第3話 美代の猫 その三
嘲笑うかのような猫の鳴き声を聞きながら、どうすることもできない。
重い屋根が建物全体にのしかかり、玄関はつぶれて戸口もひらかない。周囲を一周してみたが、人間が入りこめるすきまはどこにもなかった。クレーン車かブルドーザーでも使わないかぎり、建物の奥へ入っていくことはできそうにない。
しかたなく、あきらめ、龍郎は浦主家へ帰った。日没が近い。もう午後六時前だ。日が暮れると街灯の少ない島のなかは、いっきに暗くなっていく。宿もない島で夜間に道に迷うことはさけたかった。
浦主家に帰る前に東屋をのぞいてみた。白猫はいない。あのときに見たのは、似た外見のふつうの猫だったのだろうか?
ため息をつきつつ、浦主家の門前で呼び鈴を鳴らした。鍵がかかっているだろうと考えたからだ。が、いつまで待っても反応がない。もう一度、鳴らす。すると今度は一瞬だけインターフォンがつながり、悲鳴が聞こえてきた。
屋内で何かが起きている。とたんに、龍郎は青蘭の身が心配になる。門扉に手をかけると、どうしたことか鍵があいていた。無断でなかへとびこむ。
「青蘭! 大丈夫か?」
以前の世界で、青蘭はとにかく悪魔に狙われ、しょっちゅう、さらわれた。だから悲鳴を聞くと、つい青蘭に危険が迫っていると考えてしまう。
が、玄関口で叫ぶと、昼間に通された座敷の襖がひらいて、青蘭の顔がのぞく。
「なんですか?」
ちょっと眠そうなトロンとした目をしている。なんの問題もないようだ。龍郎はホッと胸をなでおろす。しかし、それならさっきの悲鳴はなんだったのだろう?
「インターフォンがつながってるのはキッチンかな。行ってみよう」
「えっ? なんで?」
「悲鳴が聞こえたんだ」
玄関から座敷まで走っていくと、青蘭は剣崎と二人で、のんびりお茶を飲んでいたらしい。なんなら恋人のひざ枕で昼寝でもしていたのかもしれない。
しかし、妬いている場合ではない。
キッチンは幸い、すでに場所を覚えていた。玄関をあがってすぐに廊下が二手にわかれている。その右手側の奥だ。
走っていくと、土間の厨房で大変なことが起こっていた。
真魚華が魚をくわえてテーブルの上で暴れている。四つ足で着物のすそをはだけ、そのさまは、まるで猫だ。奥野や花影が悲鳴をあげながら逃げまどっている。見れば、真魚華は手に包丁をにぎっていた。
「いったい、なんでこんなことになったんですか?」
龍郎がかけこむと、奥野がとびついてきた。背中にひっついてくるおばさんを見て、青蘭の表情が険しい。
「助けてェー! 急にお嬢さまが」
「わかりました。みんな、離れて」
龍郎は右手をあげて浄化の光を放つ。弱い亡霊や悪魔なら、これで充分、滅却できるのだが、真魚華のようすには変化がない。あいかわらず髪をふりみだし、あばれまわっている。
(おかしいな。悪魔憑きなら、多少、まぶしそうな態度くらいはとるはずなのに)
浄化の光を濃縮した浄化の玉を撃ちこむこともできるが、これをすると悪魔に取り憑かれた人間は肉体ごと分解され消えてしまう。それでは下井が怒り狂うに違いない。
龍郎はテーブルの上の真魚華を見つめた。生魚をくわえて、ときおり包丁をふりまわしている。でも、動きは決して素早くない。
(これなら、つかまえられるな)
ところが、龍郎がふみこもうとしたときには、剣崎がよこからとびだして、サラッと包丁を持つ真魚華の手をにぎりしめた。真魚華はうめき声をあげ、魚と包丁を同時にとりおとす。失神したようだ。
龍郎はなんだか、ガッカリだ。せっかくの見せ場だったのに。チラリとうかがうと、案の定、青蘭はウットリと剣崎を見つめている。
「もう大丈夫ですよ。坊ちゃん」
「だから、坊ちゃんって呼ぶなって言ってるだろ」
龍郎は嘆息した。
「おれだって、つかまえられたよ」
「剣崎はもとSATの隊員なんですよ。あなたがやるより素早いでしょ?」
もとSATとはまた、張りあうのにハードルがあがる。しょうがなく、龍郎は気絶している真魚華に歩みよる。ひたいに手をあてて、かるく浄化の光を照射する。通常なら、これでもう充分のはずだ。よほどトリッキーな憑きかたをしている悪魔でないかぎり。
ところが、真魚華が気づき、目をあけると、まぶたの下の瞳はまだ猫のソレだ。眼帯は暴れたときに落ちていた。
「効いていませんね。あなた、ほんとに浄化できるんですか?」
青蘭がバカにした目つきでにらんでくる。
龍郎は真魚華を凝視した。
(もしかして、この子……)
真魚華はいちおう正気には戻っていた。周囲のようすを見て察したのか、わあわあ泣きだす。
「おれが部屋まで送りますよ」
龍郎が言うと、こくんとうなずき、真魚華はおとなしく、さしだした手をにぎる。龍郎の右手を。
(やっぱり、そうだ)
青蘭が毛を逆立てた猫みたいな顔をして見送るなか、龍郎は真魚華を自室までつれていった。
真魚華の部屋は玄関から左側の奥だ。ただ、玄関からの二手にわかれた廊下は、とどのつまり回廊になっていて、右手のキッチンをさらに奥へ歩いていくと、そこから左手に折れて、左側の廊下にまでつながっていた。
和室の十二畳。立派な装飾の部屋だ。美しい違い棚や、
ぐあいはいかがですか?——と龍郎が声をかけようとしたときだ。真魚華がよろめいた。それを支えて、龍郎は真魚華と抱きあう形になる。
「真魚華さん——」
言いかける龍郎の口は、とつぜん、ふさがれた。真魚華の唇がピッタリ、吸いついてくる。
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