明智悟の心霊体験

ヘイ

悪霊との邂逅

「依頼したいことがあります」

 

 そんな一言を年若い娘が勇気を出してひとりの男に言ったところから、この話は始まるのだ。

 

「……えと、君は?」

早瀬はやせ鳴海なるみ、十五歳です」

 

 男には少女の制服に見覚えがあった。今の季節は秋、十五歳と言うことと制服から高校一年生である事は直ぐに分かった。

 薄幸の美少女。

 ぷっくりとした唇の下についた色気のある黒子ほくろ、スレンダーな体型であるものの男子高校生は放ってはおかないルックスをしている。

 黒髪は年頃の女子にしては短く整えられている。

 

「ああ、鳴海くんね。それで……ええ、と僕はほら、分かると思うけど」

「探偵、ですよね?」

「うん、そうそう。あ、名刺ね」

 

 差し出した名刺には私立探偵と彼の名前である明智あけちさとると言う名前が印字されている。

 

「それで、まあ君も学生だと思うけどさ。ほら、これでも探偵だからね。まあ、商売ってやつで」

「分かってます」

 

 高校生になったばかりで、確かにあどけなさはある物の雰囲気はどこか大人びている。

 

「今、コーヒー用意するね」

「……ありがとうございます」

「もしかして苦手だったりする?」

「いえ、そんな事は」

 

 ほぼ寝泊まり部屋を兼ねている探偵事務所は悟の私物で満たされている。勿論、何がどこにあるのかも大抵は把握している。

 一時期は片付けをおこなっておらず、どこに何があるかも分からない状況になっていたこともあったのだが、流石に反省した。

 

「インスタントコーヒーで悪いけど」

 

 お湯を注いで直ぐに出来上がったコーヒーを注いだ紙パックを持ってテーブルの上に置いた。

 

「ありがとうございます」

「……それで君の依頼って言うのは?」

「実は────」

 

 話はこうだ。

 

 最近、夜になると何者かの気配を感じる。ストーカーかと思って出来る限りの対応をしているが、付き纏う様な視線が拭えない。いざ、本当に手を出してきたら撃退してやろうと思いながら準備をしているが成果はない。

 証拠となるものを映像に残そうとしたが何も映らない。

 

「君、見た目に依らずアグレッシブだね……」

「そうでしょうか?」

「その視線……って言うのは、実際どこまで感じるんだい?」

 

 悟の質問に鳴海は少しばかり考える様な顔をしながら。

 

「具体的には学校を出て……家に入るまで、あ、いえ家に入ってから……は考えすぎか……」

「心当たりはあるかな?」

「ありません……もしかしたら、人から嫉妬されてしまっている可能性はありますが」

「あ、あー、そう言うことね」

 

 彼女の見た目を考えればあり得ない話ではないだろう。

 

「まあ、調査は今日からでも開始するよ」

 

 一朝一夕で成果が出る様な物ではないはずだ。こういった調査も結局のところは精神的な物で、どこまで犯人を見つけ出すために耐えられるかと言う話だ。

 

「ありがとうございます、明智さん」

「探偵って仕事だからさ」

 

 頼まれた事は基本的には解決する。

 それがこういったストーカー問題に関する物であるのなら尚更に。

 

「……大丈夫だよな」

 

 ここ最近、ある一つの噂があった。

 この街に流れる通り魔殺人の噂。

 ターゲットは中高生の女子が中心であり、性器と頭だけが亡くなる事件。

 趣味が悪いと思いながらも、悟の手には負えないと思いながら新聞記事を読んでいた。

 何かしらの美学があるのかもしれない。

 殺人の美学など悟には一切理解しようとも思えないが。

 

「…………」

 

 不安が拭えないなら、きっと確かめるべきだ。

 彼の心を落ち着かせる物があるとしたら、鳴海の安全を約束できるのだとしたら。それは間違いなく正解への確信だ。

 

「別件なら……安心とも言えないが、殺人事件でなければまだマシだ。最悪は鳴海くんがターゲットにされてしまった場合だな」

 

 手遅れになってしまったら。

 あまりにも胸の奥が騒ついて落ち着かない。

 

「どこの探偵も、いつもネガティヴな想像をしてしまうんだろうか」

 

 コートを羽織って慌てた様に悟は事務所を飛び出る。街灯が照らす紅葉の咲く道を抜けて秋の夜空の下を駆ける。

 

「鳴海くん! 鳴海くん居るかい!」

 

 事務所を出てから、それ程に時間が経った訳でもない。彼女の下校ルートも既に聞いている。長らくこの街で探偵業を営んでいた悟としては直ぐに彼女の通学路は理解できた。

 

「え、どうしたんですか、明智さん?」

「だ、大丈夫……か?」

 

 良かった。

 安心から乱れた息を整えながらほっとした様に頬を緩めた。

 

「いや……ちょっと、不安が……あってね。ここ最近は物騒だし……さ」

 

 途切れ途切れになりながら説明を続ける。

 

「まあ、君が絶対に……巻き、込まれないって……保証はないから、ね……はぁ、ふぅ」

 

 肩でしていた息は少しおさまって、相変わらず浅い息を続けるが、何とかなった様だ。

 

「で、視線は感じてるかな?」

 

 常に夜になると感じるらしい視線とやら。

 

「あ、はい。今も……ずっと」

 

 悟は辺りを見回すが彼女を見ている人は見当たらない。夜だからこそよく分からないと言う可能性も捨てられないが。

 

「……視線はどこから?」

 

 一緒にいるはずだと言うのに悟には視線の様な物は感じられない。

 

「あ、しょ、正面にいます! 明智さんの!」

「は?」

 

 正面からナニカによって悟の体は跳ね飛ばされた。

 

「い、ぎっ……!」

 

 紅葉をつけた木に背中から衝突、赤い葉が上から落ちてくる。

 

「げほ、が、はっ……」

 

 吐血。

 紅葉の葉を更に赤く染めるが、夜の闇の中では色などよく分かりもしない。

 

「見え、てるのか……鳴海、くんっ」

「い、いえ……見えません」

 

 正体不明。

 透明人間。

 理論は分からない。人間が理解できない高次の存在である可能性は無いとは言い切れない。

 

「気配だけは……」

「何だそれ……」

 

 血を吐き出しながら悟は立ち上がる。

 肋骨の辺りに特に痛みを感じる。流石に折れているかもしれない。

 

「ウぇっ……げほっ、ゴフっ。はぁっはぁ、僕、ただの探偵だぞ……。オカルトも犯罪もいざ対面したら何にもできない、そこら辺にいるオッサンだ」

 

 これは紛れもない事実。

 齧った程度の合気道。

 透明人間と戦うなど彼自体予測はしていなかったし、他の誰であっても予想できなかったはずだ。

 

『ア、アア……ア、ア、アアナタに……なり也也也也也也なりなりなりなりなりなりナリ化化化なりなりなりタイ……。ア、イィイイイ痛イ、愛アぁ胃違いい死私しし手出ててテテテテテテテテ────ッゥ、ヅヴァアァァ亜!!!』

 

 気味の悪い声。

 息の漏れる様な命を削るような声で奏でられた不協和音。

 耳を劈く不快な音に鳴海は顔を顰めてしまう。

 

「私になりたい……?」

 

 言葉の意味は理解できる。

 だが、理解できたとして対処など出来るはずもない。

 

『カヲオ、張大ちょうだいい……。ソ横士よこしさい

 

 ひたりとナニカが鳴海の顔とスカートの中の太腿に触れる。

 

「ひっ……!」

 

 鳴海の悲鳴から悟にもどこに居るか分かった様だ。

 

「鳴海くんから……離れ、ろぉっ!」

 

 ラグビーのタックルの様に右肩で突き飛ばすと、確かに何かが触れた感触がある。

 

「大丈夫か!?」

「へ……あ、は、はいっ」

 

 鳴海の頬にはベッタリと掌の跡がついている。

 大きさはどう見ても成人男性よりも大きい。透明ではあるものの、きっと大きな体をしているはずだ。

 

「それ……」

「え?」

 

 気がついていないのか。

 まるで痣。

 暴力のように強い力で叩かれたのか。

 

「……いや、まずどこに居るか」

 

 目的はおそらく鳴海。

 悟に対しては興味を抱いていない。

 

「あの、明智さん……」

 

 背に庇う鳴海が悟の羽織るコートの裾を引く。

 

「うん?」

「彼女は私になりたいらしいです」

「君に……なりたい」

 

 顔と性器を奪ったのはそれが理由か。

 彼女には貌も、愛を育むための身体もないから。だから、あのような気味の悪い犯行を繰り返した。

 愛し、愛されるための身体を手にする為に。

 そんな事をしたところで無意味だと言うのに。

 

「だからって……はいそうですか、では差しあげますってはならないだろ……」

 

 今までの傾向から考えても、この透明人間、或いは幽霊とでも言うべきか。彼女が殺して顔と性器を奪っても現状として変化している事はないだろう。

 依然として透明なままだ。

 

「そんな事をして手に入れた愛は、真実君に向けられた愛ではないぞ」

 

 説教。

 とは言えないが、彼としては最後の抵抗のつもりであった。

 どこに居るかも定かではない怪物に向けた一言。

 

『うルサィ……マれ』

 

 彼女の声は悟には届かない。

 だから止まらない。

 透明で巨大な手が悟の首を締め上げても止められない。

 

「ぐッ……、君の体でもない、君の顔でもないそれで愛を囁かれた……からと言って、君には何も響いてこない、だろ」

 

 本質は魂にこそ宿る、などと言っても所詮は姿なき者の狂気。愛などとは余りにもかけ離れ、愛されたいが自身には愛される何かがない事を知っている。

 だから、彼女の行動原理は揺れて、ボロボロと崩れていく。

 

『厭、嫌、否嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌イィイイイャァアアァアァァアッッッッ!!!』

 

 断末魔と表現すべきか。

 自らの存在を否定されたからか、それを正しいと思ってしまったからか。

 

『後、少シで愛サレ他の二……』

 

 あと少しで体が手に入ったのに。

 でも愛される事など。

 

 ────無いのかもしれない。

 

「消、えた……?」

 

 きっと彼女の怨念を否定してしまったから。彼女がこの世に留まる理由を彼が消してしまったから。

 ドサリと悟の身体が地面に尻から落ちた。

 

「痛たた……」

 

 行動の欠点を突かれては見失っていく。想いが存在を留める幽霊の様な存在であれば人間以上に影響を受ける。

 それを悟は理解していなくとも、偶然に最適解を選びとっていた。

 

「これで……終わったの?」

 

 不安げな様子で鳴海が悟に尋ねるが、彼にも彼女の問題が終わったかなどわからない。そもそもオカルトの専門でも無い彼だ。

 取り憑かれていたと本職で有れば相談に来た段階で気がついていたかもしれない。結局、悟には触れる事は出来ても見えてはいなかったのだから。

 

「問題があったら、またおいで鳴海くん」

 

 例えば、あの透明人間は純粋に悪霊として考えてしまっても良いのかもしれない。誰かを害した時点で、それは世界を生きる人間にとって邪悪なものでしかないのだから。

 誰も知らぬ彼女の顔を語るなら、それは火傷によって爛れた傷ましい顔を持つ少女だったのだ。

 誰にも愛されない。

 疎まれた彼女は「愛されたい」と願いながら自死を選び、誰かに愛される姿を求めた。

 その為の顔と。

 愛した者との一生を添い遂げる為の性器だったのかもしれない。

 誰も彼女に同情はしない。

 悟と鳴海にとっては、ただの加害者でしか無く、彼らの前でひっそりと崩れてしまったのだから。

 顔を知らない彼女を知る術は無かったから。

 

「────こんにちは、今日はどんな依頼でこちらに?」

 

 明智悟は今日も依頼を待っている。

 紙カップにコーヒーを入れて話を聞いてくれるだろう。

 自称助手の少女と共に。

 

 今日も明智悟の仕事はなくならない。

 

 

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