第8話 黄昏の森に蠢く 五
「平助、止まるな、走れっ」
平助の迷いは、さくら姫の言葉で無くなった。あらためて手をとるとふたたび走りはじめる。
さくら姫の足に合わせたので少し遅めだが、それでも道の入り口までは追いつかれずにすむ。そこまで来たらさくら姫だけを先に行かせ、平助は細道の手前で、逃げ切ってもらうまで死守するつもりだった。
が、
ぐおぉぉぉうおぉぉぉっ
あと少しで入り口までというところで、道の向こうから唸り声が響いてきて、二人には聞き覚えがある唸り声だった。
それは春先に北の山に行ったときに出くわしたヤツと同じ唸り声。
「……熊じゃな」
「……熊ですね」
この場面で熊に出くわすとは……。
不気味な追っ手達はどんどん近づいてくる。
「熊とあ奴らを噛み合わせるのが、一番なのじゃがな」
独り言のように呟き、そのあとに続くさすがに無理じゃなという言葉をさくら姫はのみ込んだ。
平助はふたたび立ち止まっている。
物事が決まれば動きは早いのだが、自分で決めるのは時間がかかるのが弱いところだ。
覚悟を決めたさくら姫が言う。
「熊にするぞ」
どのみち退路に向かわねばならぬのだ、さくら姫の判断は正しい。
そして物事が決まればヘイスケの動きは早い。
さくら姫の手をとりまた走りはじめ、細道の入り口に近づいてくる。
「平助、抜刀を許す、いけっ」
ある程度の距離を追っ手から離したところで、平助はさくら姫の手を放し、一気に駆け出した。
あらためていうと平助の袂には木刀の短剣を仕込んである、それも左右両方に。
さらにいうとその木刀は木刀ではない、木刀に見せかけた仕込み刀なのである。
先ほど平助が同じ袂から木刀と真剣の短剣を出したからくりは、こういうしかけだったのだ。
平助は行李を外し、腕を組むように両方の袂に手を入れ短剣を抜き、腕を広げた。
小柄で身軽な体躯を活かし縦横無尽に動く体術で、二刀の短剣を使い相手を死角から仕留めるのが得手であった。
細道の入り口近くの草むらが動く、それがどんどん大きくなっていく。
「来たか」
構えると、出てきた熊が、
「さら殿、平助、無事かぁ」
と言った。
平助は頭が真っ白になった。
──え、熊が喋った……──
さくら姫も頭が真っ白になった。
──え、熊が喋った……──
大きな黒い塊の熊は、目を凝らしてキョロキョロして、二人を見つけると、
「おお、二人とも無事だったか。大事ないな」
と言いながら近づいて来た。
死なない不気味な輩に、喋る熊。
二人の頭の混乱が極みに達し呆然としていたが、その声でさくら姫がまず気がついた。
「ひょっとして、クラか」
その言葉に平助も気づいた
「おっさん、おっさんなのか」
熊と思ったのは、クラこと鍛冶屋の
そんなやり取りの間にも、追っ手は近づいてくる、さくら姫がまず気がついて走りはじめた。
「平助、来るぞ」
「おっさん、話はあとだ。追われている」
言われて、クラはさくら姫の後ろから来る輩を知ると、状況を把握した。
「おう」
かたわらに生えていたクラの背丈と同じくらいの樹木を、むんずと抱き締めると雄叫びとともに引き抜く。
さくら姫と平助は、ふたたび呆然とする。そんな二人をほっといてクラは引き抜いた木の枝を掴み、ぐるぐる回りながら振り回すと声をかける。
「二人とも避けろよ」
「「え」」
問い返す間もなくクラは勢いをついた樹木を、さくら姫達の後ろにいる追っ手に向かって放り投げた。
「「うわぁぁぁ」」
慌ててさくら姫を庇うように平助達は伏せる。回転しながら飛んできた木が、平助の背中をかすめながら勢いよく追っ手に飛んでいく。
自分と同じくらいの背丈の木を引っこ抜き、振り回して投げる。こちらも別の意味で人間離れしていた。
投げられた木は追っ手の先頭三人にぶち当たり、あお向けに倒れる。その三人に足をとられ次の三人が倒れた。
クラは走り出すと、さくら姫達の横を通り過ぎて倒れた男の一人の両足を掴み、振り回しはじめる。
あとから来た残りの三人に見当をつけて、振り回している男を放り投げる。残念ながら、こちらは二人に当たっただけだった。
クラの活躍を、さくら姫と平助は唖然として見ていた。
「わらわ達がふたりがかりで、あれだけ苦労したのに……」
「……人って投げられるんですね」
残ったひとりの鳩尾に蹴りを入れ、足止めを確認したクラは、走って戻る。
「よし、今のうちに逃げるