どうやら俺の余命は五年らしいので、戦線を離れて塾講師になります。
安居院晃
プロローグ
午後七時。
皇都シプラにある高級料理店の一室にて。
「事前連絡のない来訪はご遠慮願いたいのですが、ライルカスター元帥」
俺は机の上に置かれた料理には手を伸ばさず、対面の席に座りステーキを切り分けている紳士服に身を包んだ白髪の男に愚痴を垂れた。衣服に身を包んで尚隆起した鋼の筋肉が存在を主張しており、老いても日頃の訓練を怠っていないことが伺える。
彼は大きく切った肉を豪快に頬張り、肉汁と旨味を堪能した後、口角を上げた。
「いや、悪いな。偶々前線から皇都に立ち寄る予定があったので、久しぶりに様子を見に行こうと思ったのだ。幸い、今日は君も休日だったようだしな」
「よくも白々と……実際は俺の休日を事前に確認して来たのでしょう」
「さぁ、それはどうだろうな」
ステーキの二切れ目にフォークを突き刺した元帥には、これ以上何を言ってもボロは出ない。俺はそう判断し、グラスに注がれていた赤ワインに口をつけた。
情報が引き出せないのなら、せめて一言嫌味でも言っておくか。
「領域奪還前線の最高責任者様が、暇を持て余しているというわけですか」
「何を言う。私は常に多忙だよ」
嫌味も華麗に交わされてしまったため、俺は諦めてステーキを頬張った。
流石に最高級店なだけあり、最高の肉を使っているようだ。美味い。
「美味いだろう。私一押しの店だ」
「勿論、奢りですよね?」
「当然だ。多大な戦果を残した部下を労うのは上司の務めだからな。あぁ、部下ではなく、元部下だったな」
「えぇ。俺は既に退役した身ですので」
ちらり、と元帥は視線を下に向けた。
「本当に、もう戦えないのか?」
「義足を使っている……片足を失った俺に、まだ戦場で命を賭せと? いや、戦場で華々しく命を散らすのが戦士の誉れとでも言うつもりですか? 俺の部下は、全員戦場に散っていきましたが」
「そんなことを言うつもりは毛頭ない。だが、これまで最前線で領土の奪還任務にあたり、多大な功績を積み上げてきた部隊が丸ごと軍から消えるのはかなりの痛手でな。特に、部隊長を務めていた君の手腕は欠かしたくないのだよ、ソテラ君」
「……そういうことにしておきましょうか」
実際には死ぬまで働け、と言っているのだろうが、それを口に出すことはやめた。
一応、俺も元帥に対しての恩義はある。多少ではあるがな。
「ところで、今日俺を呼び出した本当の目的はなんですか?」
「何、結婚祝いを持ってきたのだ」
「は?」
俺の反応を完全にスルーし、元帥は革バックの中から白い箱を取り出し、俺に手渡してきた。反射的に受け取ったそれは、プレゼント用に丁寧なラッピングが施されている。
「君は私の部下ではあるが、子供のような存在でもある。九つの頃から見ているからかな。そんな君が結婚すると聞いて、ついつい高い買い物をしてしまったよ」
「あの、元帥」
「ん?」
俺は一人で舞い上がっている元帥に、静かに告げた。
「俺はまだ結婚しませんよ」
「……………………………ナンダト?」
瞬きを数度繰り返した元帥は片言の言葉で続けた。
「君は、セレーナ様と結婚をしたのではなかったのか? おかしい、私はそう聞いたはずなのだが……」
「それ、誰から聞いたんですか?」
「君と知己の中である、クラーツ准将だが……」
俺は額に手を当てた。
うん、まぁ、あの人は常に酔っぱらっているし、聞き間違いというか解釈違いをしていてもおかしくないな。
「俺がクラーツ准将に話したのは、俺と同期の奴が結婚するという話です。確かその話をした時、彼は度数七十%のラム酒を一瓶を空けていましたから、記憶違いをしていたのかもしれませんね」
「……今度、職務中の飲酒について禁止する案を提出してみるか」
「寧ろどうして今まで禁止されていなかったんですか」
酔っていてはまともな指示を出すこともできないだろうが。俺は呆れ交じりに言い、手に持っていた箱のラッピングを解いた。
