第八話 猫迷宮

第8話 猫迷宮



 よほどタマを可愛がっていたのか、気落ちする蝶野を残し、龍郎たちは浦主家に帰った。


 日没の金色の日差しがななめにかかる街路を、振袖姿の青蘭が歩くと、すれ違う老若男女がみなふりかえる。


「青蘭。振袖、似合うね」

「そう?」


 褒めてあげると機嫌がいい。

 ずっとこのまま二人ならいいのに。この夕暮れの田舎道に閉じこめられて、長い長い影をならべながら。


 そんな不謹慎なことを考えたせいだったろうか?


 しばらく歩いたのち、龍郎はだんだん不安になってきた。


「あれ。変だな。こんなに遠かったっけ? そろそろ三又の道に出るはずだけどな」


 港からあがってきた坂道の上の三又だ。そこまで行けば、浦主家はもうすぐだ。しかし、細くまがりくねった道を歩くうちに迷ってしまったようだ。


「帰り道、わからないの?」

「えっと……」

「助手なんだから、それくらい、ちゃんと覚えといてくださいよ」

「ごめん」


 青蘭は赤い鼻緒のゲタなので、歩きづらそうだ。路端の塀に腰をおろして文句を言った。


「僕もう歩けない」

「いいよ。おれがつれていってあげる」

「…………」


 青蘭は何か言いたそうだったが、疲労と楽ちんを両天秤にかけて、自ずと出た答えを享受したらしい。


「じゃあ、お願いします」


 両手を伸ばしてくるので、ひさしぶりに青蘭をだっこした。花のような芳香がかぐわしく鼻腔をくすぐる。青蘭の香りだ。


「いい匂いだなぁ」

「やめて。ヘンタイ」

「いやいや、あのね。青蘭。おれはほんとに君を愛してるから。君を守るためならなんだってするよ?」

「そういうのストーカーって言うんですよ」


 とりあえず南へむかっていけば、いつかは三又のところへ辿りつけるはずだ。やみくもに歩きだす。青蘭は羽毛のように軽いから、両手にかかえていても、さほど苦にならない。


 しばらく歩くと、T字路に来た。正面に白と黒の猫の置物が飾られている。白いほうへまがると、次は白と三毛猫の像だ。三十センチくらいの陶器だが、誰がこんな道端に置いているのだろうか?


「なんか変だなぁ」

「さっきから人影がなくなりましたね」

「猫もいない。あんなにウジャウジャいたのに」

「それに、太陽の高さがずっと同じみたい」


 ヘンタイとかなんとか罵っていたくせに、しっかり龍郎の首に両手をまわして、頭を肩にもたせかけ、甘えたようすの青蘭の声がくもる。


「また、入りこんだかな?」

「うん。たぶん」


 やっぱり、そうだ。

 道に迷ったのは、龍郎の方向感覚のせいではなかった。悪魔の結界のなかだからだ。


 とは言え、すぐさま何かが襲ってくるふうではなかった。

 龍郎は三毛猫の置物のほうへまがる。すると、最初の白と黒の猫のT字路に戻った。


「迷路なんだな。正しい道を選ばないと脱出できない」

「がんばって。助手」

「まあ、がんばるけど、助手呼びはヒドイんじゃないか?」

「だって……」


 青蘭は何かをためらっているようだ。辛辣しんらつな言葉ばかり吐くのは、そのせいかもしれない。


 とにかく、さっきのとおり白猫の像のさきへ進む。次の白猫と三毛猫では、さっき三毛猫でまちがったから、次は白だ。すると今度は白猫とトラ猫の像がちょんと座っていた。


「ねえ、白猫は必ずありますよ?」

「そうだね。白猫のほうへ行けばいいのかな」


 そこからは白猫の導く進路を行く。やはり、まちがってはいないようだ。同じ道に戻されることはなくなった。が——


「ああ……この道をつき進むと、アイツが待ってるんだ」

「そうみたいですね」


 かなりさきのほうではあるが、家より大きな白猫が、どっしりと道をふさいで、うずくまっていた。大きいので遠くからでもよく見える。当然、化け猫だ。


「強いな。瘴気で歪んで見える」

「もしかしたら、この島に巣食ってるボスかもしれないですね」


 そうだ。呉服屋の厨房でタマと話していた黒い影。姿形はあのときと違うが、存在は同じだ。タマがしくじったので、いよいよ自らやってきたというわけか。


「アイツと戦うしかないかな?」

 龍郎がたずねると、青蘭は小首をかしげながら、

「たぶん。でも、あれはヤツのほんとの姿じゃない。戦っても本体を倒すことはできない。この迷宮は僕らを殺すために、アイツが作った処刑場なんだと思う」


 つまり、相手のパワーがなんらかの力で増幅している。その上、苦労して勝ったとしても、むこうは痛手をこうむらない。


「まいったな。どうする?」

「戦わずに逃げだせれば一番いいんだけど……」


 そんな都合のいいことは不可能だ。選択をまちがうと自動でスタート地点へ戻される。正しい道を行けば、ゴールでが待ちかまえている。これでは迷路を突破することができない——と、考えたときだ。


「ニャア」と鳴く猫の声がどこからか聞こえる。見れば、塀の下に白と黒のブチ猫がいた。


「あっ、タマだ」


 さっき倒した蝶野の飼い猫だ。タマの魂なのだろう。薄く光っている。


 タマは龍郎たちのほうをじっとながめていた。それから急に走りだす。塀と塀のあいだの細道だ。少し走ると、こっちをふりかえった。


「ついてこいと言ってるみたいだ」

「そうですね」


 ただ、人間一人がやっと通れる幅なので、青蘭をかかえたままでは行けない。


「ごめん。青蘭。ちょっとのあいだ、自分で歩いてくれる?」

「しかたないですね」


 龍郎は青蘭をおろし、手をつないだ。タマのあとについて塀のすきまへ入っていく。まるでお化け屋敷の順路みたいに真っ暗だ。上から枝なのかなんなのか、たれさがり、完全なトンネルになっている。


 龍郎たちがついてきたと確認すると、タマは全速力で走りだした。龍郎たちも必死で追った。最初はカニのように横這いじゃなければ通れなかったすきまも、しだいに広くなり、正面向きで走れるようになる。


 どこか遠くのほうで怒り狂った猫の鳴き声が響きわたっていた。ドシン、ガタンと地面もやたらにゆれる。

 だが、無我夢中だ。ひたすら疾駆しっくする。


 やがて、とつぜん目の前がひらけた。あの三又へさしかかる道路に青蘭と二人で立っている。ふりかえると、トンネルのような塀のすきまは見えなくなっていた。どうやら、逃げきったようだ。


「タマのおかげだ。タマが案内してくれたから」

「そうですね」


 タマは低い塀の上にいた。が、その姿は急速に薄れつつある。ただ、『ぬしさまをよろしくお願いいたしまする』と言いたげに、一度ペコリと頭をさげた。




 了

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