残量、あと

 人間の動力が電気になって久しい。体の中の電位変化はすべて外部のバイオバッテリーが担うようになって、人は食事から解放された。それと共に排泄や、飢餓や、食料問題や、死からも解放される。

 不治の病人を救うために進歩した技術はいまや、誰もが当たり前に受ける処置になった。睡眠ともこれでおさらば、朝も夜もずっと昼で、一日は倍になる。バッテリーが切れたって、充電すれば元通り。一回の充電で六時間は短いけど、予備を持ってれば問題ない。ついには、引きこもりのぼくを差し置いて、余命わずかなバアちゃんまで施術を受ける始末だ。

「やっと、生きるのが楽しくなってきたのよ」

 老いない体を手に入れたバアちゃんは、ひどくうれしそうに笑う。

「ここまで歳をとって、ようやっと、にぎやかなのが楽しくなってきたの。もうちょっとだけ楽しんだって、バチは当たんないわよね」

 だから、全世界同時ブラックアウトが実際に起こるだなんて、誰も思いもしなかった。ひとしきり暴動が起きた後には、電池切れで動かなくなった人々が、ちぎり捨てた雑草みたいに散らばっていた。

 窓から見える道路のど真ん中で、電池切れになったバアちゃんを見つけて、ぼくは本当にひさしぶりに外に出た。ぐったりと動かない充電切れのバアちゃんを道路のわきに寄せてから、もう車も来ないことに思い当たる。町は暗く、電気の火が灯らない夜が、ひたひたと近づいていた。どこからか得体のしれない吠え声が聞こえた気がして、ぼくはとっさに家から持ってきたモバイルバッテリーをバアちゃんに差しそうになり、踏みとどまる。みんなの中心で笑うのが好きだったバアちゃんは、起きてこの空虚な街に立った時、何を思うだろう。

 残ったのは、施術を受けられないほんの子どもや、ぼくみたいに引きこもって施術を受け逃した人間だった。スナック菓子なんて消えて久しい。ぼくはたまらず外に出て、そこらへんの草を煮ては腹を壊す。試行錯誤しているうちに、煮炊きの煙を見つけた生き残りが集まって、ちいさな村ができあがる。

 ようやく農業が軌道に乗り始め、収穫を祝う面々を見つめながら、ぼくはポケットの中のバッテリーにそっと触れる。季節は秋で、固く足首にまとわりつく冷気はもうすぐ、冬を連れてくるだろう。起こすのなら、春がいい。満開の桜の下で、大人数で宴をひらくのだ。きっとバアちゃんも喜ぶだろう。

 果たして春はやってきた。ずいぶんしずかになった町に、そこだけは元のまま、みっしりと咲いた桜の枝が重たそうにゆれて重なる。お花見という名の宴会の片隅で、ぼくはそっとバアちゃんにバッテリーを差し込んだ。ぱっちりと目を開けたバアちゃんは、きょろきょろと辺りを見渡し「夢かねえ」とつぶやいた。にぎやかな笑い声がどっと沸いて、ぼくはバアちゃんをそっちに連れていこうと手を引いた。バアちゃんは動かなかった。しわしわの手はぼくをにぎって離さない。

「あたしは、ここでいいよ」

 バアちゃんは輪になった村の人々から目をはなして、ぼくを見た。

「きれいだねえ」

 ひらりと降る花びらが、つないだ手の上にしずかに落ちる。

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