第20話 食うんでねえ

 とある日。健一さんは舗装もされていない桜並木の道を歩いていた。いつからその道を歩いていたのだろうか。この道に至った経緯を思い出すことができなかったという。かすかに残った記憶によると、健一さんは会社に向かっていたはずだ。


 いつの間にこんな道に入り込んだんだろう。

 そもそもこんな道は近くにあったろうか。

 ひらひらと桜の花びらが舞い散る中を、健一さんはただひたすらに歩いていたそうだ。いずれどこかにたどり着くことを願って。


 ただの桜並木だと思っていたが、そうではなかった。

 桜並木の途中のところどころ、あるいは桜の向こうに美しく色付いた紅葉が見える。たんぽぽが咲いていると思えばアジサイが咲いていることもある。

 どうやら「ここ」は季節がでたらめなようだ。


 暑くもなく寒くもなく、穏やかな光がここちよくあたたかい。

 「ここ」はいったいなんだろう。

 健一さんは疑問に思いながら歩いていたそうだ。ふと気付くと荷物も何も持っていない。どうやらどこかに連絡することも不可能なようだ。

 

 歩いていけばそのうち誰かに会うだろう。そうすれば「ここ」がどこかなのかを聞けばいい。

 

―――ここはどこですか?

 

 そんな質問をすることが現実に起こるとは思いもしなかった健一さん。

 「私は誰ですか」と聞かなければならないほど漫画のような展開にはいたっていないことに、思わず笑ってしまったという。


 しばらく歩いていると、桜の木の下に数人が集まっているのを見つけた。どうやら花見でもしているらしく、お弁当を広げて笑いあっている。彼らに聞いてみるか、と思った健一さんはその集団に近づいていった。


 彼らは古いござの上に座っていた。7人ほどいるがほとんどが老人で、子供は一人だけ。やはり花見らしく、ごちそうがつまった重箱を囲み、中には酒を飲んでいる人もいた。

「あ、あのこんにちは」

「ああ、こんにちは」

 一番近くにいた男性がこちらを向いて笑顔を見せる。

「お花見ですか」

「ああ、時々こうやって集まってね、花見をするんだよ」

「時々?」

 桜の季節は短い。「時々」とはどういうことだろう。


「あんたぁ、座りんしゃい、良かったらちょっとつまんでいきなぁ」

「せやせや、今日はこの婆さんが弁当作ってくれたんやで、一番の名人や」

「あんた、酒は飲むと? ここの酒は美味かとよ」

 老人たちは口々に健一さんに話しかける。

 ここはどこか、と聞こうと思っていた健一さんだったが、その場の和やかな雰囲気につられ、ござに座った。

 どこか、なんて質問はあとでいい、そう思ったのだ。

「したら、この皿使うとええ」

 老人の一人が取り皿を手渡してくれた。重箱の中身はどれも美味そうだ。まず卵焼きに手を伸ばし、口に入れようとした。

「食うんでねえ!」

 箸を持った右手を誰かが握り締めた。驚いて振り向くと、昨年亡くなった健一さんの祖母がいた。

「ば、ばあちゃん!?」

「おめぇ、なんでここにきた。それは食っちゃなんね、帰れ」

「なに? どういうこと? そもそもここはどこ?」

 混乱しながら健一さんは言った。

「ありゃ、ウメさんの知り合いかね」

 ウメは、祖母の名前だ。

「なんや、あんたまだ『こっち』の人とちゃうんか」

「それなら食べては駄目じゃわね」

 健一さんの隣に座っていた老人が取り皿と卵焼きを取りあげた。

「こっちゃ、こい」

 祖母は強い力で健一さんをひっぱり、むりやり立たせた。健一さんは靴を履き、祖母の後を付いていったそうだ。

 

 やがて先に小川が見えてきた。

「なあ、ばあちゃん、ここってもしかして……」

「細かいことは気にすんでねぇ。ばあちゃんはこっちで楽しくやっとる。お前はまだくるんでねえ」

 祖母はそう言うと小川のほとりまで健一さんを引っ張っていった。

「ばあちゃん、俺、いったいどうなったんだ?」

 健一さんがそういうと、祖母は無言で健一さんの肩を押し、小川に突き落とした。


 一瞬の暗転。


 そして気が付くと健一さんは病院のベッドの上にいた。

「健一! 目が覚めたの!?」

 母の声だ。

「母さん、俺……」

「あんた、会社に行く途中で車に轢かれたのよ」

「え?」

「打ち所もそんなに悪くないはずなのに目が覚めなくて。心配したのよ」

「俺、どれくらい眠ってたの?」

「今日で3日目。良かったわ、本当に」

 窓から差し込む光がほのかにあたたかった。


 怪我は腕の骨折程度で他にはたいした怪我もなく、健一さんは一週間後退院した。


 黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)という言葉を知ったのは、一年後のこと。ふとしたきっかけだった。

 死者の国の食べ物。それを食べると現世に帰ることができなくなる。そういえば花見をしていた彼らは様々な地域の方言で話をしていた。あそこは死者が集まる世界だったのだろうか。

 「食うな」と言った祖母は、まだ健一さんが死んでいないことを知っていたのだろうか。

 なにもかもすべて、意識を失っている間に見た夢に過ぎないのかもしれないが。


 健一さんは今でも卵焼きを見るたびに思い出す。重箱を囲んで幸せそうに楽しんでいた老人たちのことを。いつかあの場所にいくことがあるのだろうか。

 あの美しい桜。季節がでたらめに咲いた花々。

 もうしばらく「こっち」にいるつもりだが、いつか遠い先に「あっち」に行くことを少し楽しみにもしている。

 そのときはあの卵焼きを必ず食べよう、健一さんはそう思っているそうだ。

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