第1話 塾

 星型の領土を有する軍事国家──アルシオン皇国。

 年間の平均気温は零度を下回るという寒冷な国であり、真冬になれば氷点下三十度に達することもある。

 そんな気候にある国のため、立ち並ぶ家々も非常に個性的且つ伝統的な造りをしている。家の熱が地面を伝い永久凍土が溶けないように、柱を用いて床が地面に触れないようになっている。更に断熱効果の高い赤煉瓦を建築材料に使用していることから、大半の家屋や建造物が赤い。

 そのような特色をしていることから、燃え盛る国と称されることもある。

 また、国防の要である魔法士の育成に莫大な資金を用いており、軍が要する魔法士の数は世界でも随一。魔法士の数が国力に相違ないのであれば、現状世界で一番の国は確実にアルシオン皇国になるだろう。

 そんな大国の中心地である皇都シプラ──その一角に建つ、赤煉瓦作りの小さな建物にて。


「寒ぃなぁ……」


 俺は教卓の上で頬杖をつきながら、窓の外の景色をボーっと眺めていた。

 赤い街は深々と降り注ぐ粉雪によって白く彩られ、通りに積もった雪を除雪する人々の姿が多く見受けられる。全員防寒具に身を包みながら作業しているが、見ているだけで身が凍りそうだ。俺は絶対にやりたくない。

 そんな冬の風物詩とも言える景色から視線を逸らした俺は、眼前の机に座っている少女たちを見た。


「お前ら、こんなに寒いのにここまで歩いてきて、本当に偉いなぁ」

「何を言い出すのですか、突然」


 席に座って教材を読んでいた、肩口まで伸びた黒髪の少女──オリビアが教材を閉じ、俺の独り言に反応を示した。


「アルシオン皇国は雪国なのですから、これくらいの雪で出歩かないようでは、一年中家から出られませんよ?」

「そうかもしれないが、今日は氷点下二十度だぞ? アルシオンでも特別寒い日だし、朝起きた時は絶望したな。布団から出たくなかったぜ、正直」


 危うく、二度寝という悪魔の誘惑に屈しかけたところだった。実際はギリギリのところで思いとどまり、布団から抜け出して暖炉に火を灯すことに成功したが。

 いつもより気温が低いと体温で温かくなった布団がより魅力的に感じるし、何もせずにダラダラしていたい気持ちになるんだよな。

 と、オリビアの隣から無機質で機械的な声が。


『元軍人とは思えない発言だな。寒さくらいで動きが鈍くなってたら、速攻で死ぬだろ。よく今まで生きてこれたな、ソテラ』

「お前の毒舌は何とかならないのか、エルシー」


 俺はこめかみに青筋を浮かべながら、オリビアの隣にいた白髪金眼の小柄な少女──エルシーを見た。


「一応、お前も魔法士を目指しているんだろう? 礼儀が出来なきゃ、すぐに痛い目を見ることになるぞ。というか、俺も十三歳にそこまで上から来られるとムカつくんだけど」

『その時は猫を被るに決まっているだろう。僕がソテラに対してこんな接し方をしているのは、大きな信頼を抱いているからだ。寧ろありがたく思えよ』

「うわ思いたくねぇ……」


 俺はがっくりと首を垂れ、大きな溜息を吐いた。

 エルシーは何というか、信頼を置いている相手には砕けた口調になるのだ。砕けているの範囲を超えているとは思うが、とにかく歯に衣着せぬ発言が目立つようになる。会ったばかりの頃は普通の女の子だったのになぁ……。


「まぁ、別にいいんだけどな。お前らみたいなを引き受けたのは俺だし。それより、宿題はやってきたのか?」

「当然ですわ」

『やらないわけないだろ』

「なら、いいんだが……カルミラ?」


 俺は先ほどから会話に入らず、一生懸命ノートにペンを走らせている赤髪サイドテールの少女に声をかける。が、返答はなく、彼女は一心不乱に何かを書いているようだ。


「宿題やってなかったのか? いや、でもカルミラに限ってそんなことはないと思うんだが……」

「というか、何を書いているんですの?」


 オリビアがカルミラがペンを走らせている紙を覗き込み……項垂れた。


「この子は、また……」

「何が書いてあったんだ?」


 頭を横に振ったオリビアに問うと、彼女は手招きをした。

 つまり、自分で見て確認しろ。ということ。

 俺は疑問符を浮かべながらも、カルミラの席に近づき、彼女がペンを走らせている紙を覗き込んだ。


──私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子私は駄目な子


 

 俺はカルミラの脳天に手刀を落とした。


「ぁう」

「一体何を書いているんだお前は。自分で自分を貶す性癖にでも目覚めたのか?」

「え? あ、いや、そんなつもりはないんですけど……」


 カルミラは悍ましい紙を両手に持ち、それをうっとりとした表情で眺めた。


「こうやって自分への戒めを紙に書くと、凄く落ち着くんです……」

『これはもう完全に病気だな』

「先生、カルミラさんには何を言っても無駄だと思います」

「手遅れかよ……」


 俺は教卓の席に戻り、右手で目を覆った。

 以前から思っていたことだが、俺の塾生は個性的な子しかいないな。オリビアはしっかり者で、カルミラは超ネガティブ思考、エルシーは毒舌で礼儀知らず……全員勉強はできるし、授業も真面目に受けるから、そこはありがたいことだけどな。


「カルミラ、お前はもっと自分に自信を持った方がいい。自己肯定感が強い奴は、魔法士としても強く成長できる」

「で、でも、私みたいな愚鈍で鈍間な奴は、自分をゴミクズのように思わないと……」

「貴女は何処までネガティブ思考なんですの? 別にそんなこと思わなくてもいいですからね?」

『ソテラ、お前の教育方針が悪いんじゃないのか?』

「俺が悪いのかよ……」


 いつの間にか責任転嫁されているんだが……。

 いや、そもそもカルミラは初めて会った時からこんな感じだった。そもそも、彼女が俺の塾に通い始めるきっかけになったのは、彼女の父君にお願いをされたからだ。「娘のネガティブ思考を直してくれ!」と。

 ここまで酷いとは思わなかったが、これでも大分改善された方なんだからな? 


「初めて会った時は目隠ししていたから、それよりはマシになった方だろ」

『なんで目隠し?』

「「私のような愚図が多大な功績を上げた魔法士の方を見ることは万死に値します」とか言っていた気がする。勿論、目隠しは速攻で没収したけどな」

「あぁ、これでも凄い成長をしていたんですのね」


 もはや、そんな思考を常に抱いていたことに哀れみすら覚える。どういう家庭環境だったら、自己肯定感が虚数に行ってしまうのか。今度、カルミラの父君に聞いてみるか。


「とりあえず、ここにいる間はこういうことを紙に書いて落ち着くのは禁止な?」

「そ、そんな……」

「どうしても心を安定させたいなら、俺が時間になるまでよしよしなでなでしてやるよ」

「それは流石に恥ずかしすぎます!」

「嫌だったら、変なことをせずに心を落ち着かせる術を身に着けろ。さ、時間だな」


 俺は教卓の上に置かれていた教材とノートを開き、白墨を手に取った。


「よし、授業を始めるぞ」

 

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