1.街道にて
街道にて
陽が西に傾きかけていた。
細い脇街道は森の木々に遮られ、足元には既に夕刻のような仄暗い闇が滲み出している。
その脇街道を歩く一つの人影があった。
頭から外套の
元は鮮やかな色合いであったと思われる外套は、汚れが染み込み赤茶色に煤けている。
その胸元には、金糸で編み込んだ太陽をかたどったような紋様が刻まれていた。
男が足を止めて空を伺うように顔を上げた。
頭巾の下から、鋭角的で無精髭の伸びた顎が覗く。
「さて、このままでは明るいうちに着くのは無理であるか」
男がひとりごちた後に再び歩を進めようとした時だった。
不意に男の前方の繁みが音を立て、脇街道を囲む木々の間から何者かが姿を現した。
旅装したその男は腰に剣を帯び、長い黒髪を無造作に後ろに結っている。
鋭い目つきの顔の左頬には大きな古い
疵の男は頭巾の男の存在に気が付き、反射的に剣に手をかけた。
それを見た頭巾の男が足を止める。
「けっ、『緋の教会』の坊主か。おいっ、さっさと失せろ」
疵の男が殺気立った口調で吐き捨てた。
頭巾の男は、敵意はないというようにゆっくりと肩のあたりまで両手を上げる。
その姿勢のまま再び歩を進めようとした時、疵の男の背後からもう一人の男が現れた。
赤髪で長身のその男は右手に抜き身の剣を握り、左肩には何かをくるんだような布の塊を担いでいる。
布の端からは人の髪と思われる銀色の毛の束が揺れていた。
赤髪が頭巾の男を値踏みするように無言で睨む。
「その剣、血で濡れているようだが?」
低く落ち着いた声で頭巾の男が訊ねた。
その問いに疵の男が剣を抜く。
「余計なこと言ってねぇで消えろ、坊主。死にてぇのか!」
しかし、頭巾の男はまるで意にかえさないように男達が出てきた側の繁みをかき分け森の中を覗き込んだ。
「おいっ、やめろ――」
脇街道からはやや離れた太い木の根元に、二つの
一つは男、もう一つは女のようだった。
顔にへばりついた鮮やかな血の色が、二人が絶命して間もないことを物語っている。
男のほうは体中に剣で突き刺されたような跡があり全身が血で染まっていた。
女の方は衣服の前が切り裂かれ、無惨にも乳房と陰部が剥き出しになっている。
心臓のあたりに一つだけ大きく開いた傷があり、まだ僅かながら血を吐き出していた。
頭巾の男が疵と赤髪に向き直った。
「お前たち、犯したな?」
「クソッ、もう生かしておけねぇ」
疵が剣を構える。
「我が教会の戒律では
頭巾の男は赤髪が担ぐ布の塊を指差した。
「本来ならば然るべき所へ言上するのが筋であるが、
男が頭巾を肩まで下げる。
そこに現れたのは半端に伸びた刈り込んだ毛髪と、鋭角的な骨格に深く窪んだ眼窩と突き出た鷲鼻が目につく中年の男の顔だった。
口や顎の周りは薄い無精髭に覆われ、その佇まいには周囲を圧するような精気がみなぎっていた。
「我が名はカルロフ。『緋の教会』オルレア教区司祭付き導師代行である。神法に則り、お前たちを捕縛する」
カルロフと名乗った男はゆったりと両手を胸の前に構えた。
その両手は極北の地で身につけるような分厚い皮のミトンで覆われているが、武器らしきものは手にしていない。
「しかし己の罪過を悔いて大人しく投降するとあれば、手荒なことはすまい」
口角だけを上げてカルロフが笑みを作る。
「死ね」
疵がカルロフに向かって猛然と走り出した。
カルロフは両手を構えたまま微動だにしない。
剣の間合いに入る瞬間、疵は僅かに身を低くかがめてカルロフの視線を逸らした。
そのまま下から凪ぐように剣先を首筋に叩き込む。
構えた両手ごと刈るような斬撃だった。
カルロフは右腕を僅かに横に開く。
ギャンッと金属が噛み合うような鈍い音がした。
疵の剣はミトンに食い込んだままカルロフの手首に遮られ止まっている。
「てめえっ、中に篭手でも仕込んでやがっ――!?」
疵の叫びが途中でかき消された。
右手で剣を止めたまま捻るように
骨と歯が砕ける乾いた音が響いた。
疵は弧を描くように宙を舞い地面に叩きつけられる。
「かはっ」
血を吐いたまま疵は動かなくなった。
顎がだらりと下がり顔とはでたらめの方向に向いている。
カルロフは疵の様子を確認すると赤髪の方へ向き直った。
再び両手をゆったりと胸の前で構える。
「体術使いか」
赤髪はボソリと呟くと担いでいた布の塊を無造作に地面に降ろした。
そのままカルロフに向き直ると、剣先が地面に触れるほど低い構えをとる。
「ふむ。その構え、北方の地で以前目にしたことがある」
カルロフの言葉を無視して、赤髪は地を滑るように突進してくる。
速度を落とさないまま赤髪の剣が斜め上に向かって跳ね上がった。
