第12話 渡船街サンチュアン1 船着き場

「あ~、もうダメ、ふくらはぎ、絶対に太くなってる~」

「もうちょっとですから。初日くらいは宿に泊まりたいでしょ?」

「ポンコツリーダー。運動不足」


 俺たちは弱音を吐き始めたリリィレイクさんを叱咤激励しながら、丘の上から見えた川岸の街へ歩き続けていた。


 本物の体を動かさないフルダイブVRでも、肉体疲労の感じ方には個人差がある。現実より疲労を感じにくい人もいれば、逆に感じやすい人もいる。リリィレイクさんは後者かもしれない。


 途中、休憩を入れ、陽華京で買っていた柑橘類を食べた。温州みかん並みの甘さがリリィレイクさんを癒し、彼女は恨み節を言いながらも街の入り口に辿り着けた。

 疲れ切ったリリィレイクさんも無事に連れて来られたことで、俺は到着の達成感が倍増した。


 苦労の末たどり着いたこの『渡船街サンチュアン』は特徴的だった。


「いやあ~、これは何というか……」

「アスレチック」


 ミレーさんの感想と同感だ。

 家屋の多くは、人間の背丈以上の高床式で木造。丸太や木の棒を利用してやぐらを組み、その上に板を敷いてさらに家屋が乗っている。隣り合う建物同士は床の高さが異なっていて、繋ぐ板の空中廊下があちこちで斜めに架かっている。


 下手をすればスラムにでも見えそうな雑多さだが、どの建物もしっかり色が塗られ、金色のツタ模様が至る所に描かれているおかげで全体の統一感が出ている。


 左手側、つまり下流側には金属製の荷揚げクレーンが見え、木の軋む音に乗って歯車と鎖の音が聞こえてきた。

 陽華宮の外の『陽華の外街』とは別種の生命力を感じる街だった。


「よ、横になりたいぃ」


 俺の足元で体育座りをしてこう言っている人がいなければ、このまま探索しただろう。まだ夕暮れにも早いが、まず宿を探すのが先のようだ。


 * * *


 結論から言えば、宿は取れなかった。回ったどの宿も満室だったのだ。


 当然と言えば当然だ。まだイベント開始1日目。南門から出発した3000人の目当ての多くはこの街だろうから。

 途中の分岐で離れた人や、先を急いで川を渡った人もいるだろうから、その人たちを差し引いても2000人はいれば、街に何軒かある宿はあっという間に満室になるだろう。


 仕方なく一旦街から出て、アイテムボックスから出したテントを張ることにした。

 リリィレイクさんはそのまま出てこなくなったし、ミレーさんも「寝る」と言って自分のテントに入っていった。

 思えば、夜8時からイベントが始まり、ゲーム内時間では朝からスタート。ミレーさんも時差ボケのようになっていたのかもしれない。その点、俺は仮眠を長く取ったせいか、まだ眠気は来ていない。

 そうして1人で探索を始めた。




 板張りの街へ上っていく。川からの照り返しは、日が傾いて黄色が混じっていた。


「おおお、向こう岸が霞んでる」


 街の向こうに広がる『黄龍河こうりゅうが』に嘆息した。

 目の前には数キロもあろうかという川幅。その幅の河川が、上流にも下流にも延々と続いている。日本では見られないスケールだ。


 昼に丘の上から見下ろした時にも、川は存在感を放っていた。だが、こうして直接目の当たりにすると、海以上の畏敬の存在に思われた。莫大な水量が、整列し絶え間なく流れているためだ。


 板の架け橋を何度も軋ませて、川のほうへ進んでいく。途中、細い通路でプレイヤーやNPCたちと出会うたび、何度も体をひねってすれ違う。

 やがて、無数の浮き桟橋が揺れる船着き場に着いた。


「対岸『ナースイの街』! 『ナースイの街』行き! 2300アジーだよ!」

「『釣りの里ディオシン』4800A! 『浮稲村ニティン』6600A!」


 浅黒い肌の船頭NPCたちが、船の前で自ら客引きをしている。

 船の形も様々で、屋根のない平船もあれば、漁船風のものもある。プレイヤーたちも散在しているが、俺が思っていた数よりは少なかった。船旅を決断した連中はすでに出発したのかもしれない。


 浮き桟橋をさらに上流側へ進んだ。マップ表示では、この先は「市場」となっている。

 向こうから小さな少年がこちらへ歩いてきた。彼のすぐ斜め後ろには別の男も見え、2人ともプレイヤーだった。

 俺は少年を避けるつもりで桟橋の端に寄る。少年も避けようとする。だが、少年が急な動きで大きく体を歩かせたために、男とぶつかってしまった。

 男は少しよろめいただけだったが、浮き桟橋が不意に傾き、男はさらにふらついた。


「ぬへあっっ!?」


 やがて男は奇声とともに落水し、飛沫しぶきが盛大に上がった。


「大丈夫ですかっ」

「うあぁ、ごめんなさいっ」


 俺と少年は急いで近づき、浮かんできた男のそれぞれ両手を掴んだ。


「はぁっはぁっ、いや、すまん。ありがとう。助かった」


 引き上げた男ともども、俺も少年も旅装に水濡れエフェクトが発生していた。


 * * *


「本当にごめんなさいっ」

「もういいって、そこまで気にしないでくれよ。こっちも近づきすぎたのが悪かったんだ。ちょっと違えば、俺がそっちを跳ね飛ばしてたかもしれないし、そっちの兄ちゃんが落ちてたかもしれないんだ」 


 市場エリアの中にある酒場で、席に着くなり、少年が何度目かの謝罪をした。

 30手前くらいの男もあそこまで謝られると、居心地が悪いようで、話を切り上げたがっていた。男は、水濡れエフェクトの消えた服を撫で、店の中央にある生簀いけすに目をやる。

 仕方なく、俺は男に助け舟を出した。


「その人もそう言ってるんだから、あんまり謝り過ぎるとその人も気の毒だよ」

「そうそう」

「はい……」


 年齢の割にかなり礼儀正しい少年だった。中1か小6くらいかという幼さに見える。


「でも、代わりに払います。このお店の」

「おいおい……勘弁してくれよ……」


 男もさすがに呆れているようだ。こんな幼い少年に払わせての食事が美味いはずがない。男が「俺が出すから」と強めに言うと、少年はさすがに引き下がった。


「少年、何歳だよ」

「12です。来月で13です」

「えーっと、中1? ははっ、なんていうか、俺よりしっかりしてるね」

「それでその顔だろ。少年、人気あるだろ?」


 俺と男が褒め言葉を送った。少年の顔立ちは、若干の気弱さを感じる、整った女顔だ。

 だが、少年はその顔を曇らせていった。


「……そんなことないです……幼馴染とケンカしちゃったし」


 後悔の表情になっていた。

 対して、俺たちは追及しなかった。


 俺も男も、人間関係の後悔は彼よりも多いはずで、そういうことは掘り下げられたくないことを知っているのだから。



【踏破距離:16キロ】

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