第七話 猫の呉服屋
第7話 猫の呉服屋 その一
龍郎はかまれた首のケガを、青蘭は火傷の治療を受けて病院をあとにした。青蘭の火傷は跡になるほどではないと医者に言われた。
「よかった。治るんだ」
「これで安心ですね」
結界から戻ると剣崎もいて、青蘭のとなりを当然のごとく陣どっている。
三人で島に一軒だけあるという服屋へむかっていた。青蘭は靴もなくしたので、剣崎にお姫様だっこされている。
「それにしても、凛人くんの霊はせいぜい中級悪魔だった。電話で助けを求めるほど、青蘭が苦戦したのはおかしくないか?」
龍郎がたずねると、青蘭は柳眉をひそめる。
「結界のなかに、ほかの悪魔もいた」
「ほかの?」
「もっとずっと強力なやつです。でも、途中でいなくなった」
「もっとずっと、か。上級悪魔かな?」
「そんなんじゃない。あの感じはもっと……」
もっとということは、魔王クラスということだろうか?
たしかめたいが、なんとなく聞くのがはばかられるふんいきを、青蘭が発している。
青蘭はつぶやく。
「この島が悪魔だらけなのは、たぶん、あいつのせいだ。あいつの存在が島の邪念を活性化させてる。ふだんなら、ただの霊にすぎないものたちが、みんな力を持って怨霊化してるんだ」
だとしたら、小物の悪魔を退治してもキリがない。いくらでも湧いてでるということだ。
「そいつはどこにいるのかな? 誰かに取り憑いているとか?」
「わかりません。この島のどこかにいるとしか」
探そうにも島ぜんたいに漂う悪魔の匂いが濃厚すぎる。島にはびこる低級悪魔をかたっぱしから退治していけば、ジャマな匂いが薄れて出どころがわかるかもしれない。
とにかく、今は服だ。
いかに青蘭が絶世の美青年でも、ハーフコート一枚で街路をうろつくのは犯罪だ。見えそうで見えないラインからのぞく真っ白なふとももが、なんとも悩ましい。不用意に痴漢を増殖させてしまう。
「あれが服屋ですね?」
「青蘭さま」
「服屋だけど……」
島に一軒しかないという服屋はシャッターをおろしていた。休業中という手書きの紙が貼りだされている。
「僕に裸でいろと?」
「おれの服を貸してあげようか?」
龍郎は申しでた。が、青蘭は半眼のまま休業中の店をにらんでいる。
「そんなの大きすぎます。パンツのロールアップなんて貧乏人のすることです」
それは言いすぎだと思ったが、数兆円の資産を有する青蘭の感性は独特だ。文句を言っても受け入れられないだろう。
ここで龍郎はふいに名案が浮かんだ。
「剣崎さんがフェリーに乗って、車まで着替えをとりに行けばいいよ」
これで一日か長くても二日だけとは言え、ジャマな恋敵が龍郎たちの前からいなくなってくれる。ふだん、他人をおとしいれる策を用いることのない龍郎だが、めずらしく妙案を思いついたことに浮かれた。たぶん、満面の笑みになっている。
剣崎が小さく「くッ」とうめいたのを、龍郎は聞きのがさなかった。
「そうですね」と、青蘭は思案しながら、「島のなかは危険だから、剣崎にそばにいてほしいけど、車の置き場所を知ってるのは彼だけだし……」
「だろ? 今すぐ、とってきてもらいなよ」
青蘭は決断した。
「剣崎。とってきて」
「…………」
無念の表情で剣崎は頭をさげる。龍郎をひとにらみしてから、港をめざして歩いていった。龍郎は内心、ガッツポーズだ。
「じゃあ、今日のところはしかたないよ。おれのTシャツ貸してやるから、下はパジャマでも、はいとけば?」
「ああっ、想像しただけでクソほどダサいけど、しょうがないですね!」
「クソほど……」
なんだろう。この口の悪さは。剣崎の影響かもしれない。前の青蘭にはなかった側面だ。
まあいい。今夜は二人きりだ。恋が進展するとまでは思わないが、この前みたいに急接近はできるかもしれない。龍郎の心は弾んだ。
「さ、帰ろう。そのカッコじゃ寒いだろ?」
「言っとくけど、寝室は別々ですからね?」
先手で釘を刺された。
でも、負けない。
「ほら、昨日みたいなことがあると危ないよ?」
「そんなわかりやすくニヤけた人、そばに置いとけないでしょ?」
「えっ? おれ、そんな顔してた?」
「してないとでも?」
反問の応酬はとつぜん、終わりを告げた。背後から呼びとめられたのだ。
「あの、服を買いに来たんですか?」
誰だろうか。せっかく、いいところだったのに。
しょうがないので、龍郎はふりかえる。どういうわけか、そこに花影が立っていた。
「花影さん。こんなところで、どうしたんですか?」
「八百屋がこの近くにあるんです。買い物帰りなので」
たしかに、わかりやすく買い物カゴにちょうどいいトートバッグを肩からさげている。
「ああ、そうか。おれたちがいるから食材がたくさんいるんですね。すいません。食費だけでも払ったほうがいいのかな?」
「いえ。かまいませんよ。どうせ、真魚華さんから預かった経費から出てますし」
だが、その真魚華は帰ってこないし、下井がいなくなってしまった。島にいた下井は美代の猫が化けた悪魔だった。ということは、当人は別の場所で生きているのだろう。しかし、浦主家に援助していたのは悪魔だったということになる。浦主家は今後、生活に困る可能性がある。
「僕が払ってやるよ。十万? 五十万? 百万かな?」
言いながら、青蘭はハーフコートのポケットに手をつっこんで硬直した。
「僕の小切手帳がない!」
「そりゃないよ。そのコート、おれのだから」
「貧乏人! なんで小切手帳の一つも持ってないんですか?」
「いや、ふつう小切手帳は持ち歩かないよ」
「じゃあ、どうすれば……」
「ていうかさ。青蘭。もしかして、クレジットカードも消えちゃってないよね?」
「えっ……?」
みるみるうちに青ざめる青蘭。
こんなに血の気のひく人を初めて見た。
「やっぱり、消えたんだ?」
「た、たぶん……」
青蘭はあわてて反対のポケットに手をつっこみ、スマホをとりだすが、それも龍郎のものだ。
「ああッ! 秘書の電話番号が登録してない!」
「そりゃ、おれのスマホだから」
「あああああーッ!」
身悶える青蘭は申しわけないが、ベリーキュートだ。
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