第28話 見ましたね

 弘さんは高校2年生。ただし、あまり真面目な生徒とはいえなかったとのこと。授業はしょっちゅうサボるし、遅刻は当たり前。昼休みには校舎の影で煙草を吸うこともあった。

 そんな弘さんが語った話。


 ある日のこと。悪友の栄介がとある誘いをしてきた。

 ひったくりだ。夜遊びを覚え始めたふたりにはとにかく金がなかった。


――ちょっと「カモ」から金でもかっぱらってやろう。


 栄介はそう言った。


 翌日、近所の公園で栄介と待ち合わせをした。栄介は原付バイクを用意してやってきた。兄のものだそうだ。

 実は、と前置きして栄介は言った。

「俺、ひったくり何回かやったことあるんだよね」

「え? まじで?」

「まじまじ。だから今日はお前がバイク運転して、俺がひったくる」

 弘さんも免許は持っていないもののバイクの運転は何回かしたことがあるので、その辺は問題は無い。

 

 そこからしばらくバイクを押して歩き、路地へと入った。作戦はそこで行うようだ。大通りへ向かう途中の女性が遠くに見える。

「あれ。あいつ狙うぞ」

「分かった」

 弘さんがハンドルを握り、後ろに栄介が座る。緊張しながらバイクをスタートさせた。


 女性はみるみるうちに近づいてきた。追い抜きざま、栄介が女性のハンドバッグをひったくった。

「きゃあああ!!!」

 女性の声を背に、スピードを上げる。

 そのまま大通りへ出ようとしたその瞬間。

 

 般若のような顔をした老婆が突然目の前に現れた。このままでは轢いてしまう。弘さんはあわててかわそうとしたが、失敗して転倒した。


 近くを歩いていた人々が、あわてて弘さんたちに駆け寄った。バッグをひったくられた女性も追いついてきた。あれよあれよという間に警察や救急車がやってきてちょっとした騒ぎになった。


 ふたりはひとまず病院に運ばれた。その途中、ため息をつきながら栄介が言った。

「お前、なに転んでるんだよ……」

「いや、突然目の前に怖い顔したばあさんが現れてさ」

「何言ってんだよ、そんなのいなかったぜ」

「まじなんだって。なんていうの、般若? あれみたいな顔した」

 そんな話をしている間に病院についた。2人は擦り傷程度で特に問題はなく、その後警察へ向かった。こってりと絞られたあと、帰宅した。学校の担任教師もやってきて、2週間の停学処分となった。


 翌日、ふたりは両親を伴ってバッグをひったくった女性の家に行った。双方の両親が用意した菓子折りを渡し、深々と頭を下げた。その夜、携帯電話が鳴った。栄介からだ。

「お前、ほんとなにやってくれてんだよ」

「しょうがないだろ、言っただろ、訳わかんない婆さんが出たって」

「次は絶対成功させるからな、頼むぜ、まじで」

 栄介はそう言って電話を切った。

「懲りないのかよ……」

 弘さんはため息をついてベッドに入った。


 深夜。

 なにか息苦しくて目が覚めた。

 時計を見ると午前2時を少し過ぎたころだった。

「なんか暑いな……」

 掛け布団をそっと胸元までずらした瞬間。

 般若のような顔をした老婆が弘さんの顔を覗き込んだ。

「ひっ」

 声を上げようとしても声が出ない。それどころか体も動かない。老婆は顔を弘さんの目の前まで近づけて、消えた。弘さんはそのまま気を失ったのか、気がつくと朝だった。


 枕もとの携帯電話を見ると、着信があった知らせのライトが点滅している。

 確認してみると栄介からだった。軽い頭痛を覚えながらかけなおしてみた。

「あ、俺。弘だけど」

「あ、あ、あ、あのさ。お前、怖い顔したばあさん見たつったよな」

 栄介はどこか取り乱したような声でそう言った。

「あ……うん」

「夕べ、夜中に俺の部屋にきたんだよぉ。なんなんだよ、あれ」

「部屋に?」

「寝てたら顔覗き込んできてよぉ」

 弘さんは一瞬めまいがしたという。

 あれは夢ではなかったのか。

「実は俺も……」

「なんだよ、ばあさん大活躍かよ。訳わかんねぇよ……」

 はぁ、と息を吐いた栄介は「またな」と言って電話を切った。


 その夜もその次の夜も老婆は現れた。栄介も同様のようだった。


 数日後、ふたりはあの日待ち合わせをした公園で話し合うことにした。

「あのさ……」

 弘さんはぼそっと言った。

「あの日さ、謝りに行った日。お前、心の底から謝った?」

「いんや。めんどくせえなぁって思ってた」

「俺もなんだよね」

「もしかして……」

「うん、それが原因かなって」

 ふたりはしばし沈黙した。

「……俺さ、何度か引ったくりして成功してきたけどさ」

 栄介が空を眺めながら言う。

「考えてみりゃ、ひどいことしてたな」

「……うん」

「じいさんからもパクったことあるよ。10万入ってた。生活費だったんだろうな」

「その金額じゃあ……そうだろうね」

「あのじいさん、あの後どうしたんだろう」

「……」

「あのばあさんがなにかは分かんねぇけどさ、そりゃ普通怒るよな」

 栄介はうなだれていた。

「俺の母ちゃんがひったくりにあったら、俺、多分、犯人殴りにいく」

 弘さんはボソッと言った。

「なぁ」

 栄介が顔を起こして言う。

「あの女の人んち、もっかい謝りに行かねぇか?」

 栄介の申し出は、弘さんも言おうと思っていたことだった。その女性の家はここからはそれほど遠くない。在宅しているか不明だったが、2人は女性の家に向かった。

 

 程なくして女性の家に着いた。

 チャイムを鳴らすと、あの女性が出た。

「あら……」

 女性は当惑したような顔をしている。

 そんな女性に栄介が言った。

「あの、俺たち、もっかいしっかり謝りたくて」

「……どうぞ、あがって。お茶でも出すわ。あなたたち汗びっしょりよ」

 女性はふたりを居間に通した。冷たい麦茶を運んできて、2人の前に座る。それに手をつける前にふたりは頭を下げた。

「俺たち、あの日本当は真剣に謝ってなくて」

 栄介が言う。

「すげー悪いことしたな、って2人で話し合って」

 弘さんも続けた。

「ほんと、すいませんでした」

 ふたりとも更に深く頭を下げた。

「もうそれはいいのよ。結果的になにも取られなかったし。それより……」

 女性は少し言いよどんだ。


「……見ましたね?」


 ふたりはハッと顔をあげた。

 女性がなにを言わんとしているか、ふたりには分かる。

「……見ました。あの時も、その後も」

 弘さんは言った。

「あちらの仏壇に、線香をあげて。それで全て終わるから」

 居間の奥にある部屋を指して女性は言った。言われたとおり線香を供える。仏壇に飾られた写真にはいかにも優しげな女性が写っている。

 そこでも心の中で謝った。

「私が産まれる前に亡くなった祖母なんだけど……」

 ふたりの後ろで女性が話す。

「私を守ってくれているみたいで、今までも何度かこういうことあったの」

 ふたりは改めて仏壇の写真を見た。

「祖母は滅多に怒らない人だったらしいんだけどね」

 その後も数回頭を下げて、女性の家を出た。


 それ以来、般若の顔をした老婆は現れていない。

 しかし、再び現れるのではないかと思ったふたりはいたって真面目な学校生活を送っているそうだ。

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