第5話 朝の時間
「……」
翌朝、身体に感じる奇妙な圧迫感で目を覚ました俺は、寝起きで正常に機能していない頭をフル回転させて疑問を口にした。
「何をしようとしているんだ? セレーナ」
「えっと……」
俺の上に乗っていたセレーナはわざとらしく視線を逸らし、バツが悪そうに頬を掻いた。俺を夢の世界から呼び覚ました圧迫感の正体は彼女か。別に重くはないが、鼻先が触れ合う距離まで顔を近づけていた理由を、俺は彼女の口から聞きたい。まぁ、これでわからないほど鈍感なわけではないが。
俺は身体を離そうとしたセレーナを両腕で抱きしめ、逃がすまいと拘束する。
「ちょ、ちょっと──」
「ほら、何をしようとしていたのか早く言わないと、どんどん力が強くなっていくぞ?」
「わ、わかった! 言うから!」
降参宣言を聞いたところで腕の力を弱めると、セレーナは自身の口元に人差し指を当てた。小悪魔っぽい、あざといポーズだ。俺意外には絶対にさせたくない。
「……おはようの、キス」
「俺が寝ている時にか? 言っておくが、それは寝込みを襲っているのと同じだからな」
「ね、寝込みを襲うなんてしないよッ!!! ……嫌だった?」
急に不安げな表情を浮かべたセレーナに、俺は肩を落として後頭部をガリガリとひっかいた後──彼女の頬に手を添え、触れるだけのキスをした。
一瞬、何が起きたのか理解できなかったのか呆然とするセレーナ。そんな彼女には構わず、しっかりと目を合わせて言う。
「嫌じゃないが、こういうのは起きている時にしてくれ。キスしたって事実を片方しか知らないのは、不公平だ」
「…………うん。わかった」
嬉しそうに微笑んだセレーナは頷き、俺の上から降りてキッチンの方へと向かった。
寝る直前の記憶はないのだが、この状況を見る限り、どうやら俺はリビングソファの上で本を読んでいる間に眠ってしまったらしい。クッションの傍に、俺が読んでいた本が無造作に広がったままの状態で転がっている。
「少しだけ酒を飲んだのが、いけなかったな」
やれやれと身体を起こした俺は真っ先に洗面台に向かい、洗顔と着替えを済ませてリビングに戻る。部屋に入った瞬間、セレーナが用意していた朝食の香りが鼻腔を擽った。
「ありがとな」
「どういたしまして。ほら、冷めない内に食べよ?」
「あぁ」
二人揃って席に座り、さぁ食べ始めようか、とフォークを持ったタイミングで、俺の通信端末が軽快な着信を告げる音楽を奏で始めた。
仲睦まじく、幸福感が漂う朝食の時間に水を差す不快な音。本来ならばすぐに出るべきなのだろうが、俺はこの不快な音を鳴らす通信端末を手に取り、電源を切った。
タイミングの悪い着信程不快なものはないからな。
「えっと……いいの?」
「タイミングを理解せずに連絡してきた相手が悪い。それに、相手が相手だったからな。俺は既に軍を抜けた身なのに、一体何をさせるつもりなのか」
「あぁ、なるほど。なんとなく理解できたかも」
軍関係、と言えばセレーナも相手が誰だったのか、すぐに理解できる。一応、短期間とは彼女も軍の仕事に従事した経験があるからな。それに、ほぼ同棲しているので、俺の端末に連絡してくる人物のリストは頭に入っている。時折、知らない女の連絡先が登録されていないか、抜き打ちでチェックされるし。
「そういえば、最近も軍の会議に参加してくれ、って頼まれてたよね?」
「五日前だな。しかも、頼むというよりは参加するのが義務だ、みたいな言い方だったし。もう軍属じゃないんだから、命令できると思ってるんじゃねぇって言い返したさ」
「行かなくて正解だと思うよ? 絶対軍に戻れ~とか、死ぬまで戦え! ってみたいなことを言ってくると思うし」
「盾の魔法士は足りていても、矛の魔法士はいつだって人手不足だからな。片足を失ったとはいえ、元部隊長の俺には残ってほしいんだろ。お断りだがな。俺には、残された時間でやることがあるんだ」
「それが、子供たちに魔法や
小休憩、とばかりにフォークを置いて紅茶を啜るセレーナ。