カルロフが背中を反らせて剣の軌道から逃れる。
赤髪は瞬時に身体を回転すると振り上がった剣先を袈裟斬りに変えて振り下ろす。
流れるような連撃であった。
剣がカルロフの額を割る直前、左手の甲がそれを受ける。
「ハァッ!」
カルロフが右の突きを赤髪の顔に放つと同時に、赤髪はカルロフの胸を蹴って後方に下がった。
そのまま間合いを取って再び剣を構える。
「なかなかの手練れと見た。ただの野盗とも思えないが」
赤髪は答えずに跳躍すると一気に距離を詰めた。
今度は右側から横に凪ぐような斬撃が襲いかかる。
カルロフは右腕をそらして剣を受け流した。
赤髪が瞬時に身体を回転させる。
(連撃か。 上? 下? いや――)
カルロフの正面で剣先が光った。
斬撃と見せかけた突きが喉元へと迫る。
「フンッ」
防御した左手のミトンを剣先が突き破り、鈍い金属が噛み合う音が響いた。
止まった剣先をすかさずカルロフの右手のミトンが掴む。
「捕らえたぞ」
口角を上げるカルロフに赤髪が嘲笑で応える。
赤髪は渾身の力で剣を引いた。
上手く行けば坊主の指が何本か落ちる。
「むっ!?」
だが、剣は微動だにしなかった。
二度、三度と力を込めても、まるでそこから生えているかのごとく動く気配はない。
「我の指は切れんぞ。それに、こんなナマグサでも鍛錬だけは怠っていないのでな」
次の瞬間、赤髪の左脚に激痛が走った。
カルロフの放った蹴りが腿の裏を打ったのだ。
続けざまに右脚にも蹴りが襲う。
「チィッ」
赤髪が思わず剣を放した。
カルロフがそれを後方に投げ捨てる。
赤髪は逃れようとするも、蹴りの衝撃で反射的に萎縮した脚の筋肉が動かない。
カルロフが足を踏み込んだ。
力の乗った渾身の突きが赤髪の胸元に突き刺さる。
「グァッ……」
赤髪は自らの胸椎が砕ける音を聞いた。
※※※
木々の間から見える空が赤く染まっている。
森は急速に夜に飲まれようとしていた。
静まり返る森の中には、土を掘り起こす音だけが規則正しく響いている。
土を掘るカルロフがふと動きを止めた。
「おや、目覚めたか?」
腰の深さほどに掘られた穴から這い出したカルロフが、地面に敷かれた布の上に呆けたように座る少女の前に膝をつく。
それは赤髪が担いでいた布にくるまれていた少女だった。
年の頃は十二、三歳ぐらいだろうか。
比較的汚れの少ない銀色の髪に対して、華奢な輪郭の顔は土と埃で汚れて表情をうかがうことさえ難しいほどだ。
粗末で汚れた服と痛んだ木靴以外に身には何も帯びてはいなかった。
「娘、名前は?」
少女は押し黙ったまま答えない。
「心配せずとも良い。我は『緋の教会』の僧でカルロフと言う」
少女は何かを推し量るようにカルロフを見つめた後、小さく「エラ」と呟いた。
「エラか。ではエラよ、訊ねるがここで何があったかを覚えているか?」
エラが小さく頷く。
「森を……抜けようとしたら、突然、怖い人達が現れて……。逃げようとしたけど、捕まって、叩かれて……後は、わからない……あっ!」
手足を拘束され地面に転がっている疵と赤髪を見たエラが声を上げた。
「案ずるな。あの者達は我が捕らえた。生きたまま裁きを受けさせられるかは危うい状態だがな……」
「僧侶様が……助けてくれたの?」
「まぁ、そういうことになるな。エラはこの付近の者か?」
エラが首を横に振る。
「そうか、では知っている者もいないか」
「はい」
カルロフは少しの間思案すると、嘆息して立ち上がった。
「わかった、エラは我が教会で保護するとしよう。ただその前に弔いの儀式をしなければな。あの二人は緋の信徒の護符を持っておったのだ」
カルロフは再び自分が掘っていた穴の縁へと向かう。
腰に吊していたミトンを土で汚れた銀色に光る両手に着けると、疵と赤髪に殺害された男女の骸を抱きかかえて穴の底へ下ろす。
傍らで摘んだ野草の花を振りまくと、カルロフは胸の前で指を組んだ。
背後のエラに声をかける。
「エラ、父母の弔いだ。お前も隣に来なさい」
エラがカルロフの隣に並んだ。
「何かかける言葉はあるか?」
「……この二人は父でも母でもない」
「な、なんと!? むむ……詳しい話は後だ。いずれにせよ弔いの儀式は執り行う」
夜の帳が降りる森に、死者を弔うため女神へ奏上する言葉が流れる。
父母ではないと言ったが、エラは地に跪き正しい所作で祈りの言葉を口にした。
(よほど信心深い家の息女でもなければ、これほど正しく祈りを唱えられないはずだが……)
微かな疑念を抱きつつも儀式は粛々と進んでいった。
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