第一話 探偵助手はいりませんか?

第1話 探偵助手はいりませんか? その一



 もしも恋人が自分のことを忘れてしまったら、たいていの人はそうとう悲しい。それも、ただの恋人じゃない。だ。人生にその人だけしかいないという人。


青蘭せいら……」

「誰?」


 見事に忘れられていた。

 でも、それはしかたない。

 何しろ、宇宙が一度すべて消え失せ、ここはそのやりなおしの世界だ。前の世界でのことをしっかり記憶しているのは、人間のなかでは龍郎だけなのだという。


「おれは本柳もとやなぎ龍郎たつろう。君は八重咲やえざき青蘭せいらだろ?」

「そうですけど。なんで、僕の名前を知ってるの?」

「ずっと君を探してたよ」

「どうして?」

「さあ、どうしてかな。君ははなぜ、ここに来たの?」

「わからない。でも、なんとなく、なつかしくて」


 龍郎はかつての恋人の白皙はくせきを見つめる。

 あいかわらず、比類ない美貌だ。くっきり二重まぶたのハーフっぽい面差し。絹のようになめらかな白い肌。前髪を長めにした、つややかな黒髪。ほっそりと優美な体つきも、以前のとおりだ。


 光に透けると瑠璃色に見える黒い瞳をのぞきこんでいると、自然に距離が近くなる。青蘭の瞳も何かを期待するように潤んで……。


 龍郎がそっと青蘭の手をにぎろうとしたときだ。

 青蘭が警戒したノラ猫のごとく冷たい声で告げた。


剣崎けんざき。不審者です。なんとかして」

「はい。坊ちゃん」

「坊ちゃんって呼ぶなって言ってるだろ」

「はい。青蘭さま」


 なんと、青蘭一人ではなかった。

 ちなみにこの場所は熊本にある鍋ヶ滝だ。以前の世界で青蘭と心が通じあった思い出の場所だから来てみたのだ。そこでぐうぜん再会するという、これ以上ないロマンチックなシチュエーションだったのだが……。


 青蘭のうしろにもう一人、背の高い男がいた。三十代だろうか。背広を着て、目つきはするどいが、和風の顔立ちのなかなかのイケメンだ。


(あれ? こいつ、見たことあるぞ)


 そうだ。前の世界で青蘭の秘書が運転手として雇っていた男だ。なぜ、この男が青蘭といっしょにいるのだろう?


(坊ちゃんってことは、主従関係があるんだよな)


 でも、青蘭が甘えるようにしがみつくようすを見るにつけ、ふつうの主従関係ではなさそうな気配がただよう。ひじょうにイヤな予感がした。


「……あの、お二人はどんな関係で?」


 剣崎はこれみよがしに青蘭の肩を抱きながら、しっしっと犬を追いはらう手つきをする。


 最悪だ。運命の恋人が自分を忘れているばかりか、新しい恋人ができている。

 これは恋人に返り咲くには、なかなか厳しそうだ。


「もういいよ。行こう。剣崎」

「はい。青蘭さま」


 二人は肩をならべて歩いていく。ここで見送っては二度と会えないことになる。龍郎は食いさがった。


「ちょっと待った! 青蘭。君はオカルト専門の探偵をしてるんじゃないのか? なんなら、おれが助手になるけど? おれなら霊も見えるし、悪魔も退治できる」

「えッ?」


 青蘭の目つきが真剣になる。なぜかわからないが、これは効果があったらしい。


「……悪魔が退治できる?」

「うん」

「悪魔って、どのくらいの?」

「魔王でも倒せる」

「…………」


 まだ今の世界になってから悪魔祓いをしてはいないが、龍郎は自分の体内に以前の力が残っていることを感じていた。やろうと思えば、いつでも退魔の剣を呼びだせる。苦痛の玉はもうないが、おそらく、龍郎自身の心臓が天使のそれだ。


(青蘭からも天使の匂いがする。近づくと心臓の共鳴も、ごくかすかだけど感じる。おれたちはまだ、つがいの片翼だ)


 前と同じ年に生まれているとすれば、青蘭は今年で二十歳だ。離れていた期間が二十年もあるから、あやまった認識を周囲の人間に対して抱いてもしかたあるまい。これから、その誤謬ごびゅうを正していかなければならない。


 以前も三角関係に悩まされたが、今回もなかなかハードなスタートだ。

 それでも、青蘭と再会できたことは嬉しい。何にもかえがたく。


「ほんとに悪魔を退治できますか?」

「できるよ」

「じゃあ、試しに雇ってもいい。とりあえず、三ヶ月」

「いいよ。絶対に役に立つから」


 青蘭は可愛い小首をかしげた。


「そうですね。口先だけだと困るから、さっそく何か祓ってもらおうかな」

「いいけど、何を?」

「僕たち、これから、とある島に行く予定だったんです。そこは不思議なことが頻発ひんぱつする場所で、そうとうにヤバイ何かが巣食っている。僕一人では正直、危ないかもしれない」


 龍郎はふと疑問に思った。

 以前の青蘭はアンドロマリウスという魔王と契約し、その体の一部を譲りわたすことで悪魔を滅する力を発揮していた。でも今、青蘭からアンドロマリウスの気配は感じられない。いったい、どうやって悪魔を退治しているのだろう?


 それにだ。これがもしかしたら、もっと重要なことかもしれないのだが、青蘭はなぜ、今生でも悪魔退治をしているのか?


 以前の青蘭は幼少時に大火傷を負って、全身に悲惨な傷跡が残った。その傷を消すために、どうしてもアンドロマリウスの力が必要だったのだ。


「ねえ、青蘭。君はなぜ、オカルト探偵をしてるの? それをしないといけない理由があるの?」


 青蘭は無言だ。

 ただ、とても険しい目をして、龍郎をにらんだ。

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