第14話 帰宅後の一難

「先生、本当に泊ってもいいんですか?」

「家の前まで来てそれを言うのか」


 申し訳なさそうな声で言うカルミラに返し、俺は家の鍵穴に鍵を差し込んだ。

 中将との通信を切った後、これ以上外にいる意味はないと判断した俺はカルミラを連れて帰路に着いた。その道中は特に何事もなかったのだが、いざ俺の家を前にした途端に罪悪感が湧いてきたらしい。


「家主である俺がいいって言ってるんだから、特に気にする必要はないだろ。それに、俺はこの寒空の下にお前を一人で外に放置しておくことの方が罪悪感が湧く」

「いや、でも迷惑に……」

「ならないから安心しろ。ほら、中に──」


 扉を開けて正面を向いた時、俺は少しだけ驚いた。


「せ、セレーナ?」


 扉を開けてすぐの廊下で、俺が帰ってくるのを予想していたかのようにセレーナがエプロン姿でそこに立っていたのだ。その綺麗な顔には笑みが張り付けてあるが……何故だろう。瞳に温度を感じない。いや、寧ろ殺気すら感じる。


「おかえり。そっちの子は、塾の生徒さんだよね?」

「そ、そうだ。俺の教え子で、レナンス中将の娘さんだよ。ちょっと家に居づらくなったみたいで、今晩はうちで預かることになった。勿論、中将の許可は取手ある」

「お、お邪魔します」


 緊張した様子で家の中に入るカルミラ。セレーナに怯える素振りがないことから、この冷たい視線や殺気は俺だけに向くよう精密なコントロールをされているというわけかッ!? い、いや、待て、落ち着け。俺は後ろめたいことをした覚えはないぞ? 間違ってもセレーナを激怒させるようなことはしていない!

 俺が脳内で危機的信号を発しながら思考を巡らせている間に、セレーナはカルミラに向かって笑顔を向けていた。


「いらっしゃい。レナンス中将の娘さんだから、カルミラちゃんだった?」

「は、はい!」

「名前を憶えていてよかったよ。ここを真っ直ぐにいったらリビングだから、ちょっとそこでくつろいでいてくれる? 机の上にあるお菓子は好きに食べていいからね。私はちょっと……ソテラとお話があるから」

「ちょ──ッ」


 カルミラの返事も待たずにセレーナは俺の腕を掴み──とてつもない力だ──寝室へと強制連行した。残されたカルミラの反応は見ていないが、足音が聞こえたことから恐らく言われた通りリビングに向かったのだろう。

 俺はまるで暴漢に襲われる乙女の如くベッドの上に放り投げられ、仰向けに倒れた俺の腹にセレーナが馬乗りになった。


「せ、セレーナ? 俺はどうしてこんなことをされているんだ?」

「ん? 言われないとわからない? いや、惚けてるって線の方が濃厚かな」


 温度のない冷たい瞳で射貫かれ、俺の心臓はバクバクと鼓動の速度を加速させる。いや、本当になんでこんなことされているのかわからないんだが──俺は起き上がろうとしたが、何故か両手が思うように動かない。視線を上に向けると、ベッドの柵に手錠で拘束されていた。い、いつの間にッ!?


「ま、待てセレーナッ!! 何をする気だ!」

「浮気されたんだから……当然ソテラを殺して私も死ぬんだよ」


  虚ろな瞳で俺の首に両手を伸ばすセレーナを必死で止める。このままでは、本当に殺されかねない。


「まずはどういう経緯でこうなったかの説明をしろッ!! そもそも浮気ってなんだ!! 俺はそんなことした覚えは何処にもないぞッ!!」


 俺が叫ぶように問うと、セレーナ目尻に涙を浮かばせ──ポケットの中から赤いルビーのネックレスを取り出した。


「じゃあ、このネックレスは何!? なんでセレルの机の引き出しに大事そうにしまってあったの?? 誰か、私に言えない人にプレゼントするために買った物なんじゃないのッ!?」

「それが原因か……」


 俺は思わず瞼を下ろし、気疲れから盛大に溜息を吐いた。確かにセレーナに見せたくなかったのは事実なのだが、それは他の女に上げるためのものではない。寧ろ、誰にも見せるつもりはない代物だ。


「ねぇ、これは何? 何処で買ったの? 誰に上げるためのもの? どうして私に隠していたの?」

「落ち着け。あと質問をいっぺんにするな。ちゃんと答えるから、とりあえずこの手錠を外せ」

「……」


 俺に対して疑いの目を向けたまま、セレーナは指を鳴らす。その途端、パキンと音を立てて手錠が外れ、俺の両手は自由を取り戻した。魔法で手錠を操っていたとは、油断も隙もないな、全く。

 俺は仰向けになっていた上半身を起こし、ベッドの端に足を投げ出した。


「それはこの前、元帥に呼び出された時に貰った、結婚祝いだ」

「結婚祝い?」

「あぁ。どうやら、元帥は俺とセレーナが結婚したと勘違いをしていたらしくてな。それで、セレーナが着けたら似合うんじゃないかってことで」

「そ、そうだったんだ……ごめんね、私の早とちりで」

「全くだ」


 このネックレスが原因で殺されそうになるとは……余命が尽きる前に死ぬのは御免だぞ。まだ何の目的も達成していないんだから。

 俺は再び溜息を吐く。仕事から帰ってきた後のほうが疲れるってどういうことだ。本来家は、仕事での疲れを癒すためにあるものだろう。軍人時代も退役後も、気苦労からは解放してもらえないらしい。己、あの爺め。

