第二幕『さまことなりくにやかう』3
両隣を二大巨漢に挟まれ、移送される犯罪者のような気分になりながら連れて行かれた先は、馴染みのある場所、東京都監察医務院内の解剖室だった。
六台あるバイオハザード型解剖台の一つには、両眼がない男の遺体が横たわっていた。男の顔には、まるで涙が流れたような血の痕が残っていた。陣平はその男の顔に見覚えがあった気がしたが、いくら記憶を遡っても、思い出すことができなかった。
「この遺体はな、昨日、渋谷のスクランブル交差点近くで発見された遺体だ。死因は出血多量。陣平、この遺体についてどう思う?」
口火を切ったのは九郎だった。
「どう思うって、ただの両眼がない遺体じゃないですか。大方、ヤクザにでもやられたんでしょう。上等な腕時計も付けていたみたいですし。珍しいとは思いますが、特に不審な点は見当たりませんね」
そう言うと陣平は、デスクに置いてある、遺体の物だったであろう腕時計を指差し、九郎と源蔵を交互に見る。
「それよりオレは、先ずこの状況を説明して欲しいんですけどね。特取医務院長と岩石管理官がわざわざ出張って来てまでなんの御用で?」
「そうだな、先ず順を追って話すか」
頭の中で話を整理しているのか、九郎は数秒黙ったあと、口を開く。
「こちらの特取医務院長には、通常では有り得ない遺体が運ばれて来た場合、真っ先に俺に連絡を入れるように頼んである」
陣平は源蔵に視線を向ける。源蔵はウインクを飛ばしてくる。
「通常では有り得ない遺体?」
源蔵のウインクに寒気を感じながら、陣平は訊き返す。
源蔵がその後の話を引き継ぐ。
「分からない? 陣ちゃん。この遺体の両眼はね、無理矢理抉り取られた訳でも、外科的手術で取り除かれた訳でもないの。断面が全く傷付いていない。つまり、傷口が綺麗すぎるのよ」
「どういうことだ?」
いまだ状況を飲み込めない陣平は、腕を組み、渋い顔で訊き返す。
「この遺体の両眼は、まるで消しゴムをケースから取り出すかように、あまりにも自然に抜かれている。なにか道具が使われた形跡もない。簡潔に言えば、人間には不可能な方法なのよ」
「成る程。だから通常では有り得ない遺体と言うわけか。で、オレが呼ばれた理由は?」
「陣ちゃんは最近新しい相棒と、こういった不可解な事件を担当しているって訊いたわ。だから、陣ちゃんの意見が訊きたくてここに来てもらったのよ」
「管理官ちょっといいですか?」
ようやく状況を理解した陣平は、九郎を手招きし、二人で部屋の隅に移動する。不思議そうな源蔵の視線を背中に感じる。
「つまり管理官は、この遺体に魔女が絡んでると考えているってことですか?」
「そういうことだ。だからお前を連れて来た。本当は鈴璃も一緒だとよかったんだが、あまりあいつを人に合わせる訳にもいかなくてな」
「と言うことは、源蔵には魔女の存在は……」
「もちろん知らせていない。お前も魔女のことはくれぐれも漏らさんようにな。話はそれだけか?」
「はい」陣平は頷いた。
話を終えた二人は、再び遺体に向き直る。すると、源蔵が物凄い勢いで陣平に詰め寄ってきた。
「な、なんだよ」
満面の笑みの源蔵は、陣平の右手を掴むと、力任せに上下させる。
「陣ちゃんおめでとう。新しい相棒ができたのね。春頃に、相棒なんて必要ないって言ってたからアタシずっと心配で心配で。いやあ良かった。本当に良かったわ。今度連れてらっしゃいな」
どうやら源蔵は、陣平に新しい相棒ができたことを純粋に祝福してくれているようだった。右腕の骨がミシミシと音を立てながら鞭のように上下にしなり、軋む。
「あ、ああ。お陰様でな」
千切れそうな右手の激痛に耐えながら、陣平は精一杯の礼を言う。
「ところで、この遺体は誰なんだ?」
ようやく源蔵から解放された陣平はなんの気なしに尋ねる。すると二人は押し黙る。解剖室の温度が少し下がったような気がした。
「なんだ?」
異変を感じた陣平は二人に視線を向ける。
「存在しないんだ」
重々しく口を開いたのは九郎だった。
「存在しない? 本人はここにいるじゃないですか。身元不明ってことですか?」
「そんな単純な話じゃない。この男の財布には免許証が入っていて、そこには
その時、陣平は本当の意味で『通常では有り得ない遺体』の意味を理解した。この国で身分を持たず生きていくのは不可能に近い。誰とも関わらずに生きていくのも同様だ。自分の存在だけを人々の記憶や、様々な機関の記録から抹消するなんて、それこそ人間の力では間違いなく不可能だ。
「不気味を通り越して、なんだかオカルトよね」
源蔵が、顔と体型に似合わない怯えた声で呟く。
陣平は無言で右手に手袋を嵌め、解剖室のデスクに置いてあった深山圭人の遺留品である派手なデザインの指輪と腕時計を掴むと、それぞれを別の証拠品袋に入れる。
「わかりました。この件はこちらで捜査してみます。この指輪と腕時計は捜査の為に預かります」
陣平は、指輪と腕時計が入った証拠品袋をジャケットのポケットに入れる。
「ところで二人共、この男に見覚えは?」陣平は二人に尋ねる。
二人の答えは異口同音に「無い」だった。
どこかで見たことがあると感じたのは自分の思い違いなのか。そう思おうとすればするほど、どこか腑に落ちない自分がいた。
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