第5話 夏祭り、ふぁーすときす、そして。

 この夏は、例年になく外にも出かけた。

 一番の理由は、ミホカがこの町のことを知りたがったからだ。こんな町、おれも住み慣れて飽き飽きしているはずだったが、歩いていると意外に新しい発見に出くわしたりした。


 で、この日は近所の公園でやってる縁日に行った。近隣から祭り囃子が聞こえてきたことに気づいた彼女に誘われたのだ。


「それっ! …きゃッ?! 破れちゃった……」

 ミホカが穴の空いた網から、金魚たちが悠々と泳いでいるのを覗く。


「勢いよくやったらすぐ破けるよ。こうやって、そっとやれば」

 おれはそっと金魚を掬って、小型ボウルに移してみせた。


「本当だ。すごいです!」


「田舎……じゃなくて、前住んでたところに、金魚はいなかったの?」


「金魚は見なかったかな。それよりメダカ? あ、ザリガニ釣りなら得意かもしれません」


「そうなのか。ホイ、やってみ」


 ミホカに網を手渡す。

 おれも以前、彼女と全く同じ目に遭ったことがあることは、隠しておくことにした。


 祭りは盛況だった。出店に囲まれた広場は、少年少女の集団や家族連れや酒を酌み交わす大人たちでごった返している。

 この場所、例の木の下でミホカと再会した公園なのだが、夏祭りのある数日間だけは垂れ幕が掛かり、提灯が灯り、遠くの方からも人々が集まって活気に溢れる。


「すごいなぁ。こんなに人、来るんですね」


 さっきクジで当たった星の玩具が光っている。ボタンを押すと中に入ってる電球が点滅する仕掛けで、安っぽいながら本物に負けないくらい色鮮やかだった。


「そっちはお祭りないの?」


「あるけど、ちょっと雰囲気が違うかな。あんまり若い人がいなくて、年々廃れていっちゃって。ここはすごく賑やかですね」


「そうなのか。神社の方だと、もっと大きな祭りもやってるよ。今年はもう終わったと思うけど」


 中央に設置された舞台の周りでは、浴衣姿の老若男女が盆踊りに興じていた。

 「月が出た」でお馴染みの炭坑節に続き、一昔前に流行った大人数アイドルグループの歌に合わせて踊っている。恋の運勢を占うおみくじクッキーの歌なんだけど、以前従弟妹が遊びに来た時によく流していたっけな。


