第12話 欠席者
元帥に抗議の連絡を入れた翌日。
今日は久しぶりに青い空が天上に広がり、低い位置ではあるが陽光が街全体を明るく照らす快晴だった。気温も一桁台まで上昇するので、屋根や地面に積もっていた雪が多少なりとも溶けて水に変化することだろう。
まぁ、暖かくなるのは今日一日だけで、明日からはまた気温がぐっと下がると予想されているので、明日の朝は雪解け水が氷に変化して道が滑りやすくなっているので、あまり喜ぶこともできないが。
昼時、俺は雪が少なくなった道を歩いて塾に向かい、授業内容の確認や教材の範囲などを確認していた。今日の範囲は少し難しいので、生徒たちがしっかりと理解することができるか不安なのだ。彼女たちは頭の方は大分優秀なので、心配ないとは思っているが、ちょっとだけ不安が残る。
どんな形で教えればわかりやすいかを考えながら教室で待機すること十五分。
『ソテラ、来たぞ』
相変わらず礼儀も何もない機械声と共に教室の扉が開かれ、エルシーとオリビアの二人が入ってきた。食後なのか、エルシーは若干眠そうに瞼を擦っている。
「昼食を取ったばかりで眠いのか?」
『いや、昨晩は妹たちが身体の上に乗ってきたので、全く眠れなかった。だから眠い』
「なるほど。孤児院での生活も大変だな」
『年長者の務めだから仕方ねーけどな』
十三歳で年長者とは、さぞかし下の子供たちの世話で苦労していることだろう。
エルシーは三人の中で唯一、親が軍幹部ではない。それどころか、俺と同じく孤児で、赤ん坊のころに孤児院の前に捨てられていたところを、院長が発見し引き取ったらしい。俺はエルシーが暮らしている孤児院の院長とも知り合いなので、退役して塾を開くと言った時にエルシーも一緒に教えてくれと頼まれ、了承したのだ。彼女も、特異な体質の持ち主だったし。
「仕方のないことかもしれませんけど、授業中に寝ないでくださいよ?」
『それは保障できねーな。人間は大きな欲求には抗うことができない生物なので』
「もう! でしたら今日はカルミラさんと同じくお休みになればよかったではありませんか!」
『知ってるか? 家で寝るよりも、授業中の方がよく眠れるんだぜ?』
「知りませんわよッ!」
狼が威嚇するようにオリビアがエルシーに牙を剥く。
仲が良いことで、と思いつつ、俺は姿が見当たらないもう一人の生徒について、オリビアに尋ねた。
「今日はカルミラは一緒じゃないのか?」
「まるでいつも一緒に行動している、みたいな言い方ですわね」
「普段は知らないが、ここに来るときは大抵お前たち三人は一緒に来ているだろう? 事前に連絡も貰ってないんだが……熱を出したとか?」
先日は氷点下二十度以下にまで冷え込んだことだし、風邪を引いてもおかしくはない。が、オリビアは首を横に振った。複雑そうな表情で。
「今日はカルミラさんのお母様が家に帰って来るらしく、久しぶりに顔を見せると」
「なるほど、お母さんに会いに……ちょっと不安だな」
「はい。とっても」
事情を知っている俺とオリビアは二人揃ってカルミラを心配する。彼女の父親であるレナンス中将から家庭環境に関して多少聞いてはいるが、何というか、可哀そうで仕方がなかった。
『ただお母さんに会うだけだろ?』
唯一事情を知らないエルシーは疑問符を浮かべる。確かに、何も知らない者からすれば母親と会うことくらい、普通……なのかもしれないな。俺は母親の顔を知らないし、物心つく頃には暴力に塗れた訓練で心が壊れていたので、よくわからんが。
「お前たちは、自分が特異な体質ってことは理解してるな?」
『ああ。ここに来た時、ソテラに教えてもらったからな。自分たちがどれだけ危険な存在なのか』
「感情連動性暴発体質というのは、生きる爆弾とまで言われましたものね」
「そうだな。同時に、最高の魔法士になれる最高の素材とも言ったが」
彼女たちは俺が生徒として受け持つまで、自分がどんな存在なのかを知らずに育っていた。確かに、お前は爆弾で危険な存在なんだと言われたら、心を閉ざしてしまう可能性はある。そうでなくとも、精神的にダメージは受けるだろう。だが、俺は敢えて彼女たちに正体を告げた。どうして自分たちが腫物のように扱われて来たのか、学校に通わせてもらうことができなかったのか、その理由を全て。
