ほんの少しだけの想い

  



「あの時、ですか?……握手会?」


「いや、違うよ?」


「……地下時代のライブ?」


「んーん」


「……武道館?」


「もう、ちがーう!」


「えー……」


 どうやら、私が約4年間にも渡り大切にしていた、人生の転換日ともいえる日は彼の心には残っていなかったらしい。だけど


「ぷ」


「なんで笑ってんすか……」


「いやー?本当に君は誰にでもあんな感じなんだーっと思って」


 彼のその反応に私は心の底から喜んでいる。分かってはいた事だけど、やっぱり彼は私だからではなく言ってたんだなぁ、と。本気で私を愛して、日常的に私を広めようとしてくれてたんだなぁ、と。彼の何気ない日常に私がいる。その事実が私にはたまらなく嬉しかったからだ。


「あんな感じってなんですか?」


 『あの時』とは一体いつなのか。そう考え、記憶の中から『あの時』を探していたのか、少しの間沈黙がその場を包む。そして、自ら作り出した沈黙を破るかのように、彼は突然寝返りをしてこちらを向くとそう言った。


「な、なんでこっち向くの!?」


「いや、会話なんですから目は見ますよ。ま、まぁ、たしかにこの距離は想定してませんでした。すみません……」


「う、ううん……」


 胸がドキドキしている。私は彼の顔を数秒見つめると、元の位置に逃げ帰るように、もう一度寝返りした。流石にこの距離感はまだ慣れれないでしょ……


「……寝れないんですか?」


「うーん。そう、だね……ねぇ、大地くんってずっと私のファンでいてくれてたんでしょ?」


「え、あ、はい!本人を前にしていうのは少し、恥ずかしいです、けど」


「そんなことないよ。ずっと君たちの存在が本当にありがたかったし。私が頑張れたのは本当に……君、たちのおかげだよ」


「そんな!こっちの方があなたから元気を貰えてましたよ。でも、お役に立てていたならよかったです……」


「……ね!思い出語り合いっこしようよ!」


「語り合いっこ、ですか?」


「うん!知り合ったのはつい最近なのに、私たちには共通の思い出が、そこら辺のカップルなんかに負けないくらいある。これってさ、すっごく特別ですごい事じゃない?」


「た、たしかにそうですね……」


 少し動揺したような声が背中越しに返ってくる。きっとカップルって単語に反応したんだろうな〜、かわいい。けど、そういう単語には反応するのに、君はこの特異な状況には慣れつつあるんだよね。やっぱり、君はおかしいよ。


 私の口角はそんな事を頭で考えながら、次第に上がっていった。彼がおかしいって思って嬉しいなんて、私のがおかしいじゃん。でも、彼があの時と変わってなさそうで、本当に良かった……


「ねぇ、君はいつからファンでいてくれてたの?」


「えと、2回目のライブに行ってからです、ね。あの時の衝撃は凄かったですよ、本当に天使かと……」


「あはは……いざそう言われると、少し照れちゃうね……」


 それからの私たちの夜は、あの苦く、儚く、形容し難い程に美しい思い出を翔けていった。


 アイドルとファン、その二つの存在は限りなく近く、果てしなく遠い。だが、この夜。愛する人の温もりを背中越しに感じる特別な夜に。交わっているようで、決して交わる事のない筈だった二人の運命は、本来の意味で初めて交わったのだった ——





「でさ、あの時のダンスで使う筈だったシューズを練習で使ってたから、案の定車に乗せたまんまで本番に忘れたの。もう、マネージャーさんにめちゃくちゃ怒られてね……ちょっと、大地くん?聞いてる?」


 ……彼からの返答がない。そう言えば、さっきから相槌が単調だったような。もう寝ちゃったのかな、いい時間っぽいししょうがないか。


 楽しかった。今こうして笑って話せる話題が出来ていると思えば、結果論ではあるけどあの辛かった日々も捨てたものではないのかもしれない。いや、そう思えたのもこの人の存在があってのものか。


 私はもう一度寝返りし、彼の方を向く。目の前に広がるのは彼の大きな背中だった。少しだけ肩が上下に動いている、きっと彼は夢の世界へ行ったのだろうな。


 私は上半身を静かに起き上がらせ、眠っている彼の顔を眺める。綺麗な寝顔、彼は今何を思っているのだろう。


 でも、私のことを夢見ているならいいなと私は思わない。だって今の彼はきっと私の夢を見てくれている。そう確信しているからだ。これ程までに自信過剰になってしまうほど、彼は私に自身の持ち得る全ての愛をくれていた。




「……私はやっぱりまだ、弱虫で、君を見たら緊張をしてしまって、気持ちなんか全然伝えられそうにないけど。


 ……私ね、あの時、本当はアイドル辞めようと思ってたの。ファンのみんなを楽しませる事もできないし、何をしてもうまくいかないし。なにより、自分自身が一番楽しくなかった。


 でも、ね。あの時、私には応援してくれるファンのみんな、そして、君がいるって教えてくれたから。必ず見ていてくれてるって知れたから。私、ここまで頑張ってこれたんだよ?


 ……さっきも言ったけど、まだ私はあの時のように弱虫のままだから、もう少し、もう少しだけ待っててね。だから今日は、本当のお礼じゃなくて、今までのほんの、ほんの少しだけのお礼……」



 そうして、私の唇は寝ている彼の右頬と重なる。




「本当にありがとう、大地くん。……大好きだよ」




 顔をあげ、愛おしそうに寝ている彼にそう言うと、彼女は布団へと今一度戻った。長年心に秘めていた狂おしい程の純愛を、ほんの少しながらでも外に出す事ができた。この成功体験が彼女を少しだけ大胆にさせるのだが、それはまた別のお話。


 そして、皆はお忘れではないだろうか。この場にはアイドルとファンだけではなく、もう一人存在しているということに。


((え、え、え?リサがダイチにキ、キス???リサってダイチが好きだったデスカ?なんて言ってたかは分かんないですけど、キスしましたヨネ!))


 ベッドから布団のお二人を静かに眺めていた、東城・K・エリー。二人の夜の秘事を珍しくも静かに見守っていた彼女は、現在顔を赤らめていた。


 理由は単純。李梨沙が好きな人の前では、顔をしかめてしまうように。優里が恋愛話に動揺してしまうように。彼女は本当にこういう場に出くわした事がないからである。


 ようは免疫がないのだ。そして、それは時に脳に重大な勘違いを生む事象にもなり得る。


((さっきから胸がドキドキします。二人のキスを見てから……き、聞いた事があります。好きな人を見たらドキドキすると……))


 そしてその事象はこの夜もまた一人、新たな被害者を生むことになる。


((もしかして、本当は私って、ダイチの事が好きなんデスカ!?!?!?))


 ……はたして、この純粋な勘違いから生じた想いがいつか本当のものになり得るのか、現段階では定かではないが、ドキドキしている二人の女性と、ぐっすり眠っている一人のバキバキのオタク。三人にとって特別な夜になったということは確かなことだろう ——




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新作短編


『誤作動から始まる隣人お姉さんとの同棲生活』


を掲載しました!お時間がありましたら是非とも御一読お願いたします!!

▼URL

https://kakuyomu.jp/works/16816700427713931088


続きが早く見たい!面白い!と思っていただけたら是非評価、お気に入り、レビュー、ブックマーク等をしていただけると助かります!創作意欲がさらに高まります!



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