第九話 猫の井戸
第9話 猫の井戸 その一
すっかり日が暮れてしまった。ようやく浦主家にたどりついた龍郎たちは疲れきっていた。
「青蘭。今日はいっしょの部屋で寝よう? また悪魔が襲ってきたら困るだろ? 剣崎さんもいないんだし」
我ながら、ものすごいグイグイ迫ってる。しかし、強力なライバルがいるのだから遠慮はしてられない。同じ部屋で寝るくらいは前世の恋人の特権だと思う。
青蘭は一瞬、白い目で龍郎を見た。が、先夜、下井に襲われたことは怖かったらしい。不承不承のていでうなずく。
「布団は離して敷いてね」
「わかってるよ。別に変なことはしないから。君を悪魔から守ってあげるんだよ?」
「……うん」
あいだを一メートルほどあけて布団を二つ敷いた。龍郎的にはこれでもけっこうドキドキだ。可愛い寝顔くらいは見れるだろうか。期待が高まる。
「豆電球つけとくんだろ?」
「うん。なんで知ってるの?」
「青蘭は暗いとこが苦手だから」
「……ストーカー?」
「違うよ! じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
豆電球の黄色い光のもと、それぞれの布団に入りこむ。
先日のこともあったから、崖側の雨戸も閉めてあった。これなら夜中も安心のはず。
だが、時間にすれば、まだ十時だ。二十歳すぎの青年が就寝するには早すぎる。ザザン、ザザンとさわぐ潮騒を聞きながら、じっと天井を見つめていた。チラリとよこをながめると、青蘭も目をあけている。
「青蘭」
「なんですか?」
「青蘭はなんで剣崎さんとつきあってるの? 二人のなれそめは?」
これも敵情視察だ。割りきって聞いてみる。答えが返ってこない可能性もあったが、とにかく二人だけの時間を有効に使わなくては。
すると、返答はあった。
「……僕が子どものとき、すごくイヤなことがあって、剣崎がまっさきに来て助けてくれたんです。だから、僕のボディーガードにしてもらったんだ」
「なるほど」
例の誘拐事件だ。剣崎は青蘭がカルト教団にさらわれて恐怖におののいているときに、
「じゃあさ。蝶野さんはなんで? なんか、すぐ信用してたよね。イケメンだから、ああいうのが好みなの?」
「違いますよ。あの人は、なんとなくだけど、懐かしいような気がしただけ……」
龍郎は寝返りを打って、青蘭のほうにむきなおる。綺麗な白いよこ顔が仄闇に浮かんでいる。
「じゃあ、おれのことは? おれを見たとき、懐かしい気がしなかった?」
「…………」
青蘭のおもてが、一瞬、こっちをむく。でも、すぐに反対側に隠れてしまったが。
「青蘭。君は信じないかもしれないけど、君とおれは前世で恋人だったんだよ」
どうせ妄想がすぎますとかなんとか言い返してくるだろうと予想していたのに、違っていた。
「……知ってます」
「えッ?」
ビックリして、龍郎は布団の上にはねおきる。
「今なんて?」
青蘭のかぼそい声が答える。
「だって、手をつないだとき、歌が聞こえる」
歌——きっと、アスモデウスの歌だ。
前世でそれはたがいに人目をしのんで逢引きするときの合図だった。嬉しいことも悲しいことも、二人の思い出がつまった、あの歌……。
青蘭は続ける。
「心臓を重ねると波打つ。瞳をのぞくと懐かしさがこみあげる。とても……とても懐かしかった。最初に会ったとき。これまでずっと、僕は剣崎がその人だと思ってたけど、たぶん、ほんとは……」
「青蘭……」
有頂天になって、青蘭の手をにぎる。つなぎあった手から、しびれるように甘い渦がかけめぐる。たがいの心臓が共鳴している。
「青蘭」
「龍郎……さん」
見つめあううちに、しだいに唇と唇が近づいていった。ふれあうと電流が走る。
「ダメ……」
ほんの一瞬、青蘭は抗った。でも、もうどうしようもない。二人は吸いこまれるように情熱の奔流に堕ちる。気づけば裸の胸を重ね、一つになっていた。深く、深く。たがいの蜜をしぼりつくすように酔いしれる。
朝方まで我を忘れていたくせに、夜明けになると、青蘭は言うのだ。
「こんなふうになっちゃいけなかったのに……」
「どうして?」
「僕の恋人は剣崎だよ。これまでも、今も、好きだから。油断したらこうなるとわかってたから、君のこと、さけてきたんだ」
「おれのことは好きじゃないの?」
問いつめるように聞こえたのだろうか。青蘭の瞳からポロポロ涙があふれだす。
「好きだよ! 出会ったばっかりなのに、なんでかわからないけど、たまらなく好き! だから、どうしていいのかわからない」
泣きじゃくる青蘭の背中をだまって抱いた。
これは思った以上にややこしいことになりそうだ。
つまり、青蘭の心は今のところ二分している。剣崎もまだ好きだけれど、龍郎のことも好きになって困りはてている。当面、剣崎と別れる気はないだろう。恋人は剣崎で、龍郎は浮気相手ということだ。
(まいったな。前世でさんざん、フレデリック神父に妬かされたものだけど、まさか、おれのほうが寝とる立場になるなんて)
剣崎がひいてくれたらいいのだが、たぶん、それは不可能だろう。
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