4:善と悪

 

 明け方から、雨が降り始めた。

 一晩中燃えていたはずの白い炎は、雨に打たれて、まるで何事もなかったかのように、すぐさまどこかへと消え去って行った。

 残ったのは、村であったはずの残骸。

 焼け焦げた真っ黒な家々と、黒い影と化してしまった、人であったはずの者達だけ。

 ベナ山の麓にある、リオの馴染の小さな村は、そこに住んでいた人々と共に、一晩のうちに焼け滅んでしまったのだった。


 フシンの背から降りた五人は、炭の塊となってしまった村を歩く。

 辺りに生き物の気配はなく、静けさの中に、雨の降る音だけがやけに大きく響いていた。


 ヘレナの酒場があった場所まで歩くリオ。

 しかし、そこに残っているのは、真っ黒に焦げた建物の、木々の残骸だけだった。

 村の中心にあったはずの、リオが生み出した魔除けの炎は、綺麗さっぱり消えて無くなっていた。

リオの知っているものは、何一つ、残されてはいなかった。

 あまりの光景、あまりの出来事に、地面に膝をつくリオ。


「リオ……」


 顔色がまだ優れない様子のエナルカだが、リオの事が心配になって、そっとその肩に触れる。

 すると、エナルカの手には、小さな振動が伝わって来た。

 リオの顔を覗き見るエナルカ。

 その目からは、雨の雫とまがうほどの大粒の涙が零れ落ちていた。


 リオは思った。


 自分はなんて無力なのだろう……

 クレイマンさんが死んだ時、とても悲しかった。

 けれど、自分にはどうにも出来なかった事も事実だ。

 だからせめて、クレイマンさんの最後の願いを叶えたい、国を救いたいと思い、旅に出た。

 王に騙され、踊らされて、それでもようやく真実を見つけ出し、希望を持てたはずだったのに……、なのに……


 自分が生まれ育った村の一つも守れずに、何が国を救うだ?

 親しかった人達さえ救えずに、何が世界を守るだ?


「僕は……、無力だ……」


 リオは嗚咽を抑えられずに、その場に泣き崩れた。

 マンマチャック、ジーク、エナルカ、テスラは、リオに掛ける言葉が見つからず……

 リオの泣き声だけが、辺りに響いていた。






 リオには、親がいない。

 この世に生まれ落ちたその瞬間から、リオは一人ぼっちだった。


 ベナ山の麓の小さな村の、魔除けの火の中に、産まれたばかりの赤ん坊がいると聞きつけて、クレイマンが急ぎやってきたのは、寒い冬の朝だった。

 雪が積もり、足元が悪い中で、クレイマンはそれを見た。

 轟々と燃える魔除けの火の中にいて、決して燃える事無く、小さく泣き声を上げるその赤ん坊を……

 クレイマンが炎を操り、なんとか魔除けの火より助け出したその赤ん坊は、額に角を有した、悪魔の姿をしていた。

 麓の村の人々は、悪魔の姿をしたその赤ん坊を、すぐさま殺してしまおうと声を上げた。

 しかしクレイマンは違った。

 その赤ん坊に、これまで感じた事のない、強くて大きな力と、優しい心を感じていたのだ。

 クレイマンは言った。


「この子は私の子だ。みんな、驚かして済まなかったね。大丈夫、この子は炎には強いんだ」


 クレイマンの笑顔に、その言葉に、村人たちは戸惑いつつも、クレイマンがその赤ん坊を山へと連れ帰る事を承諾した。


 それから幾年月が流れ、リオが八歳になった頃、クレイマンはリオに、全てを打ち明けた。

 リオが何者であり、これからどう生きていくべきなのか、その全てを……






 東の空より、太陽が顔を出すと共に、雨は上がった。

 空には虹がかかり、辺りは清々しい空気に満ちていた。

 周りの森は、まるで何事もなかったかのように、一日の朝を迎えようとしていた。

 ただ、そこにあるはずの村だけは、景色の中の黒い陰へと、その姿を変えていた。


「僕は……、悪魔の子なんだ」


 村のすぐ近くで、焚き火を取り囲む五人。

 その中でリオが、唐突に話し始めた。


「この村の、クレイマンさんの生み出した魔除けの火の中で発見されて……。村の人達は最初、悪魔の姿をした僕の事を、殺してしまおうと言ったんだって。だけど、クレイマンさんは違った。僕の事を、自分の子だと言って、助けてくれて……、育ててくれたんだ。いつの事だったか、忘れたけど……、クレイマンさんは、僕にこう言った……」


