第6話 猫病院 その三



 ドアをあけると、なかには子どもがいた。ベッドの上に半身を起こしている。


 両手で顔を覆っているので、容貌は見えない。つややかな黒髪と雪のように白い肌から、青蘭ではないかと思った。悪魔の結界のなかでは時間の法則もとびこえることがある。前に青蘭の記憶のなかに入りこんだときみたいに。今度もそれかと思った。


 近よって、そっと声をかける。

「青蘭? なんで泣いてるの?」


 少年なのか、少女なのかもわからない。ほっそりしているから、ふつうなら女の子のはずだが、青蘭がこのくらいの年のころなら、少女のように見えただろう。


「青蘭なんだろ?」

「……シロちゃんがいないの」

「シロちゃん?」

「シロちゃんはお友達だよ。ずっといっしょだって約束したのに」


 シロという名前は人間らしくない。犬か猫ではないだろうか。この島では犬の姿をめったに見ないから、ペットだとしたら、おそらく猫だ。


(猫……白い猫)


 なんだか、モヤモヤする。

 美代の猫は白猫だった。でも、これはむしろ、もう一方の白猫のほうなのかもしれない。


「えーと、君はシロちゃんの飼いぬしだよね?」


 こくんと子どもがうなずく。


 青蘭ではない。この子どもは少なくとも島民だ。白猫の飼いぬしだとしたら。


「シロちゃんはどうしていなくなったの?」

「崖から海に落ちたんだって、お母さんが……でも、ぼく、知ってるんだ。マナ姉ちゃんがシロをいじめて海になげたんだよ。ぼく、シロを探してて、こっそり見てた」

「マナ姉ちゃんっていうのは、浦主さんのうちの真魚華さんかな?」


 子どもはまたうなずく。それにしても、ずっと顔を隠したままなのが異様だ。


「やっぱりそうか。真魚華さんが片目をつぶしたせいで海に落ちたっていう、あの猫か」


 ただの事故じゃなかったのだ。真魚華はいじめた上で、海になげおとして殺していた。

 そう言えば、東屋で見かけたとき、あの白猫は首輪をつけていた。この子はその飼いぬしなのだ。


「シロはもう天国へ行ったよ」

「ウソだよ。ずっといっしょにいようねって約束したもん。シロちゃんだって、『うん』って言ったよ」

「きっとシロも君を探していたんだね。だけど、あの猫はもういないんだ」

「どうして?」


 この子にとっては残酷な事実かもしれないが、言わなければいけない。真実を伝えなければ、きっと、この子はずっと、こうしてさ迷うことになる。


「シロはね。おれが成仏させたから」

「じょうぶつって?」

「悪い心を退治したんだよ。だから、天国に行ったんだ」

「ウソだよ。シロは、ぼくを置いていかないよ」

「ごめんね」

「お兄さんがシロをイジメたんだね! お兄さん、悪い人だ!」


 とつぜん、子どもが両手をおろした。あらわになった顔は人間のものではない。猫だ。さっきの医者やナースたちと同様、顔だけが猫のそれになっている。


 フギーッと猫が怒ったときの声をあげ、子どもはとびかかってきた。ベッドの上にすわった状態で、予備行動なく龍郎の胸まで跳躍してくる。するどい爪が目の前に迫る。


 思わず、右手で子どもの頭をつかむ。肉の焼ける匂いがした。子どもが右手をかじろうとしたので、あわてて離す。子どもは窓ガラスをやぶって外へとびだした。


「あッ。退治できなかった」


 窓から外をのぞいたときには、すでに子どもの姿はない。だが、身をのりだして見ると、階下の窓のなかに白衣を着た人影が見える。小さなデスクが窓ぎわに置かれているので、診察室ではないかと思う。


(あそこに青蘭がいる!)


 建物のなかから行けないなら、外からなら行けるかもしれない。急いでシーツに結びめをいくつか作り、ベッドの足にしばりつけた。


 両手で簡易ハシゴをつかんでおりていく。長さがたりなかったが、一階ぶんの高さなら、なんとかとびおりることができた。地面に着地する。じゃっかん足がしびれるものの、行動に支障はない。


 龍郎は一階の窓にとびついた。思ったとおり、青蘭がいる。失神しているのか、椅子のひじかけに両手をくくりつけられ、背もたれに沈みこむようによりかかっている。閉ざされたまぶたを、今まさに医者がこじあけて何かしようとしていた。右目をえぐりだすつもりらしい。


 龍郎は窓に手をかけた。てっきり鍵がかかっていると思ったのに、あっけなくあいた。急いで窓枠を乗りこえ、とびこむ。


「青蘭!」


 ふりかえった医師の顔は、またもや猫だ。


「やめろッ!」


 つかみかかると、これもビックリするほどかんたんに倒れる。そのまま、右手こぶしを顔面にたたきこむ。猫医者は光の粒になった。妙に弱い。


(コイツは結界を作ってる悪魔じゃない)


 とにかく、青蘭のぶじをたしかめなければ。

 龍郎は急いでかけよった。


「青蘭? 大丈夫?」


 百均などで売っている結束バンドで両手を固定されている。ほどくことはできないので、デスクの上のハサミで切断した。


「青蘭?」


 縛られていた手首に薄くあとがついているものの、ケガはないようだ。脈もある。


 しかし、悪魔の本体を倒さなければ、ここから出られそうにない。いったい、本体はどこにいるのだろう?


 そう考えていたときだ。

 とうとつに痛みが走る。首すじにするどい何かがつきささった。

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