ。
「ルーベル様のシャドウネスに導かれて、私達がここへ辿り着いた時にはもう……。お二人とも、ここでいったい、何があったのですか?」
テスラの問い掛けには、ルーベルが答えた。
ワイティア王がここへ現れて、リオとルーベルに雷の魔法を行使した事を。
「おそらくその後で、思念体であったワイティアは、封印が解けた卵の中の本体に戻り、肉体と心を一つにして、殻の外へと飛び出したのだろう」
ルーベルの言葉に、五人はそれぞれにばつの悪そうな顔になる。
まんまとワイティアの罠にはまって、五大賢者が残したマハカム魔岩の封印を解いてしまったのは、他でもない自分達なのだ。
代わりの封印をと考え、マハカム魔岩を手に入れて、妖精の森で魔力を込めて、封印の魔石を作ったはいいが……
もはや手遅れになってしまったのだと、肩を落としていた。
だがしかし、リオは違った。
スッと立ち上がって、異臭を放つ銀色の卵へと近付いて行く。
「リオ……? 何を?」
ルーベルの言葉に答える事もせずに、スタスタと歩いて行くリオ。
卵に何かするつもりか? と皆は思ったが、リオは卵には見向きもせずに、その後ろにある、銀竜の亡骸へと向かって行く。
不思議に思った五人は、静かにその後ろをついて行く。
リオは、卵の後ろに回り、銀竜の亡骸である骨を、ガサゴソと漁り始めて……
「何を、しているのですか?」
思わずテスラが訊ねた。
しかし、リオはそれにも答えずに、一心不乱に、骨をかき分け、何かを探し……、そして、見つけた。
ガラガラと崩れ行く銀竜の骨の間から、姿を現したリオ。
その手には、淡い光を放つ、銀の塊のような物が握られている。
「それは……、まさか!?」
リオの手の中にある物の正体を、ルーベルはいち早く見抜いた。
「これは、銀竜の心臓……、魔心石と呼ばれる物らしいね。イルクナードが言ったんだ。これを食べろって」
リオの言葉に、驚く五人。
「なっ……、魔心石を、食べる……?」
「イルクナードがって……、会ったの!? どこで!? いつ!?」
「魔心石を食べる事は邪法のはず……、そんな事をすれば、どうなるかわかりませんよっ!?」
「お前、気は確かかリオ!?」
一斉に否定する、マンマチャック、エナルカ、テスラ、ジーク。
しかしルーベルは……
「銀竜イルクナードと、会ったのか? かの竜が、そうしろと、お前に告げたのだな?」
真剣な眼差しで、リオに尋ねた。
「さっき、意識を失っていた時……、僕の心の中に、イルクナードが入り込んで来たんだ。そこでいろいろと話をして……。ワイティアは既に死した者だと、イルクナードは言っていた。だけど、その力は強大で、今の僕じゃ……、今のままの僕達じゃ勝てないって言われた。でも、勝つ方法がある。この魔心石を食べれば、イルクナードの力を得る事が出来る。そうする事で、ワイティアに対抗できるって」
リオは、その手の中で光り輝く、銀の魔心石を見つめる。
それには、膨大な魔力が秘められていると、手にしているリオには分かっていた。
かつて竜の王と呼ばれた銀竜イルクナードの、強く、危険な力が……
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