八番地(仮)

大豆

開演

時は平安時代。西暦864年。

有名な陰陽師、安倍晴明が生まれるおよそ100年前。

京の都には素晴らしい陰陽師がいた。

彼の名は、重長公明(シゲナコウメイ)。

貴族のお抱え陰陽師である。

公明は、丑三つ時に馬の式神の紫に乗り、京の都を見回っていた。


「最近、また妖が出たようでな。公明、お主目を光らせておらぬのか?

まろに何かあったらどうしてくれるのじゃ。」


そんな事を言われたのは今から4日前。

ふてぶてしい面で、ふんぞり返り貴族は言う。


「申し訳ございません。」


貴族はふんっと鼻を鳴らした。

ここ2週間あまり、京都の妖はなりを潜めていた。

公明自身、ほんの少し油断はしていたのかもしれない。

その事について、公明は頭を下げる。

ただ、結界はしっかり施しているため、貴族の屋敷には忍びこめないはずだ。


「しっかと目を光らせておけよ。」

「かしこまりました。」


貴族の屋敷に呼ばれてから毎夜、公明は京の街を回っていた。

しかし、公明が回るせいか、妖たちは気配を消し、姿を表そうとはしない。

嵐の前の静けさというものだろうか…

公明は少し頭を悩ませる。

すると、急に紫が歩みをとめた。

それと同時に、公明も何か嫌な気配を感じ、顔を強ばらせた。


『嫌な気配がします。』

「あぁ、私もだ。」


何かおぞましいものが、先からやってくる感覚。

公明は紫から降り、素早く印を結び、結界を張る。


「これは久々に大物だな…」


全身の毛が逆立つような悪寒がした。

紫も公明の後ろで戦闘態勢をとる。

抽象的な姿が近づくにつれ、だんだんと鮮明になっていく感覚。

辺りに悪臭が漂う。


「なんだァお前?」


低くビリつく声がしたと思うと、黒い地面からソイツは姿を現した。

公明の予想通り、かなりの大物。

コイツは、東の方で悪名高い妖、童乾(ドウケン)だ。

大きな口に、真っ黒な巨体の中に浮かぶ赤い瞳。

その目が、公明を捉えた。


「おまェ陰陽師だな。この結界を退かせ。」

「断る。」


童乾は、公明が張った結界のせいで前に進めないらしい。

低い声で威圧をかけるが、公明は毅然とした態度で言い放った。


「どかせぇええ!!!」


大きな声を上げ、童乾はその巨体で結界を壊そうとする。

しかし、公明はこの京都ではなかなか名の知れた陰陽師。

童乾の力では壊すどころか、跳ね返されてしまう。

飛ばされた童乾は、受身を取り、もう一度公明の元へと走る。

今度は、結界の力と童乾の力がぶつかり合い、辺りに砂埃が舞った。


「お前の縄張りは東だろう。何故、この京都に足を踏み入れた。何用だ。」


公明は印を崩さずに問いかけた。

しかし、童乾は何も答えず、ただひたすらに結界を崩そうとしている。

流石は東で悪名を轟かせるだけはある。

最初の攻撃は少し力を抑えていたのだろう、今は公明の結界の方が押し負けそうだ。


『加勢致しますか?』


先程まで少し尻込みしていた紫が、平静を取り戻し公明に問いかけた。


「いや、大丈夫だ。」

『ですが…』


いつも悠々と妖を倒す公明が、いつになく真剣だ。

紫は、不安そうな顔を見せる。

式神にこのような顔をさせてはいけないな。


「ーーー」


公明は何か難しい言葉を口にしたかと思うと、結界を解くと同時に、「爆」と唱える。

すると、大きな爆発音と共に、童乾の体が遠くへ吹き飛んだ。

公明は、ふーっと一息付き、紫の方に体を向けた。


「紫、お前は今すぐこの場から去りなさい。」

『何故ですか?私は式神です。貴方様と戦います。』

「今夜は月が出ていないからね。私も存分にチカラが出せないのだ。」

『それならば尚更…!』

「お前には頼みたいことがあるのだ。アイツの元へ、これを届けて欲しい。」


公明は、懐から文を取り出し、紫に渡す。

紫はじっと主人を見つめ、目を離そうとしない。

この場を離れることが心配で仕方が無いのだ。

できれば使いたくなかったのだが…


「紫、これは命令だ。」


こう言えば、式神である紫は従わざるを得ない。

命令という言葉で縛るのは本当は嫌だ。

しかし、この状況では致しかたない。


『…御意。』


紫は、瞼を閉じ、ようやく公明を瞳から外した。

そして、最敬礼をしたかと思うと、そのまま空へと走って行く。

紫の姿が見えなくなるまで見届けると、公明は、童乾の元へと歩く。

近づくにつれ、妖を独特の傷ついた臭いが辺りに立ち込める。

そこには、何とかして起き上がろうとするも、半身が傷ついた童乾がいた。


「おのれ陰陽師!!!」


悔しそうに吼える童乾と目線を合わすべく、公明は地面に膝を着く。


「童乾。私はこの京の都を守らねばならない。

そのためには、お前をこのような目に合わせる必要があった。

しかし、私とてお前を殺めたいわけではない。

どうだ?ここは1つ、私の意を汲んで東へ帰ってはくれないか?

もちろん、そこでも悪い事は控えて欲しい。

お前の望みがあるのであれば、私からあちらの陰陽師へ話を通しておく。どうだ?」

「断る。俺の望み?そんなものはない。俺はただ幼子を喰いたいだけだ。」

「何故だ?」

「知るか!!!」


童乾の低い怒鳴り声が響く。

その声も、そこら辺の人間であれば軽く吹き飛んでしまうほどの威力だ。


「そうか…そうであれば私はお前を生かすわけにはいかない。

私は人間として生を受け、陰陽師として生きている。

陰陽師は人に災いをもたらす妖を退治しなければならない。さらばだ、童乾。」


公明は、そう悲しそうに良い、印を結ぶ。

そしてまた小さく呪文を唱えた時だった。


「うっ…!」


何かが公明の背中を貫き、ポタポタと、血が数滴地面に落ちた。

そして、襲ってくる激痛で、公明はその場に倒れ込んだ。

呼吸がだんだんと荒くなっていき、脂汗をかき始める。

これは…弓矢か…しかも、ただの弓矢ではない。

おぞましい力が含まれている。


「くっ…」

「あの方だ!あの方が助けて下さるんだ!」


童乾が公明の傍らで嬉しそうに言うのが聞こえる。

だんだんと意識が朦朧として来る中、公明はまた呪文を唱え、「封」と口に出した。

そして、その言葉を最後に、公明の呼吸は止まった。


西暦864年、7月2日。

重長 公明は、齢28歳にしてその生涯を終えた。

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