第10話 ご立腹の抗議

「珍しく、怒って帰って来たね」


 帰宅後。

 玄関まで出迎えに来てくれたセレーナは俺の顔を見た途端にそう言い、俺が手に持っていた鞄を持ち上げた。普段以上に感情を表に出さないように注意していたのだが……セレーナには俺の小さな感情の変化まで感知されてしまうらしい。


「よくわかったな。顔に出ていたか?」

「顔には出てないけど……何となくわかった。雰囲気って言うのかな」

「妙な特殊能力を持っているな」

「でも、ソテラだって私が不機嫌を隠していてもすぐに見破るでしょう? それと同じだと思う」

「お互いに隠し事はできないってわけか」


 靴を脱いで室内用スリッパに履き替えた俺は防寒具を脱ぎ、リビングのソファに深く腰を落とした。今日は除雪作業はしなかったが、それ以上に不快になることが起きたからな。精神的に疲れた。


「授業中に、塾に馬鹿共が乗り込んで来たんだよ」

「馬鹿? それって……軍関係だよね? ソテラの塾に来るってことは」

「ビンゴ。生憎俺の知らない将校だったけど、とにかく話の通じない奴だったよ」


 今日怒ったことの経緯をはぐらかすことなく、細かくセレーナに話す。隠すようなことではないどころか、この話は是非とも聞いてほしいものだった。自分の中で抱え込んでおくのは、鬱憤を発散せずに持ち続けることと同じだから。


「偉そうな奴でムカついたから、手柄は部下の横取りとか色々言ったら、最終的にはブチ切れて部下に俺を殺すように命令しやがった。剣の切っ先を向けて、俺を串刺しにしようとしたんだな」

「へぇ……叩き潰したいね」

「安心しろ、全員の武器をへし折った挙句に鼻頭と後頭部に皹を入れてやった。残念ながら、その大佐には何もできなかったが。名前も聞きそびれたし」


 せめて名前だけでも聞いておくべきだったな。あれだけ扱いやすい性格だと、自分から名乗る礼儀もないのか青二才とか言っておけば勝手に名乗っていただろうし。会いたくはないが、次に会ったら散々煽り倒してやろう。俺はもう軍属じゃないから、別に罰則もないし。もしも理不尽な仕打ちを受けそうになったら、即座に亡命だ。アルシオン皇国軍に所属し、多くの機密情報を持っている元軍人と言えば、よろこんで匿ってくれるだろう。どこの国でもな。

 セレーナは思考を走らせている俺に紅茶の入ったカップを手渡してくれた。


「で、これからどうするの? 流石に、何もしないわけって選択はしないんでしょ?」

「勿論、これで終わらせるつもりはない。俺は奴の名前を知らないが、階級と顔の特徴を伝えればすぐに特定してくれるはずだ。仮にも皇国軍の最高指揮官だしな」

「ちゃんと処罰してもらわないと駄目だよ? ここで甘い処分にしたら、懲りずにまたソテラに接触してくると思うから」

「わかってるよ。俺は軍属じゃないし、多分動いてくれるとは思う」


 これがもし、俺が軍に所属していた場合、上官の命令に背いた罰として処理され、更には抵抗した俺に処罰が下る可能性もある。だが、今の俺は一般人。軍人が一般市民に対して武器を向けたとなれば、それなりの問題になる。もしも大々的に報道でもされようものなら、軍の信頼を失墜させることになりかねないだろう。

 元帥が英断してくれることを期待してみようか。


「もしも拒否されたら、私が元帥のところに殴り込みに行く。って言っといて。何なら、私が光武具を使うよ」

「流石に止めてくれ。軍を全部掌握されたら、国防が終わる」

「冗談だよ。でも、実際にはやらないけど、脅し文句としては使えるでしょ?」


 ニヤリ、と小悪魔じみた笑みを浮かべたセレーナに「そうだな」と返し、俺は通信端末を片手に持ち、画面を操作して呼び出しボタンを押した。

 数回のコールの後、厳かで低い声音が俺の鼓膜を揺らした。


『珍しいな、君の方から連絡してくるとは──』

「ふざけんなクソ爺」


 開口一番暴言を吐かれた通信相手──ライルカスター元帥は呆気にとられたらしく一拍の間を空け、悩ましそうな声を上げた。


『いきなり暴言を吐かれる意味が理解できないのだが……』

「失礼しました。今のは本日行われた、皇国軍所属の将校による傷害未遂に対する鬱憤を、軍のトップである元帥に吐いただけです」

『君、軍を抜けてから礼儀を忘れたのか?』

「忘れたわけではありません。ただ、俺は既に軍を抜けているので、元帥を含めた軍の幹部はもう俺の上官というわけではありませんから。あとはまぁ、少し遅い反抗期ということにしておいてください」

『そうか、反抗期か。それならば仕方ないな』


 いいのか、と心の中で呟いた直後、元帥は先ほど俺が放った言葉について尋ねた。


『ところで、傷害未遂事件と言ったか』

「はい。俺が塾で授業をしていた時、突然塾に数人が乗り込んできた挙句に剣を突き付けられ、危うく串刺しにされるところでした。その隊長と思われる男は、大佐の将校章を胸につけていましたので」

