第19話 物分りのイイ女

「は!?おっさんが!?嘘だろ!ビッチだし近親相姦もする女だぞ!?おっさん騙されてるよ!悪いこと言わねーからこの女、やめとけ!」


課長を“おっさん”呼ばわりした事もだが、詐欺師呼ばわりでカチンと来てしまい、壁にもたれながら食って掛かった。


「誰が近親相姦なんかしたのよ!見てないくせに嘘言わないで!弟とは仲良いけど、するのはお断りよ!勘違いも程々にして!いっつも早とちりばかりで、人の話も聞かない、莫迦!クソが!」


「うるせー!不感症女!」


「アンタが下手くそなのよ!独りよがりなsexばっかで!本当にアンタみたいな下手くそと4年も付き合ってたって思うわ!死んでしまえ!ドヘタ!」


「おっさん、この口の悪い女は絶対やめといた方がいい!先月、この女はホテルから男2人と出て来たんだぜ!」


その言葉に一瞬、課長は目を大きく開いた。

一番知られたくない事を。

完全に“あばずれ”だと思われただろう。

すると、課長は道路側の通路に元カレを力ごなしに突き飛ばすと


「へ〜お前、そんな事したの」


「ちが、」


反論しようとした私の唇を塞いだ。

驚きの余り胸を叩こうとしたが、あっさりと侵入して来た舌に翻弄されてクッタリと課長の胸に落ちると


「お仕置きされたくってそんな事したのか?」


悪魔の笑みを浮かべた。


「あー、悪いけどお前に構ってる暇ねーから、さっさと消えろ。次、嬉子の前に現れたら、」


そこまで言うと元カレが、ヒッ、と喉を鳴らすのが分かった。

バタバタと足音を立てて逃げ出していく。


年を取って少し丸くなったと言えど、まだまだ『鬼軍曹』の貫禄十分。

8年の付き合いがある私でも、怒った時の顔は未だに怖いのだから。

課長と付き合っていると思い込んでくれているなら、金輪際、近寄って来る事はないだろう。

玄関を開け私を下ろすと、外に散乱している荷物の事を尋ねられた。

頷くと、取って来るから、と玄関が締まる。

部屋に入った事と元カレが去った事に安堵したのか、自分が熱い事を思い出し指先が震えて、躰に纏っている衣類が少し肌を擦るだけでも声が出そうで、私は怖くて泣いていた。




…何時の間にかバスルームの床に服のまま座り込み、シャワーで水を浴びていた。

水は冷たいのに躰の芯は熱く、息が荒くなる一方。

自分の躰なのに自分の躰では無いような気がして来て、怖くて涙が止まらない。


「ふっ…、うっ、…こわいよぅ、だれかっ、たすけ、てっ、だれか、」


自分の躰を抱きかき嗚咽を漏らせば、名前を呼ばれたような気がする。

のろのろと顔を上げたそこには真っ青な顔をした課長が立っていた。


「か、ちょ…ぅ?」


「冷てっ!お前、何やってんだ!」


お湯と思っていたのが水だったので怒っているのか、服が濡らしながらも水を止めれば、バスタオルを探しに脱衣所に戻って行く。

バスタオルを探し当てるとそれで私を包み、脱衣所に引っ張り出した。


「あっ!や、んっ、」


バスタオルが肌に擦れただけでも感じてしまい、そこから絶えず吐息が吐き出される。


「え…?お、お前…」


ごくり、と課長の喉が鳴ったのが分かった。


「たすけて、」


「嬉子…?」


「幸司さんっ、こわい、たすけて、躰が、あつ、ぃ」


最後の言葉は課長の唇に吸い込まれた。







ーーーーーーーーーー

「ーーー嬉子」


名前を呼ばれて眠りから覚めれば、そこには風呂上りの課長が居た。

時計を見れば既に昼を過ぎ。

前のボタンは止めてないが、昨日、会った時と同じ服を着ている。

多分、帰るのだろう。

のろのろと躰を起こし、手渡されたペットボトルの水を口に含む。


「大丈夫か?ちょっと羽目外してしまった。悪い」


「いえ…」


