透明な悲鳴
屈託もなく「人が好きです」とかほざいているその作家が嫌いだった。
都内の一軒家に住む彼女のアトリエは、少女たちの喜びそうな、きらきらしたアクセサリーでいっぱいだ。
「人っておもしろいじゃないですか」
百貨店への出店が決まっても、彼女は六畳一間の大きなクローゼットがひとつあるごくありふれた部屋で、作品を作り続けている。
粘度の高い透明な溶液に色をつけ、夢から持ち帰ってきたような髪飾りを作り上げながら、ふっくらとした指先で、彼女は余った髪ゴムを切る。数か月前に雇ったという、真っ黒な髪のアシスタントの女の子が、床に落ちた切れ端をさっと拾う。
「どんな生い立ちの人が、どういう気持ちでわたしの作品を買ってくれるのか。身に着けて、どう思ったのか。そういう事が知りたくて、わたしは作家をしているのかもしれないですね」
一年前までは「主婦のお小遣い稼ぎで始めた」なんて言ってたクセに、ずいぶんとまあお偉くお成りで。
アシスタントの子はほうきを掃く手を止めて、うっとりとした顔で彼女を見ている。その手首に重なる傷跡から目を逸らし、あたしは細心の注意を払って笑みを浮かべる。
彼女の作品はうつくしかった。うつくしいものはどんどん求められ、彼女の家は、世間の欲望を飲み込むように大きくなっていった。
「また引っ越されるんですか?」
五回目の引っ越し先は、山の中の別荘だった。センスのよい建物で、当然のように広かったけど、近くの街から車で三十分はかかる場所だったし、木が茂りすぎていて薄暗い。
「手狭になっちゃったから」
彼女はひろいダイニングにぽつんと置かれたテーブルの上に、一組のソーサーを置いた。彼女とあたしの「手狭」の定義は、だいぶ隔たりがある様だ。
「そういえば、旦那さまは? あのアシスタントの子は、連れてきたんです?」
あまりにしずかな家に、あたしの疑問は場違いのようによく響いた。口をつけた紅茶はぬるくて、彼女は微笑んだまま答えない。
しばらく姿を見なかったアシスタントの子と再会したのは、目を開けたそばから眼球が凍りそうな、ひどく寒い日のことだった。
アトリエのクローゼットの中には、人ひとりがすっぽり入れる透明な円柱が並んでいて、骨をピンクに、血管は青く、毒々しく染められた透明な彼女が、液体のなかに静かにゆらゆら浮いていた。
「きれいでしょう」
彼女は立ちすくむあたしの背中でうっとりとつぶやく。
「どれだけ傷つけられたって、わたしたちの内側はきずつかない。こうやって標本にするとね、それがよくわかるんです」
皮膚と筋肉を失くした彼女は、小枝を組み合わせたような骨格の上に、おもたそうな頭を乗せてうつむいている。
「人って本当に、悲しいほどすてき」
液体の中でゆられる彼女の、祈るように組み合わされた透明な骨の手首には、かつての傷はもう見えない。
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