「中身、見てもいいですか?」
「言う前から開けておるではないか。まぁ、元々君たちのために買った物だ。少し早い結婚祝いということにしてくれ」
「結婚するかはわかりませ──」
「するだろう、確実に」
「……そうだといいですね」
はぐらかすように答え、俺は箱を開けた。
中に入っていたのは、紅い宝石のネックレスだった。チェーンの部分は銀色の輝きを放ち、見るからに高そうな一品。
「これは……」
「凄いだろう。宝石商に一番高い宝飾品を出せと言って出させたものだ。天然のピジョンブラッドルビーにダイヤモンドで造られたチェーンを用いたネックレスだ。歴史的価値も高く、それ一つで皇都の一等地が買えるぞ」
「とてつもない値段なのはわかりますが……これを俺に着けろと? どう考えても男物ではありませんが」
「君の将来の婚約者が着ければいいだろう。現時点で、既に妻のようなものだが」
からかうように言う元帥。
確かに、これは彼女がつければとても似合うだろう。だが、それは看過できないな。
「残念ながら、それはできませんね」
「ん? 何故だ?」
「俺以外の男から貰ったアクセサリーをセレーナが着けていることに、俺は我慢がなりません」
「そこまで独占欲を剥き出しにするのか君は……そんなようでは、いずれ愛想をつかされるぞ?」
「彼女は俺以上に独占欲の塊ですよ」
「似た者夫婦か……」
苦笑というか呆れの言葉を吐いた元帥は、グラスのワインを口に含んだ。
まぁ、一度くらい着用させるのはいいかもしれないな。彼女が着けるというかはさておき。宝石としての価値はあるし、実際美しいので、部屋に飾っておいてもいいかもしれない。
ワインを飲み干し、二杯目をグラスに注いだ元帥は話題を変えた。
「そういえば、塾の方はどうなのだ? 確か、軍幹部の娘たちが数人在籍しているのだったか? しっかりとした教養はあるし、素質も申し分ないだろう」
「そうですね、皆、いい素質を持っています。その素質が開花してくれれば、将来は優秀な魔法士、もしくは軍師になってくれると思います」
「それは頼もしい。是非とも、我がアルシオン皇国の未来を担う者に育て上げてくれ」
「先に行っておきますが、彼女たちには自らの未来を決める決定権がある。嫌がる彼女たちを無理に軍へ勧誘するとなれば、俺も黙ってはいませんからね」
「ほぉ? どうするつもりだ? 参考までに聞かせてもらいたい」
元帥はフォークを置き、口元を拭いてから俺に尋ねる。
軍を退役したからと言って、俺が何もできないと思ったら大間違いだ。俺は十八にして人生の半分以上の時間を軍で過ごしてきた。その期間、機密に触れることも非常に多かったことは、彼もわかっているだろう。
ならば、この脅しは通用するはず。
「そうですね……軍の機密情報を持って、アガレバス王国にでも移住しましょうか」
「軍の機密を漏らすことは、死罪になるぞ?」
「ははは、多くの情報を見返りにすれば、当然身の安全は保障して貰えるでしょう」
「……本当にやる気ではないだろうな?」
少々声を低くした元帥。実際に行動に移されたら、皇国にとっては小さくない打撃になるから、何としてでも止めようと思っているのがよくわかる。
俺は再びワインに口をつけ、返答する。
「まぁ、一応ここはセレーナの故郷ですからね」
「実行に移す気がないのならば結構だ」
「態々軍を敵に回す利点もありませんから。ただ、あくまで彼女たちの意思を尊重してくださいね。あの子たちが将来、何になるのか。俺も楽しみにしているんですから」
「わかっている」
元帥は頷き、置いていたフォークを再び手に取った。
俺は心の中で「その姿を見ることは、できないけど」と付け加えたが、元帥がそれを知ることはない。
何故なら──俺の余命が残り五年もないことを、彼は知らないから。
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