第52話 過去へ
つい最近まで京介さんが暮らしているアパートでしばしば食べ物が消える現象があったという。なんでも、買ってきて後で食べるつもりで置いておいたものがどこかにいってしまうとのこと。始めは買ってきたものを店に忘れたのか、とも思っていたが、あまりに続くので少し気味が悪くなっていったそうだ。
京介さんは新しいもの好きで、パンや菓子など目新しいものが販売されるとつい手を出してしまう。それが消えてしまうのでほとほと困っていた。誰かに盗まれたということではないようなのがまた気味が悪い。
例えば、明日の朝食べようと台所、それも寝床のすぐ近くにあるそこに置いておいたものが起きると消えているのだから、泥棒だとは考えにくい。誰かが侵入してきたのだとすれば、当然ながら気がつくのが普通だ。
ところがその現象はある日を境にぴたりと止まったという。原因などはさっぱり分からない。
そんな折、京介さんは転勤することになった。荷物を整理していたところ、子どもの頃の絵日記が出てきた。
京介さんには幼い頃の記憶があまり無い。小学校1年生くらいのころの思い出があまり残っていないのだ。京介さんは施設で育った。たしかそれは一年生の終わり頃からだったということは覚えている。
穏やかで優しい寮母。しばしば喧嘩はするものの、基本的には仲のいい仲間たち。その記憶は鮮明で、故にそれ以前の記憶は
絵日記はその「記憶のない時期」に書かれたものだった。何故これが今ごろ出てきたのかは分からないが、恐らく他の荷物に紛れていたのだろう。
なんとなく手にとってページを
そこについていた文章を見る。
「きょうはパンをおかあさんがかっていました。おいしかったです」
京介さんが施設に行くことになったのは、母によるネグレクトだったそうだ。食べ物もろくに用意せず、長い期間家を開けていたという。
その絵日記を更に読み進めると、今まで京介さんの部屋から消えていたものがあれこれと描かれている。
京介さんはフラッシュバックのように当時のことを思い出した。
ひとりで心細く「留守番」をしている自分。
空腹で、なにか食べるものがないかと冷蔵庫や棚を漁ると物珍しい食べ物が見つかった。母が買っておいてくれたのかと食べた、そんな思い出。
それから間もなく京介さんの実情が近所に知られ、施設にいくことになったのだ。
あの日々に味わった、今まで見たことのない食べ物たち。それは母が自分のために買ってくれていたのだと思っていたが、そうではなかったのだ。
そこに思い至った瞬間、京介さんはなにか憑き物が落ちたような心地になった。顔も覚えていない母への思慕が消えたのだ。愛してくれていたはずだと思っていた「置き土産」は、母からではなく、現代の京介さんから過去の京介さんへのものだった。
悲しみではなく、どこかふっきれた感情。
-母は自分にとってはもう不要の存在だ
そう思ったのだ。
今でも京介さんは新発売の食品を見る度に過去の自分に食べさせてやりたいと思うという。
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