『リオよ、よく聞くのだ。何が悪であり、善であるかは、判断する者によって異なる。それは、とてもとても難しい選択だ。リオ、お前は確かに、悪魔と呼ばれる者と似通った姿形をしている。だがしかし、それは外側だけに過ぎない。お前が悪であるか善であるかは、お前のこれからの行い、その心の持ちようで変わっていくものだ。リオ、お前が何を選び、何を守り、何と戦うのか……。それこそが、お前自身の善と悪を決めるのだよ』


「正直言うとね、前は全然分からなかったんだ。クレイマンさんの言葉の意味が。だけど……、今なら少し、分かる気がする。竜の子ワイティアはきっと、自分の事を善だと信じているんだ。だけどそれは、僕達にとっては悪だ。僕達の善は、人々を守る事……。だから僕は、ワイティアにとっての悪にならなくちゃいけない。それを恐れてはいけないんだ。善の為に、悪になる。善と信じる悪を、僕が倒す。僕が何を選び、何を守って、何と戦うのか……。今がきっと、僕自身の善と悪を決める、大事な時なんだと思う」


リオの話に、四人は真剣に耳を傾けていた。

そして、それぞれが、それぞれに、自分の中にある善と悪に向き合っていた。


「自分は、タンタ族と言う種族の生まれです。魔法を使う人々から忌み嫌われた、悲しい歴史を持つ種族……。自分の中ではずっと、魔法を使う人々は悪でした。けれど、自分の父は、そうではないと言い続けていた……。確かに、過去に悲しい出来事があった事は事実です。だけど、今を生きている人々が、必ずしも悪であるとは限らないと、今では思います。タンタ族も、魔法を使う人々も、全てを含めてこのヴェルハーラ王国は成り立っている。国を守る事に、種族による差別は必要ないと……。自分の中の善の心は、そう言っています」


マンマチャックは、過去を思い出し、今を見つめてそう言った。


「俺も、半分は巨人だからな。昔っから、普通な奴らのせいで、いろいろ嫌な目にあってきたぜ。だが、中には優しくしてくれる奴もいたし、レイニーヌのように、俺を認めてくれる奴もいた。善と悪は表裏一体だ。同じ種族だろうが違う種族だろうが、片方が善なら片方は悪になっちまう……。けど俺は、自分に恥じぬ生き方をしてりゃ、それは全て善だと思う。だから俺は、自分に恥じぬように、悪と考えるワイティアを倒すのみだ」


拳を握りしめて、ジークは言った。


「私も、幼き頃より、善と悪について悩んで来ました。母であるロドネスは、先代国王を殺害した悪であると、周りから聞かされて育ちました。けれど、私にとって母は母であり、決して悪ではなかった……。そして事実、母は悪ではなく、善であった。私が何を選び、何が真実なのかを自分自身で見極めた事が、悪であったものを善だと証明出来たのです。だからリオ、私は、あなたの中にある善を信じます。その姿形が悪魔であろうとも、私は、あなたの内なる心の善を信じます」


テスラは、今までで一番力のこもった言葉を、リオに投げかけた。


「私も、小さい頃からずっと背が低くて、集落の年の近い子達からは馬鹿にされ続けて来たの。だけど、シドラー様は私を弟子に選んでくださった。見えない部分の強さを、シドラー様は見てくださったの。……リオ、人の価値を決めるのは見た目なんかじゃない。その心が正しいかどうかなのよ。リオの選ぶ善を、私も選ぶわ。だってリオは、姿形は悪魔であったとしても、心はとっても素直な、普通の男の子なんだもの! 大事なのは外見じゃなくて心! 善の心なのよきっと!」


エナルカは、自信満々な笑顔でそう言って、リオの手を取った。


「大丈夫よリオ! リオは一人じゃない! リオの信じる善を、私達も信じている! だから行きましょう! ベナ山の洞窟へ、マハカム魔岩を探しに! 私達の信じる善で、竜の子ワイティアを倒すのよ!」


エナルカの言葉、その真剣な眼差しに、リオは力強く頷いた。

マンマチャック、ジーク、テスラの顔を順番に見て、それぞれと心の中で、リオはこう交わした。


「ありがとうみんな。人々を守る為に、僕達の力で、必ずやワイティアを倒そう! 自分達の力と、自分達の心にある善を、信じよう!」


五人は決意を新たに、ベナ山の洞窟を目指すのであった。

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