『時間帯は?』

「午後三時三十分を回った頃だったかと」

 

 正確な時間までは憶えていないが、確かそれくらいの時間だったはずだ。

 時間を告げた後、何やら端末越しに紙を探る音が聞こえてきた。


『……その大佐階級を持つ軍人の容姿については、説明できるか?』

「赤髪をオールバックにしていて、切れ長の鋭く赤い目をしていましたね。体格は、比較的細い方かと」

『奴か……』


 俺に剣を向けてきた男に心当たりがあったようだ。しかも、元帥は「またか」と呟いていることから、このような脅迫まがいのことを常習的にしている者と考えられる。軍の階級基準に素行や人柄という項目はないのか?


「どうやら、あまり良い噂は聞かない人物のようですね」

『あぁ。君に剣を向けたという者は恐らく、防衛軍に所属するエクスワード=リライオ大佐だ。影獣シャドーとの防衛戦ではそれなりの戦果を挙げており、防衛側の実力は申し分ない。ただ、素行というよりも堅物でな。皇国のために身を捧げるとも公言している』

「なるほど」


 つまるところ、奪還すれば皇国の領土が拡大されるというのに、会議に協力しない俺に腹を立てた、というところか。実力は申し分ないと言っているが、それはあくまで防衛側の魔法士、軍人としての実力。前線で影獣と命の駆け引きを繰り返している奪還軍の魔法士には遠く及ばない程度だろう。攻撃と防衛では、求められる強さが段違いだからな。


「まぁ、その大佐の人間性はしっかりと理解しましたし、皇国のことを考えての行動だったのでしょう。それは結構です」

『悪かったな』

「ですが、しっかりとした処罰は下すように。彼は軍を抜けた俺──一般人に刃を向けたのです。更に、これは俺が一番言いたいことですが……生徒を危険に晒す可能性もありました。俺はそれに対して、何よりも怒っている。お咎めなしでは、こちらとしても納得がいきませんし、今後もこういうことを平気で行いますよ。まぁ、次に襲ってきた場合、彼は影獣支配領土に転がる肉片となるでしょうが」

『う、うぅん……』


 元帥は何処か難しそうに唸った。


「何か問題が?」

『いやな、トロフコル地区奪還作戦の会議が近日中に開かれるのだが……』

「あぁ、そういえば大佐も俺にその会議に参加しろと言っていましたね」

『君に会議に参加するよう言っているのは、リライオ大佐だけではないのだ。その件で彼に処罰を下すと、彼と同じ意見を持つ者たちからの反発が強くなる。元とは言え軍人ならば、皇国のために尽力する義務がある、とな』

「つまり……処罰を下すことはできないということですね?」

『結論から言えば。ただ、流石にそれでは君に悪いので、私の権限を使って今回の作戦会議への参加はしないように──』


 と、そこで俺の耳に当てられていた端末が離れた。

 強引に俺の手からそれを奪ったのは勿論、隣で漏れ聞こえてくる声をずっと聞いていた、お姫様である。あーあ、もう知らねぇ。



「お久しぶりでございます。ライルカスター元帥」



 セレーナが通信端末に向かって話しかけると、元帥の声は先ほどまでとは完全に違うものになっていた。


『こ、これはセレーナ様……ッ。ご機嫌麗しゅう──』

「あら、おかしなことを仰いますのね、元帥殿。今の私の声を聞いて、機嫌がいいと思われますの?」


 威圧的且つ攻撃的な話し方と声。端末越しに聞いている元帥にセレーナの姿は見えていないが、今の彼女は不思議なオーラを醸し出し、人を殺すことが出来そうなほど殺気の籠った瞳をしている。

 普段俺と一緒にいる時は絶対に見せない、激怒している際の顔だ。


『も、申し訳ございません……』

「謝らなくてもいいです。ただ、貴方はのソテラが命を狙われ、その犯人を処罰しないと仰いましたね? それはつまり、今回の件は水に流して忘れろ、と言っていることと同義ですが……ふふ」


 見る者を震え上がらせる微笑を浮かべたセレーナは俺の手と自身の手を絡め、端末に向かって囁いた。


「いいのですよ? 軍属魔法士の大半が、私の手駒になってしまっても」

『──申し訳ございません。処罰は必ず下しますので、凶行に及ぶことだけはやめて頂きたい!!!』

「勿論、冗談ですよ。まぁ、冗談になるかは、元帥の働き次第ですけど」

『は、はい……』


 意気消沈した元帥の返事を聞いたセレーナは通信を切断し、端末を机の上に置いた。彼女の現在の表情は、まるで曇天が晴れ上がり、空に虹の橋がかかったかのように明るいものだった。


「ソテラ、今後も何か困ったことがあったら、遠慮なく私に頼ってね」

「うちのセレーナが頼もしすぎる」


 この子がいれば、この国では大抵のことは脅威にならないんじゃないか?

 本気でそう思うと同時に、セレーナを怒らせるようなことは慎もう、と心に誓った。

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