まぁ、確かにそれも俺の寿命が尽きるまでにやりたいことの一つでもある。
「俺は長年最前線で影獣と戦い続けて、多くの知識を得た。俺が死んだ後も、影獣と人間の戦いは続く。いや、更に激化する可能性が高い。俺は何としても、寿命が尽きるまでに戦いで得た知識や経験を後世の子らに継承しなければならない」
「その継承者が、あの三人の女の子たちってことなんだ」
「あぁ。個性は強いが、彼女たちは優秀だ。内包マナ量も多いし、戦いや魔法のセンスも悪くない、と思う。まだ見たことはないが。将来的には、あの三人が魔法士として一番の戦果を挙げてくれると嬉しいな」
「随分と大きな目標だね……」
勿論、そうなれるかはわからない。全魔法士の筆頭に立つとなれば、生半可な鍛錬では到底近づくことはできないだろう。だが、例え彼女たちが筆頭になることができなかったとしても、強くなってくれれば領土の外側からの脅威は任せることができる。
と、ティーカップをソーサーの上に置いたセレーナが、俺に半目を向けた。
「だったら、無駄話を長々としている暇はないんじゃないの?」
「ぐうの音も出ない」
うん。それはまぁおっしゃる通りだ。
残り四年半の内に俺が持つ全てを彼女たちに叩きこもうとするのなら、一日だって無駄にすることはできない。まぁ、あの子たちは他の子どもよりも理解力に優れているので、多少は問題ないだろうがな。
「今日は三時から二時間だけの授業だし、昨日の分を取り返すためにも急ピッチで進めないとな」
「それでついてこれるの?」
「あの子たちなら大丈夫だろう。勿論、理解できなければ理解できるまで教えるさ」
「ふぅん……ちょっと妬けちゃう」
「?」
不意にセレーナがそんなことを口にし、俺は思わず小首を傾げそうになった。
「妬けるって、何にだ?」
「教え子ちゃんたちに。だって、最近のソテラはその子たちのことばっかり考えているんだもん。そりゃあ、嫉妬しちゃうのが普通だと思うよ?」
「そんなに考えているつもりはないが……現に、昨晩はお前のことで頭が破裂しそうだったし」
「それは私もだけどさ」
思い出すだけでも恥ずかしく、互いに顔を背け合った。
ま、まぁ、今すぐにじゃない。寿命が近づいたら、そういうことも考えないと、と思っているだけだ。うん、大丈夫。人間だけじゃなくて、全ての生物が何億年も前から行ってきた神聖な儀式を行うだけなんだから。
「ところで、セレーナ今日どうするんだ?」
「いつも通り図書館の重要歴史文献を漁りに行こうかなと思っていたけど……結構雪が酷いし、家に居ようかな。食材は十分買ってあるし」
「今更だが、一人で家にいて大丈夫なのか?」
本人は嫌がるが、仮にも皇帝の血を引く存在。護衛もなしに、家の中で一人にするのは危険なのでは……と思ったが、セレーナは自信ありげな笑みを浮かべて、左腕に装着されていた腕輪に触れた。
「
瞬間、セレーナの左手に白銀の杖が現れた。
長さは彼女の背丈と同じ程の長杖で、その先端にはダイヤモンドのように輝く大きな宝石が埋め込まれている。
これはセレーナが持つ
光武具とは、それを格納した腕輪とマナ的契約を交わすことで使用することができる、謂わば当人専用武器。魔法士はこの光武具を用いて影獣と対峙し、魔法を駆使して戦うことになる。
支配の杖を掲げたセレーナは、「どう?」とそれを俺に向ける。
「私だって、全然戦えるのよ? それこそ、そこいらの魔法士とは比較にならないくらい」
「あー、悪かった。お前の強さを侮っていたよ。だから、早くそれをしまってくれ。食事中に光武具を召喚するのはマナー違反だ」
「そんなマナーは聞いたことがないけどね」
笑いながら瞬時に支配の杖を消したセレーナは、再びフォークを片手に食事を再開する。その後の食事は、ありきたりな話をする、和やかなものだった。
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