生まれたときから常に傍らにあった桜。その思い出を起点に今、様々な桜を見て回ってはその美と自らの感動を確かめ、描きとめるようになった田ノ倉 詩織氏の記録。
平成9年の春、「とある事情で」自由の身になった著者さんは、桜見旅をスタートします。その記録からなにより感じたのは、勝負の妙ですね。スケッチするために桜と向き合い、描くべき様を探る著者さんの心情は時に匠であり、時に幼子であったりもして、なんとも定まらないのです。
——人は相手によって有り様を変えるものですが、そうした対峙の機微が文章から染み出してくるのは、著者さんが眼前の桜の木と真摯に向き合っているから。剣ならぬ筆記具を構えた真剣勝負だからこそ、絞られた緊迫感が、澄んだ感動が、侘びた趣が醸し出されるのですよね。
そして端々に綴られる桜へ行き着くまでの忙しい小話や、描き終えた後に返り見る景色の風情がまた、読み物としてのアクセントになっていて味わい深いのです。
心ざわつく暑い夜にこそおすすめしたい一作です。
(「余韻ほろほろ」4選/文=高橋 剛)