第25話 忘れ者
藤井さんは看護師だ。夜勤もあり、残業も多く、家に帰る頃にはヘトヘトになっている。しかし、この仕事に非常にやりがいを感じているそうだ。
痛みを訴える患者、寂しさを訴える患者、不安を訴える患者。彼らの痛みや苦しみを少しでも和らげたい、といつも思っているとのこと。
藤井さんが特に気にかけていた、末期ガンの清水さんという患者がいた。清水さんはいわゆる天涯孤独という身で、お見舞いに来る人はいなかった。
痛み、寂しさ、不安、それら全てを清水さんは抱えていた。
藤井さんはことあるごとに清水さんの病室にいき、できるだけ明るい声で接していた。その度に清水さんが少し微笑むことが藤井さんは嬉しく思っていたそうだ。
藤井さんが夜勤だった夜、清水さんは静かに息を引き取った。
――これで楽になれたのかな
患者が亡くなることは看護師であってもやはり気持ちは重く感じる。しかし、その一方でもう治らない病気を抱え、痛みに苦しんでいた患者が亡くなると「楽になれたのかな」という気持ちと「お疲れさま」という気持ちが相互する。
病院で患者が亡くなった場合、「エンゼルケア」というものが行われる。
身体を綺麗に清拭したり、髪やひげを整えたり、分泌物が漏れ出さないよう鼻や肛門などに詰め物をする。それは藤井さんが担当した。伸びかけていたひげを綺麗に剃り、藤井さんはその頬をそっと撫でた。思わず滲む涙。そして最後にブルーのパジャマを着せたとのこと。
誰もお見舞いにこなかった清水さん。清水さんの遺体は市に委託して無縁仏として埋葬される。実はそのような事例は少なくなく、清水さんと同じように無縁仏とされるケースは割りとあるそうだ。
これまで孤独だった清水さん。同じように無縁仏となった人たちと同じように埋葬されるのだ。これでもう「孤独」ではなくなるのかも知れない。藤井さんはそう思って自分を慰めた。
清水さんの遺体はベッドに乗せて地下の霊安室にエレベーターで移された。もちろん藤井さんはそれに付き添った。
それから数日後。
藤井さんは他階に用事があり、その後エレベーターに乗った。エレベーターの突き当たりの壁には大きな鏡が設置されている。車椅子の患者が後方確認をしやすくするためだ。横の壁にもたれて一息つく。
あいかわらず今日も忙しい。昼食の時間もあまりとれなかった。この仕事を愛してはいるが、やはりどうしても疲れは感じる。こうやって移動するときにぼーっとすることで多少身体を休めていた。
ふと。
鏡に何かが映ったように見えた。ブルーの服を着た人影。一瞬だったのでよく分からない。エレベーターには他にはだれも乗っていない。
気のせいか。
疲れているんだろう、電子カルテの入力で目も疲れている。錯覚だろうと藤井さんは思ったという。
しかし、その後からエレベーターでブルーの服の人影を見た、と証言する看護師が相次いだ。中には声を聞いた者もいる。
――どこだ、どこにいったんだ
彼女によると、声はそう聞こえたらしい。更にその人影をはっきりとみた看護師もいた。その姿はどう見ても清水さんだったという。
「ご遺体から魂だけ落っこちたのかしら」
そう言う看護師もいた。
藤井さんはあまり霊現象というものを信じていない。しかし、看護師たちの証言が事実なのだとしたら、清水さんの魂はまだエレベーターの中に残されたままで墓では眠っていないのかもしれない。
そう思うと、清水さんの境遇がいたたまれなく思った。同じ無縁仏として祀られている他の墓と同じ場所でようやく苦しみから解放されたのだというのに。
ブルーの服の人影が出る現象はあいかわらず続いている。
「『忘れ物』ならぬ『忘れ者』なのかもしれませんね」
話を終えた藤井さんは少し悲しそうな顔をしてそう言った。
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