当初は悲観したり怒ったり、様々な反応を見せたが、今ではこの通り精神状態も常に安定し、逆に最高の魔法士になろうと日々努力してくれている。
「で、カルミラの母親は、カルミラのことを一方的に避けているんだ」
『それは体質が関係してるわけか』
「そうだ。恐らくカルミラの母親は感情連動性暴発体質の知識が浅く、情緒を乱すとマナを暴走させて周囲を吹き飛ばす存在だと思っている。事実その通りだが、感情のコントロールができれば悲劇は起こらないし、ちょっとやそっとでは爆弾になることはない、ということを知らないんだ」
「だから、カルミラさんの体質を知っていこう、ほとんど顔を合わせることも無くなったそうです。ですが……今日はお父上も一緒だそうです」
「まぁ、レナンス中将は特異な体質に対しての知識も理解もあるが……大丈夫、とは言い切れないな」
『何にせよ、僕たちがカルミラの身を案じても結果は変わらない。いつも通り授業を進めるくらいしか、やることないだろ』
エルシーの言葉はちょっと寂しいが、現実的でもある。
「そうだな」と返し、俺は授業を始めようと白墨を持ち、すぐにそれを置いた。
「そういえば、お前たちも半年前ここに来たときは本当に大変だったよな。カルミラは今以上にネガティブだったし、オリビアは俺の授業を受けようとしなかったし、エリシーは目も合わせてくれなかったし」
「し、仕方ないではありませんか! 周囲に腫物のように扱われ続けて、いきなり塾に連れて来られて……」
「その教師は片足がないしな」
「そこは何とも思ってません!」
吠えるように言ったオリビアに「悪いって」と宥め、エルシーに目を移した。
「エルシーは、あの時の方が可愛げがあったけどな。毒舌じゃなかったし」
『言っておくが、僕はあの時から毒舌だったぞ? ただ思考を音声出力するこの機械がなかっただけだ。内心ではボロカスに言っていた』
「なるほど、これでも丸くなった方だと」
『かなりな』
最初はどれだけ頭の中で俺に対する悪口を言っていたのだろうか。気になるが、その時のことを確認する術はないので、潔く諦めるしかない。
「まぁ本当、お前たちは半年でよく成長してくれてるな。俺は嬉しいよ」
「もう、そういうこと言わないでください」
「あざとかったか?」
『凄くな』
「とってもあざといです。ほら、授業の時間ですわ」
オリビアは授業を始めるように促すが、俺はまだ少し話す必要があると判断し、首を横に振った。
「早く授業したいのはわかったが、もう少しだけな」
「なんですの?」
「いや、カルミラがネガティブ思考になった原因は彼女の母親にあるし、そうなっても仕方ないとは思うんだ」
そう前置きして、俺は二人とそれぞれ視線を合わせて断言した。
「だが、お前たち自身は自分の体質について悲観する必要は全くないぞ。前にも言ったが、お前たちは原石なんだ。丁寧に磨き上げればどんな宝石にも負けないほど輝くし、逆に乱暴に扱えば周囲を巻き込んで粉砕してしまう。その体質のせいで辛い思いをして、自分を責めてきたと思うが、そんなのはもう終わりだ。今は聞こえてくる冷たい声を馬鹿にしてやれ。いつか見てろ、って言い返してもいい。大丈夫。俺がお前たちをピッカピカに磨き上げてやるからな」
燃えるじゃないか。散々馬鹿にされ、陰口を叩かれ、遠目から危険だと言われて来た者たちが、将来は国の頂点に君臨する魔法士に成長する。物語のような現実を実現するってのは、それだけで格好いい。残り四年と半年という短い時間で成し遂げられるかはわからないが、彼女たちが俺の持つ知識と技術、その断片でも己の者にできれば、可能性は大いにあるだろう。
「だから、お前たちも頑張れよ。周囲の声なんて、雑音だと思って聞き流せ」
「……そういうところですわよ」
『おいソテラ。オリビアが惚れそうになってるぞ』
「ちょ、そんなわけ──」
「悪いなオリビア。俺には愛を捧げる相手が既にいるんで」
「勝手に振らないで貰えますッ!?」
重たかった空気は払拭され、明るい雰囲気が室内に訪れる。
半年でよくここまで心を溶かすことができたな、と我ながら感心しながら、俺は授業を始めた。
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