視線を逸らし、ため息を吐く。

言わなければ。


『…大丈夫。物分りのイイ女を演じられる。3年前だって綺麗に終わらせて、ちゃんと上司と部下に戻れたんだから、今回だって大丈夫。』


「あの、」


「ん?何だ?あの男が言った事なんか信じたりしてねーから心配するな」


「いえ、別にそれは、…いいです…。課長。して頂きありがとうございました。恩着せたり、お相手に言ったりしませんので。あー、課長にはホント申し訳ない事させてしまったんですけど、私は何とも思っていませんので、安心してこの事は忘れて下さい。それに、もうすぐ生理予定日なんで、子どもの事も心配もしないで下さい」


深々と頭を下げてみせ、仕事用の顔を作ってみせた。


「嬉子。お前、何言って…。俺は、」


「すいません。金曜の夜、立ち聞きしてしまったんです。課長が、…その、女性と角のコンビニで待ち合わせして、ラブホに行く話をされているのを」


「あ、」


驚きを隠せない表情。

反対に表情を崩さぬように、感情を露わさない様に、必死で歯を食いしばる。


「お相手を詮索する様なマネもしませんし、」


「嬉子!」


急に怒鳴られたので、びくりと躰が跳ね、私は黙ったまま課長を見詰めた。


「あ、…怒鳴って悪かった…」


「「……」」


ほんの少しの沈黙。


「金曜の夜は、確かに女とラブホに行った。…だがそれは、」


「私には関係の無い事ですよ。課長が何をされようと、誰と付き合おうと」


理由はどうであれ、これ以上は駄目だ。

相手がいる人にをさせてしまったんだから。

だから、ここで、きっぱりと…。


の介抱なんてさせて、申し訳ありません」


「嬉子、お前、」


「触らないで!」


伸ばされた腕を避け、布団で躰を隠して距離を取る。

物分りの良い女を演じたかったのだが、私には無理だ。


「他の女、抱いた手で、触らないでよっ、…お願いだからっ、」


恋愛感情を押し殺して側に居る。

そう決めたのに、あんなキスされたら勘違いしてしまって、決心が揺らいでしまっていた。


「帰って下さい。私も、忘れますから」


「嬉子、話を聞いて、」


「名前で、呼ばないで下さい。南課長」


精一杯の強がり。

ここまで突っ撥ねれば、可愛げの無い女だ、と嫌ってくれるだろう。


「…なら、何で泣くんだ」


「え?」


「何とも思っていない、忘れるって言ってる奴が、何で泣くんだ」


課長が一歩、一歩と近づいて来る。

ずりずり、と私も後ろに下がると壁に背がつき、それ以上動けなくなった。


「嬉子」


優しい声。

このまま何も考えずに課長の胸に飛び込めたら、どれだけいいだろう。


その時。


カタン、と玄関の方で音がして私達は2人して玄関に目をやった。

まさか、と思っているうちに玄関は開き


「姉貴ー。取りに来たぜー」


と慶史が何時もの様に入って来たのだった。


何かあった時様にサブキーは慶史に預けているのだが、この状態は非常にヤバイ。

慶史は今迄の事を知っているので、課長の事を良く思っていない。

その上、私は裸で、泣き顔。

課長は服を着ている、と言っても前ははだけているし、完璧な風呂上り。

誰がどう見てもヤッた後。

絶対にこんな姿を見たら激怒するに決まっている。

金曜の夜、電話した際に仕事に行く前に何か取りに来る、と言っていた事をすっかり忘れていた。


『…そうだ!課長にはここに隠れて貰って、服を着て私だけ出て行けばいいんだ!』


善は急げ、と思ったのだが。

ダイニングキッチンとの間仕切りの戸が開いていて、怒りに震えた慶史が私達を見ていた。

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