「わたしも、浴衣着て来れば良かったかな」

 盆踊りを見ながらミホカは、けざやかな横顔をこちらに向けて呟いた。


「残念だったね。来年もあるよ」


「たしかに! もう近くに住んでるんですもんね。じゃあまた来年、一緒に行きましょう?」


 ミホカが微笑んだ。

 そう。おれたちは来年も、こうして落ち合って、同じ場所を訪れることができるのだ。そう思うと、新鮮な驚きだった。

 提灯の幻想めいた光に照らされている彼女の姿に、『彼女が浴衣着てるとこ、見てみたかったな』と――思ってしまった煩悩も、隠しておくことにした。


     〇


 夏休み、最終日。

 朝から果てしなく澄んでいた青空は、夕方になると限りなく透明に近いオレンジに染まった。

 あまりに澄みきった夕焼け空なので、あたかも気を緩めた神が、ふとした手違えで空を美しくしすぎてしまったかのようだった。


「【...I wish these days would come back again.】……うん、通じると思います」


 おれが最後の宿題――英作文にピリオドを付したところで、ミホカが呟いた。


「これで宿題は全部、おしまいですね?」


「うん。ああ。終わったあ」


 3つの文節を感慨深げに発音し、おれはその場に倒れこんだ。外では、ひぐらしが鳴いていた。


「助かったよ、まさかミホカが帰国子女だったとは」


「そんな大それたものじゃないですよ~……外国にいたのすごく小さい頃だから、難しい表現は解らないですし」


 なんでも幼い頃、少しだけ海外に住んでいたことがあるそうで、完全というわけではないが英語が解るらしい。なので意味の通らなかった箇所を直してもらったりした次第。


「っていうか、それより驚きなこと。ミホカって……中3だったんだな」


「はい」


「おれの一個下?」


「そうですよ?」


「思わなかった」


「えっ。だって、昔言ってませんでした?」


「いや、忘れてた。同い年だと錯覚してた」


 転がっていた枕を引き寄せ、頭を載せて転がった。おれはまだ彼女のことを何も知らないようだ。涼しい風が、網戸から吹きこむ。


「……楽しかったです。この夏休み」


 ミホカが呟いた。

 卓袱台の下から、彼女の膝頭が見えた。穿いている靴下は初めて会った時のように、白くてゆるめだった。


「うん―――」


 黄昏時の淡い空気に、声が吸いこまれていく。

 根詰めすぎたせいか、なんだかやたらと眠たい。目を閉じれば荒野を走る睡魔の列でも見えてきそうだった。


「シントさん、変な質問してもいいですか?」


 彼女は積み上げている布団を背に、身体を休めているらしい。おれとはちょうど反対になる位置で、相変わらず表情は窺えない。


「いいよ。何?」

 ぬくい眠りの中に半分足を入れたまま、話を促す。


「もしもいま、ひとつだけ願いが叶うとしたら、どうしますか?」


「――願い? そうだな……」


 そう言やミホカって、昔っから時々こういう変な質問をしてくるんだよな。

 大した意味はないんだろうけど、なかなかない機会だし、ちょっと本気になって考えてみた。

 そうして、自然と口を衝いて出たのは、


「みんな幸せにしてもらう、ってのはどうかな」


 そう答えた。


「みんな……?」


 ミホカはキョトンとした表情で、こちらを見たようだった。

 ああいけない。この発言だけ聞くと、おれが聖人君子か何かと勘違いされてしまいそうだ。それは否定しておかないとな。実際、全然そんなことないんだから。


「ああ。これ、そんな立派な考えじゃないんだよ。この「みんな」の中には、おれ自身も入ってるから。せっかく願いを叶えてもらえるんだから、自分が幸せになりたいのは当然だろう? だけど、」


 おれは仰向けになって、軒下から覗く空を見ながら、


「もし本当に何でも叶うんなら、おれだけじゃなくて、みんな一緒に幸せにしてくれていいんじゃないかって思うんだ。

自分が不幸な時、どんなにつらくて悲しいかは、知ってるからさ。そんなんで、おれひとりだけ幸せになっても、心から幸せには……なれないような気がするから」


「……そう―――ですね」


 もしここで、『でもまずは誰よりも、君と幸せに』と言えたら、なかなかカッコイイ告白の(っていうか最早、プロポーズの)台詞になってたことだろう。いまでも少し……いやかなり……悔やまれることだ。


 だけどこの頃のおれは、愛とか好きとか、そういうものを、いつか神様がくれる感情だと思いこんでいて。そういう思いに、愚かなくらい正直だったから、


「ミホカは? ひとつだけ願いが叶うとしたら、どうする?」


 気持ちを曖昧なまま伝えることはせず。彼女にも、同じ問いかけを返した。


「わたしは………」


 ミホカの言葉が詰まった。

 どうしたのか気になって、おれが顎を引くと、視線に気づいたらしく彼女もこちらを向いた。ミホカはすごく澄んだ目で笑って、


「シントさんのお願い聞いたら、言えなくなっちゃいました。わたしのは、もっとずっと、ワガママなお願いなので」


 ハニカミながら言ったけど、彼女の願い事が何だったのかは分からなかった。




 ……というのも、それから2人とも睡魔にやられたからで。

 目が覚めると、外はすっかり暗くなっていた。


「――っ? もう夜?」


「え………。あ、ほんとだ!? いま何時ですか?」


 慌てるホミカに尋ねられ、おれは起き上がる。


「ちょっと待って、時計見……あっ――」


「え――…?」


 何が。

 起こったのか。


 自堕落な一夏を過ごしてすっかり散らかっている部屋。木の根っこのように絡まったコンセントのタコ足配線に、足を引っかけたことまでは解った。

 でも、なんてことだ。

 いつか・どこかで観た古いアニメのワンシーンのように、おれは彼女の上に覆いかぶさってしまっていた。そんなアニメやマンガは千本くらいあるので、元ネタを尋ねられたって困る。


 腿のあたりに感じる人の温もりと、手の平に押し付けられている円やかで柔らかな塊。もう片手は長い髪の房の中に没入していサラサラした手触りだ。昔読んだマンガでは男女の位置が逆さだった気もするが、そんな些細な違いは大した問題ではない。

 それよりも、もっと大きな差異があった。だいたい、躓いて転ぶ時は勢いが付いているんだから、とっさに手を出したって人間の体重を全部支えられるものではないのだ。たしかに大事にならぬよう、勢いは殺せたさ。でも道ばたで転んで手を付いて、無傷でいられた例しがあるか? ないだろう。空から落ちてきた少女を無傷のまま受け止めたり、崖から落ちそうになった悪役の手を取って助けたり、そんな簡単にできるかっての。つまり、何を言いたいかというとさ、すなわち、要するに、


 唇が重なっていた。


 どう控えめに見ても、言っても、取り繕っても、これは――――口づけ。


 しばらく、おれと彼女の世界は止まっていた。


 静止した夜明かりの中で、ふたりは棺桶から蘇ってきた死体のように、よろよろと起き上がり、


「……きょ、今日は見送りはいいです。でわまた明日ッ」


「あ、ああまた明日……。ア、でもおれは明日学校…」


 言い終わる前に、顔を真っ赤に染めたミホカは家から出ていった。夕焼けが頬に残っていたわけでは、たぶんない。

 ファーストキス――。

 それは聞いていたように、かすかに甘く、酸っぱくもあって、

 ちょっとだけ、イタかった。



 その夜のことである。


 世界各地で、天空にオーロラのように光り輝く、ふしぎな光の奔流が目撃された。


 光はなぜかカメラにも映らず、各国の気象庁や天文台は異常を観測しなかった。べつだん被害もなかったことから、次の日のワイドショーやSNS、お茶の間をいくらか騒がせただけで、この出来事はすぐに忘れられた。

 一説によれば、光は神社や寺、教会、モスク、シナゴーグ、神殿、あるいは神聖と言い伝えられる山や湖、木や石など、そういった場所での目撃談が、最も多かったそうだ。

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