第9話 猫の井戸 その四
龍郎はすぐにも戻って調べたかった。が、穂村が当然の顔をして、ついてこようとする。
「あの?」
「君、君、こんな楽しげなことに私をつれていかないなんて法があるかね?」
「…………わかりました」
穂村は魔王だが、戦闘の役には立たない。しかし、その膨大な知識量はたしかに力となってくれるに違いない。
「じゃあ、いっしょに行きましょう」
「荷物をとってくるから待ってなさい」
「…………」
すっかり穂村のペースで押しきられる。穂村は大きなリュックを背負って帰ってきた。工事現場の人が使うようなライトの固定されたヘルメットまでかぶっている。
「では行こう!」
「はい……」
そうか。いつもは清美がクッションになっていてくれたから、ここまで穂村が強烈ではなかったのだ。やっぱり清美にはそばにいてほしい。
ともかく、住職にお礼を言って、寺をあとにした。
石段をおりる途中、例の女の霊を見た。あいかわらず、井戸のほとりに立っている。
「穂村先生にはアレが見えますか?」
「うん? なんだね? よくわからん」
「あのつぶれた家が以前、この島の庄屋をしていた下井家跡なんですが、そこに女がいるでしょう?」
「私には見えんなぁ」
「穂村先生の正体は以前と同じですよね?」
「いかにも」
「その体はやっぱり、ふつうの人間なんですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、見えないですね。あそこに霊がいるんです。誰かを待っているようなんですが」
「どこに?」
「下井家の屋敷跡の井戸のそばです」
「井戸か」
つぶやいて、穂村は考えこむ。
「そう言えば、庄屋の家には昔、猫の井戸と呼ばれる井戸があったらしい」
「猫の井戸ですか? 変わった名前ですね」
「なんでも日照り続きの年に、井戸から猫が出てきたんだとか」
「井戸から? 猫が?」
龍郎の驚くようすがおもしろかったのか、穂村はニヤニヤしだす。
「それも一匹や二匹じゃない。夏のあいだ、何度もそんなことがあったという話だ」
龍郎は思案した。
「つまり、井戸のなかに猫が通れる空間があるってことですね?」
「そう。通常の年には水でふさがっているが、水不足になると島のどこか別の場所とその井戸が通じたというわけだ」
井戸は地下水脈でつながっている可能性がある。水脈が枯れて、よその井戸と往復できるようになったということだ。それにしても、その井戸端に女の霊が立つ理由にはならないが。
「あの霊のもとへ行ってみたいんですが、倒壊した家屋が重なりあって通れないんですよ」
「井戸を使えば、案外、行けるかもしれんね」
「中世にくらべれば温暖化が進んでますしね。でも、真夏じゃないとムリなんじゃ?」
「昭和の初めごろには枯れ井戸だったらしい。長いあいだに水脈の流れが変わったんだろう」
それなら、島内の別の井戸から行けるかもしれない。しかし、今日のところは灯台の探検のほうが先決だ。どうも、よくないことが起こりそうで気分が落ちつかない。
「急ぎましょう。先生」
「かまわんが、今からだと日暮れまで二時間半しかないな」
「そうですね。でも、灯台から入って、となりの屋敷へ行くだけですよ。隠し扉を見つけるのに時間がかかるかもしれませんが、通路じたいはほんの数分で進めるんじゃ?」
「そうだといいが」
なんだかイヤなことを言う。
とにかく、急いで浦主家へ帰った。灯台に入ってもいいか、真魚華に聞かなければならないし、何より青蘭のことが気にかかる。
ところがだ。屋敷に戻ると事態は一変していた。玄関をあけたとたんに悲鳴が響きわたる。血なまぐさい匂いや、獣の鳴き声もする。
「いったい、なんだ?」
淀んだ悪魔の匂いが朝とはくらべものにならないくらい強い。龍郎が出かけていた、ほんの一時間のあいだに、重大な事件が起こったのだ。
「青蘭! 無事かッ?」
式台をかけあがり、まっすぐに客間へとびこむ。が、そこには剣崎しかいない。ちょうど、龍郎と同時に座敷から出ようとしていたようで、戸口で鉢合わせする。
「青蘭さまは入浴中だ」
「…………」
愛しあったあとの汗を流しているわけだ。龍郎も妬けたが、なんとなく、剣崎も変な顔つきをしている。もしかしたら、昨夜のことに勘づいたのだろうか?
「それにしても、あの物音はなんだ? さっきから急にさわがしくなったが」
「行ってみましょう」
青蘭が心配だ。
だが、激しい叫び声が聞こえてくるのは、浴室の方角ではない。浴室は厨房の近くだが、その音は真魚華の部屋のほうから響く。
「剣崎さん。あなたは青蘭のそばにいてあげてください」
剣崎は龍郎の言いかたがシャクにさわったようだ。ふん、と顔をゆがめて廊下をまがっていく。
龍郎はまっすぐ走る。
真魚華の部屋まで行くと、外の廊下に花影や奥野、山形老人が集まり、オロオロしていた。
「いったい何事ですか?」
たずねると、青ざめた顔で、彼らは室内を示した。
龍郎は三人をどかせて、なかをのぞく。
そこには驚くべき惨状がひろがっていた。血なまぐさいはずだ。あっちにも、こっちにも、猫の死体が散乱している。
どれもこれも八つ裂きにされていた。おそらく、真魚華が素手で引き裂いたのだろう。彼女の衣服は真っ赤に染まり、両手も顔も血まみれだ。
「真魚華さん……」
龍郎は言葉を失った。
真魚華の眼帯をしていないほうの目が猫のそれになっている。またカラーコンタクトだろうか?
いや、今度は違う。真魚華の体から発する匂いが告げている。真魚華は悪魔になったのだと。
それだけではなかった。龍郎がもっとも血の気がひいたのは別の理由だった。
真魚華の手に、青蘭が抱きかかえられている。青蘭は失神しているようだ。美しい裸身に振袖をはおり、純白の肌をおしげもなくさらして。
「青蘭!」
真魚華は獣のような金切り声をあげ、壁に突進した。
あれでは青蘭が壁面に激突する——と思ったのも、つかのま。真魚華の姿は壁のなかに消えた。見れば、床の間の掛軸の裏が空洞になっていた。
了
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