第15話 参ノ曲輪
陽の落ちる前に城下町の門に帰ってこれたさくら姫達は、しぶきを馬小屋に連れていくのを平助にまかせて、城下町のとある商家に入った。
「お帰りなさいませ、さら様。今日は遅かったですね」
「うむ、少々厄介なことがあってな」
事情を知る商家の女子衆に、着替えの世話を受けながら、手桶の湯で身体を拭く。
手早く水気をふき取り下女姿に着替えると、夜務め担当の他の下女達にまじって城に向かい、裏門から入ると参の曲輪にある自分の部屋に戻る。
部屋の中には、さくら姫の着物を来て座っている女がいた。
「みなづき、いま戻ったぞ。なにか変わったことはあったか」
「おかえりなさいまし姫様。そうですなぁ、変わったことといえば──」
「お帰りなさりませ、姫様」
みなづきとは違う声が、後ろから飛んできた。さくら姫は、げっ、という顔になる。
「──
みなづきの言葉を聞き終わると、おそるおそる後ろを振り返る。隣の部屋でしかめっ面の年増女が背筋を正して座っている。
「……きさらぎ……」
「姫様、どちらにお出かけでしたか。今日はたしか、お琴と舞と茶の湯の稽古のはずでしたが」
「いや、ちょっと野暮用でな。稽古は今からやる、いや、します、な、みなづき」
「
「わかっておるっ、どこに出しても恥ずかしくないようしつけられ、良縁の夫に嫁ぎ、夫をたて、子を成し、育て、家中をまもるのであろう、それはもう聞き飽きた」
「わかっているなら、そうなさいまし」
「わかっておる、しかしだな何も知らぬまま言われるままなのは嫌なのじゃ、わらわはわらわの生きたいようにしたいのじゃ」
「女は其のようなことをしてはなりませぬ。たえず殿方を支え称え、内助に功をもとめるものです」
「そのような生き方なぞ──」
「ふあぁぁぁ」
いつまでも続きそうなきさらぎとさくら姫のやりとりの最中に、みなづきが大きなあくぴをする。
「「みなづきっ」」
さくら姫ときさらぎが同時にいう。
「そなたもいつまでそこで見ておる」
「姫様のお召し物を着て、いつまでそこに座っているつもりです」
さくら姫ときさらぎの批難を同時に浴びても、みなづきは涼しい顔でいる。
「おやこれは気がつきませんで。姫様、ではお召し物を着替えましょう。きさらぎ殿、いえ御年寄さま、着替えた後に稽古に入ります。すべて終わるのに夜中までかかりましょうから、今宵は帰りませぬ。では」
そう言って深々と頭を下げたあと、立ち上り、さくら姫を連れて部屋を出ていく。
「これ、待ちなさい。まったくもう……」
いそいそと出ていく二人を見送り、きさらぎはため息をついたのであった。
※ ※ ※ ※ ※
「助かったぞ、みなづき」
「ほんに、さくらも母上も飽きずにようやりますなぁ」
ふたりは着替えの間で、着替えながら話している。
本来なら、さくら姫の着替えは姫付きの女子衆の役目であるが、二人きりの時はさくら姫自身がひとりで着替えている。
みなづきはさくら姫の着物を脱ぎ、衣桁にかけ自分の着物に着替え、控える。
「きさらぎが、いかんのじゃ。毎度毎度同じことばかり言いおって」
みなづきの着ていた着物をはおりながら、さくら姫が言い返す。しゅるしゅると帯を留めながら身だしなみをととのえた。みなづきは着崩れなくちゃんと着れているのを見定める。
「ちゃんと着られていますね」
「ふむ、それはよかった。忘れてはいないようじゃな」
ここしばらくは女子衆に着せてもらうばかりだったので、自分で曲輪内用に着替えるのは久しぶりだったのだ。
「それでさくら、今日はどの様なことがあったのです」
みなづきはざっくばらんな物言いで、さくら姫に訊ねる。
みなづきは武家の娘らしく屋敷と城以外の所に行ったことがない。
それ故いろんな所に行くさくら姫からのみやげ話を楽しみにしている。それが身代わりの交換条件なのだ。
「うむ、今日はじゃな、城から東の方にある中村に行く途中の鍛冶屋の所に行ったのじゃ」
「ああ、前に話してくれた親切な鍛冶屋どの」
「爺、あ、いや、瀬月に……」
「爺で構いませぬよ、父上も見たとおり
ころころとみなづきは笑う。さくら姫は頭をかきながら、
「父上より歳上なもので、ついな」
家老頭の瀬月ときさらぎは、かなり年の離れた夫婦である。それもそのはずで、きさらぎは後添いなのだ。
[最後の大いくさ]に瀬月が向かったとき、先妻のながつきは白邸領の霊域といわれる滝つぼで、滝行をおこなって戦勝祈願をしていた。
祈願は成就したのか、いくさは大勝した。
だが、瀬月と同行した一人息子が戦死し、ながつきも無理がたたって命を落とすことになった。
手柄をたてた瀬月家を断絶させるわけにはいかぬと、瀬鳴弾正は後添いに、きさらぎを嫁がせたのだ。
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