第9話 猫の井戸 その二



 本州から来るフェリーは昼と夕方の二便。剣崎は午後には帰ってきた。朝イチの便に乗ったわけだ。よほど龍郎のことを危惧したのだろう。


 もしも帰島したのが剣崎一人なら、昨夜、龍郎と青蘭のあいだにあったことを勘づかれて血を見たかもしれない。が、幸いにして、同じ便で真魚華も帰ってきた。花影と山形老人が港まで迎えに行き、屋敷内がバタバタしたので気づかれずにすんだ。


 心配だったので、龍郎も屋敷の玄関で真魚華を出迎えた。化け猫にやられた眼球はどうなったのだろうか。それに、もっと入院が長びくと思ったのに、いやに早い。ほんとに治療が終わったのか確認したかった。ことによると病院をぬけだしたのではないかと疑ったのだ。


 帰ってきたとき、真魚華は右目に眼帯をしていた。ほかの部分に支障があるわけではないから、足どりもしっかりしている。いちおう病院を逃亡してきたわけではなさそうだ。


 だが、なんだろうか?

 真魚華のふんいきが変わった。それはまあ、若い娘が片目を失ったかもしれないのだ。視覚的な面でも、美貌の面でも絶望するのは当然である。


 それにしても、最初、ほんとに同じ人間かと疑った。病院で着替えたらしい年相応のTシャツとジャンパースカートのせいだろうか。着物のときとはずいぶん印象が変わった。


 真魚華はうしろ盾の下井も失った。生活に困窮するはずだ。財産があるのなら、四十も年上の男との意に染まぬ結婚に同意するわけがない。借金があるかどうかして、弱みにつけこまれたに違いないからだ。


 青蘭は昨日の罪悪感があるせいか、剣崎相手にやたらと甘えているので、龍郎が一人で、下井が化け猫だった件を説明するはめになった。

 だまって聞いていた真魚華は急にけたたましく笑いだす。


「あの?」

「ヒヒヒ。あのジジイ、いい気味。ヒヒヒヒヒ……」


 話にならない。

 それでも、座敷牢に封印されたという呪物について聞く必要があった。あの魔王クラスの邪神を放置したまま島を去ることはできない。島の人たちがあの呪いのせいで苦しみ続けることになる。


「呉服屋の蝶野さんから聞いたんですが、この屋敷には先祖から受け継がれたものが封じられているそうですね。蝶野さんはお寺の住職さんから聞いたそうです。その封じられたあるものが、この島で起こる怪異の根源です。呪いを解かないかぎり、あなたにもまた不幸が訪れる。だから、もし知っていたら教えてください。この屋敷のなかで壁をぬりこめたところがありませんか?」


 真魚華は「そんなの知ったこっちゃないよ!」と叫んで、自分の部屋にかけこんでいった。それきり、出てこない。つきそって帰ってきた花影や山形も心配そうではあったが、厨房へさがっていく。


 あわてて龍郎は二人を呼びとめた。

「花影さん。山形さん。その場所は座敷牢だったと言うんです。そんな場所を知りませんか? 海賊の宝だったって話なんですが」


 花影と山形は顔を見あわせつつ、首をふる。

「さあ。わたしは何も」

「…………」


 あいかわらず山形は無口だし、花影は冷淡で近よりがたい。


 しかたなく、龍郎は屋敷のなかを歩きまわった。こうなれば自力で探すしかない。


(隠し部屋があるとすれば、屋敷の外壁に面したあたりだろうな。まわりが全部、襖や障子じゃ、ぬりこめるのが大変だ。もともと座敷牢だったというし、たぶんだけど三方が壁で、一ヶ所だけが扉とか、そんな部屋だったはず)


 浦主家の屋敷はひじょうに広い。が、ほとんどの部分は平家建てだ。ときどき中二階になっている。階段をとり外しできるなら、中二階がその場所という可能性もある。


 スマホのメモアプリでおおまかな見取り図を描きながら、屋敷のすみからすみまで、くまなく歩きまわった。もちろん、中二階にもあがってみた。が、それらしい場所はどこにもない。


(おかしい。秘密の地下室でもあるのかな?)


 どうにも、らちがあかない。


 龍郎は思いだした。たしか、蝶野が言っていた。寺に本州から学者が来ていると。その人なら何か新しい情報を持っているかもしれない。それに、龍郎の知っている住職が化け猫だったということは、本物の住職には、まだ会ってない。伝承など聞いてみたいものだ。


(今、二時すぎか。日暮れまで四時間近くある。寺に行ってみよう)


 念のため出かける前に、青蘭に声をかけてみた。客間の座敷の前で寺へ行くむねを告げたものの、返事はない。かわりに不快なあえぎ声が耳につく。


(くそッ。帰ってきたら、さっそくか)


 あの豪華な振袖をぬがせて、少女のような青蘭と倒錯的な情事にふけっているのか。

 想像しただけで腹立たしい。


(青蘭はおれとあいつのどっちを選ぶんだろう?)


 もちろん、最後に選ぶのは龍郎だ。それはわかっている。二人のあいだにあるのは、ただの恋愛ではない。宇宙を超える運命の愛だ。途中から割りこんできたそのへんの男に負けるとは思わない。


 でも、だからこそ、現状がもどかしいのだ。遠慮している場合じゃない。なるべく早急に手を打つべきだ。


 ……だからと言って、抱きあっている最中に怒鳴りこむわけにもいかないので、とりあえず寺へ走る。

 長い石段をあがる途中、今日もふりかえってみた。


(あれ? まだいる。あの女)


 美代の猫も祓った。屏風に残る絵師の霊も祓った。それでも美代がこの世に執着するわけは、果たしてなんだろう?


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