第5話 猫寺 その三
なかなか有意義な話を聞きだすことができた。この島のどこかに月島のもう一枚の絵が残っているなら、なんとか見つけたいものだ。
「ところで、住職。月島さんが美代さんの絵を隠しておく場所に心あたりはありますか?」
「いや、ない」
「そうですか」
住職から聞けるのは、これくらいのようだ。龍郎はそろそろ暇乞いをすることにした。病院に行った青蘭のぐあいも気になる。
「ありがとうございます。じゃあ、これで——」と、言いかけたときだった。
急にグラグラと本堂がゆれて、あたりが真っ暗になる。まだ昼間なのに一瞬で夜みたいになった。
「わッ。なんだろう?」
「雷だな」
暗雲がたちこめるというのは、まさにこういう状態だ。とつじょ黒雲がわきおこり、ゴロゴロと遠雷が鳴る。その音がみるみるうちに近づき、あけはなった戸のむこうが青く光った。激しい雨が滝のように落ちてくる。
「ヒドイ雨だなぁ。ゲリラ豪雨だ。これじゃ出歩けない」
「やむまで待ちなさい。茶でも持ってこよう」
住職が立ちあがり、本堂の脇から奥へむかっていった。龍郎は猫たちとともに本堂に残される。
このあいだに寺のなかを調べられないかと、腰を浮かせる。と、猫たちがいっせいに龍郎を見た。ハッキリと襲ってきそうに牙をむく。しょうがなく、ふたたび腰をおろす。すると、猫たちもおとなしくなった。
(困ったな。これじゃ動けないぞ)
青蘭はどうなっただろうか?
元SATの剣崎がついていれば、たいていのことには安心のはずだ。しかし、悪魔相手ではそうもいかない。離れていると心配でならない。
気になったので、龍郎は電話をかけてみる。いちおう正式契約になったときに雇いぬしの青蘭には電話番号を聞いてあった。
スマホをとりだして青蘭のナンバーをタップする。数回のコールのあと、電話はつながった。が、ようすがおかしい。
「ああ、青蘭」
そっちはどう?——と聞こうとするのをさえぎって、悲鳴に近いような青蘭の声が告げる。
「今すぐ、こっちに来て!」
「えッ?」
「助手の仕事だ。早く……おまえでもいないよりは……」
なんだかノイズが入って、とうとつに切れてしまった。
これは、つまり、青蘭がピンチということだろうか?
(なんだって、いつも、ほんのちょっと目を離すとこうなるんだ?)
雨がやむのを待ってから、なんて言っていられなくなってしまった。さっきのあの感じでは、そうとうに急を要する事態だ。
龍郎は立ちあがった。猫たちがまわりをとりかこむ。稲光が走った。悪魔の気配がいっきに強まる。ごく近くにいる。
うなる猫たちのあいだを慎重に進み、どうにか本堂の入口にまで到達した。どしゃ降りの雨だ。今ここから出ていけば、ずぶぬれになるだろう。だが、そんなこと、かまってはいられない。青蘭が助けを求めているのだから。
龍郎が広い板の間をおりようとしたときだ。雨音にまじって、どこからか変な音がする。
カリカリ……カツ、カツ……。
これは、この音は、アレじゃないのか?
昨夜、崖の上を猫のような人のような何者かが這ってきたときの……。
するどい爪がかたいものをひっかく音?
雨音のせいか、ときおり聞こえては、また消える。
龍郎は耳をすました。音は下から聞こえたかと思えば、次には上から届く。天井をふりあおいだ瞬間、青白い閃光が空間を裂いた。
「あッ——」
稲妻に浮かびあがる。
天井に四つ足で張りつく男。
ぞッとしたのは、それがありえない姿だったからだ。いや、外見だけならふつうだが、むしろ、それが恐ろしい。見るからに化け物じみた何かであれば、あるていど予期していたものだ。
しかし、それはありきたりの服を着て、どこからながめてもただの人間に見える。洗いざらしの作務衣をまとい、頭はツルツル。しわ深い顔。白いひげ——住職だ。百歳にもなろうという老人が、奇怪な妖魅のように両手両足で天井にしがみつき、不自然な角度で首を背中にまわして、こっちを凝視している。
「なッ——」
あまりにも意表をつかれて、龍郎は硬直した。次の瞬間には雷光が消え、あたりはまた暗闇に包まれる。
カリカリと爪のひっかかる音。息づかい。それが走りまわるたびにゆれる空気。うなり声。
と、何者かが背中に覆いかぶさってくる。次には足にも。大きさから言って、ノラ猫たちだ。龍郎の動きを封じるように、手足にまといついてくる。
次々にとびついてくるので、小山のごとく重くなる。立っていられなくなり、両ひざが床についた。
おそらく、それを待っていたのだろう。
あきらかに猫たちは住職の支配下だ。住職の命令に従っている。龍郎の抵抗を封じたところで、攻撃をしかけてくる——
(マズイ。動けない)
頭上で風が鳴る。来る。
龍郎は必死で右手に意識を集中した。浄化の光を発する。腕にまといついた猫たちはバタバタと床に落ちた。なんとか右腕だけは自由になった。そのまま、こぶしをつきあげる。耳元ですさまじい雄叫びが響いた。
気がつけば、あたりは昼間の明るさに戻っていた。あれほどの豪雨がウソのように、カラリと晴れている。境内の地面もぬれていない。
どうやら、いつのまにか悪魔の結界のなかに呼び入れられていたらしい。
片目の猫たちは消えていた。
住職もいない。
ただ、屏風絵の黒猫が桜の枝の上で血を流している。血は墨のように黒い。目をとじて、こときれているようだ。
(絵に残された月島の無念の思いだったのか)
龍郎は合掌し、寺をとびだした。青蘭が助けを待っている。
了
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