異世界へ転生したい

水原吉絵

第1話 大学生は異世界へ転生したい

誰だって異世界というものを想像したことはあるだろう。

子どもの頃、ファンタジーな世界にのめり込んだ経験や、ゲームの世界を空想することは誰にだってあるはずだ。

もちろん、そんな妄想はいつか成長するにつれて現実に埋もれていくもの。


…しかし、そんな妄想と現実の区別がつかない所謂「変人」と呼ばれる人間がいるのだ。

…それも現実主義大学生である俺のすぐそばに。


俺の名前は不動悟(ふどう さとる)。

名前のこともあって周りからは「悟り世代の申し子」とまで呼ばれる超現実主義の大学生だ。

そんな普通な大学生の俺の他と変わった点はただ1つ。

SF研究会なんてものに所属してしまっていること。

超現実主義なはずの俺がなんでそんなものに入っているのかだって?

それは、とても好みな美人な女の子がいたから。


不純だ!と怒る人もいるかもしれないが、大学生たるもの恋愛に真っ直ぐなのは健全なこと。

…まぁ、実際にはSF研究会に入ってすぐに後悔することになったのだけど…。


今日も大学の講義の間にSF研究会の扉を開けた俺はそのままため息をつくことになる。

なんでだって?

それは、この会に入るきっかけである美人な女の子が机の引き出しに頭を突っ込んでいるからだよ。


「…今日も精が出るね」


呆れ半分、諦め半分に絞り出す俺の言葉にし対し、当の本人は顔も向けない。

…この光景に見慣れてしまっている自分に対してもひとつため息を落としておこう。


「何回机に頭を突っ込んでもそこに異世界の入り口はないよ」


もう何度目かも分からない指摘にようやく顔を上げた人物は憮然とこちらを見つめてくる。


「異世界に行くきっかけなんて何があるか分からないわ。今日の気温、湿度、時間、太陽の位置、もしかしたら朝ご飯なんかが影響して異世界へのゲートが開くかもしれないじゃない」


意味不明な理論にもう突っ込む気力すら出ない俺だが、やはりその見た目には見とれてしまう。

黒髪ロングの髪には癖はひとつもなくストレート、スポーツ万能なその身体は引き締まりながらも見事なプロポーションをしている。

知的な切れ長な目に今は不満げな小さな口、化粧をそこまで感じさせないナチュラルメイクとすべて俺の好みドストライクだ。

…もちろん、この意味不明な発言を除けば、だが。


「へーへー、そうですか」


下手な反論をすれば、何倍もの反論が返ってくることは何度も学習した俺は早々に白旗を振ることにしている。

…以前、ちょっと反論しただけで5時間も異世界転生について語られたのはちょっとしたトラウマだ。


あからさまな俺の態度に不満げな様子は崩さないながらも、再び机の引き出しに目を落とす。

この頭が異世界に旅立ってしまっている女の子の名前は鴇渡薫(ときわたり かおる)。

本気で異世界転生を目論む俺と同じ大学3年生だ。


ただ机を漁るくらいなら可愛いものだが、この薫の本気度はそんじょそこらの妄想癖のある人間とは次元が違う!

茂みがあれば街中でも飛び込む、水面に虹が移れば噴水だろうが飛び込む、ちょっとした隙間があればやっぱり飛び込む。

…その内、走っている車の真ん前に飛び出さないか隣を歩いていると気が気がじゃない。


いつもの日課の机探索を終えた薫は分厚い本を取り出して眺め始めた。


「…よく分かる潅漑農業の始め方…?」


タイトルを読んでも意味不明な本に思わず言わずにはいられない。


「なんで潅漑農業?むしろ、潅漑農業って何?」


俺の疑問だらけの頭にしかし、薫は別に怒るでも呆れるでもなく説明してくれる。


「潅漑農業は川とかから水をひいて行う農業のことで、水田なんかをイメージすると浮かぶものが近いわね。」


…なんだか小学生だか中学生だかで習ったことがあるような、ないような…?

しかし、農業科でもない薫が読む本にしては専門書並の厚さだけど。


「もし、異世界転生できても知識がなければ意味がないわ。農業がない世界なら1から作り出す知識が必要でしょ?」


でしょ、じゃない!

そこまで異世界転生を本気で考えている人間は恐らく薫しかいないだろう!


しかし、それを本気でやっているから呆れを通り越してしまう。

ミステリー研究会で一緒になってから3年生まで共に過ごして薫の知識の引き出しは異常の一言だ。

サバイバル方法の本を読んでいたのが最初だったかな?

その後は牧畜、農業、料理はもちろん、武器の扱いや鍛冶、建築、言語学なんかまで学んでいる。


「一体薫は異世界で何を成し遂げるの?村でも興すの!?」


3年生まで一緒にいるけれど、未だに会話のほとんどは疑問と突っ込みに溢れている。

ここまでの会話を見ていたらそれも当然と理解してもらえると思う。

薫の見た目に騙され、付き合いたいとか不純な気持ちだった1年生の俺をぶん殴りたい。


「異世界転生するのがゴールじゃないわ。村を興すのはスタートとしても、やっぱり国を作りたいわよね」


ふむふむと何やら思いを馳せる薫の満足そうな姿に何も言い返せなくなる。

…こいつは本気すぎる。

これがまだ一過性のブームであるならば良かったのだが、薫の場合その本気度は折り紙付きだ。

異世界で戦闘することを考慮して剣道、柔道、空手を習っていたらしいし、今でも毎朝10kmのランニングで体力作りにも余念がないときてる。

頭脳も体力も見た目も完璧な人間なのに、なぜ神様は薫の頭の中身だけはポンコツにしてしまったのだろうと、これも何度目かもわからない神への恨みを心でつぶやく。


こんな異世界に憧れる、憧れすぎる薫によって巻き起こされる小さな騒動の数々はこの大学ではちょっとした語り草だ。

この大学、伊勢海(いせかい)大学を文字ってミス伊勢海と呼ばれていることを本人は知っているのだろうか?

…まあ、知ってもなんとも思わないだろうけど…。


そんな数あるミス伊勢海の事件の中でも今回の事件は個人的に思い入れの強い事件になった。

そんな異世界へ消えた大学生のお話を今回は紹介してみよう。

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