 と、胸中でブツブツと愚痴を零していると、セレーナが不意に俺に問うてきた。


「でも、どうして引き出しの中に隠していたの? 間違いだとしても貰った物なんだし、私に見せてくれてもいいじゃん」

「……お前にそれを着けてほしくなかったんだよ」

「え? どうして?」


 いまいち意図が伝わらないな……。いや、この短い言葉だけで意図が伝わらないのは当然なんだが、それでも汲み取ってほしいという思いを抱いてしまう。

 とはいえ、それは我儘というものだ。俺は隣に座るセレーナの方を向き、声量を落として答える。


「あの爺からの贈り物をセレーナが嬉々として着けている姿を見るのが、ちょっと……いや、凄く嫌だったんだ。できれば、お前には俺が送ったものを身に着けてほしいから」

「……嫉妬するから、ってこと?」

「態々言葉に言い表さないでくれよ。普通に恥ずかしい」


 思わず片手で顔を覆う。

 実際に言葉で言い表されると、かなり心に来る。主に羞恥心が。もう子供でもないのに、セレーナが他人から贈られたプレゼントを身に着けている姿に嫉妬を覚えるなんて……幼稚な話だ。あぁ、こんな感情を抱く俺が嫌になる。自分では大人になったつもりだったんだが、実際はまだまだ未熟だったらしい。


「そっか……」


 俺が片手で顔を覆い、若干熱くなった顔を隠していると、隣のセレーナは先ほどとは打って変わって喜びを含んだ声音で呟いた。


「意外と可愛い所もあるんだね」

「うるせぇな。笑ってろ」

「うん。笑っちゃうよ。でも、ちょっと嬉しいかも。それだけ私に独占欲を抱いてるってことでしょ?」

「そう、だな……。少なくとも、お前と同等以上には抱いてると思う」

「それが知れたのは、嬉しいよ」


 なんだ、この甘ったるい空気は。

 この雰囲気を創り出しているのは俺とセレーナの二人なのだが、思わず胸中でそうツッコミを入れてしまうくらい、今の寝室は先ほどまでの殺伐とした修羅場から一変していた。とにかく、誤解が解けて、そして殺されなくてよかった。

 俺は安堵の気持ちでセレーナと共に寝室を後にし、カルミラが待っているリビングへと入った。


「悪いな、ちょっと野暮用で」

「あ、いえ」


 カルミラはリビングのソファに座っており、机の上に出されていたクッキーを数枚齧っていた。この家の寝室は防音なので、恐らく先程の騒ぎは聞かれていないだろう。聞かれてたら、滅茶苦茶気まずかっただろうな。防音でよかった。


「ごめんね、待たせちゃって。すぐに夕食作るから」

「あぁ、これ調味料」


 頼まれていた調味料を手渡し、それを受け取ったセレーナはすぐにキッチンの方へと向かおうとし──一歩踏み出したところで足を止め、カルミラの方へと向かった。その手には、あのルビーのネックレスが。


「これ、カルミラちゃんには似合うんじゃない? ほら、髪や瞳も綺麗な赤色だし」

「えっと……」


 状況をいまいち理解できていないカルミラは困惑気味に俺を見るが、俺は微笑みを返すだけに留めた。別に何か危険なことをするわけではないし、そのままされるがままになってくれ、という意味を込めて。

 その間に、セレーナは手にしていたルビーのネックレスをカルミラの首に下げた。


「ほら! 凄く似合ってる!」

「そ、そうですか?」

「そうだよ!! 私は付けないし、欲しかったらカルミラちゃんが貰ってもいいよ?」

「い、いえ! それは流石に──」


 と、カルミラが赤いルビーに指先で触れた──直後、カルミラが触れたルビーの場所を起点として、一瞬だけ膨大な魔力が放出された。

 物体を動かす程の力や、持続時間はない。人の瞬きほどもない極僅かな時間ではあったが、確かにマナの放出を確認できた。


「な、なんだ……今の」

「カルミラちゃんが宝石に触れた瞬間、だったよね? でも、今はマナの波動を感じることはできない」


 俺はセレーナと顔を合わせ、今の現象について短く言葉を交わす。

 そんな中、当人であるカルミラは俺たちがどうして驚いているのかわからない様子だ。


「あの、お二人とも、どうしたんですか?」

「「……」」


 俺たちは再度顔を見合わせ、黙っておいた方がいいという選択を出し、カルミラに向き直った。


「何でもない。ちなみに、その宝石は歴史的価値も高いらしくて、宝石商に持っていけば皇都の広大な一等地を買えるほどの値段になるそうだ」

「よ、余計に貰えません! というか、そんな高いものをあげるって言わないでください!」


 早く外して! と訴えるカルミラに苦笑しながら、セレーナはネックレスを外す。

 今の現象は一体なんだったのか。

 俺は一抹の疑問を抱えながら、赤い宝石を注視し続けた。

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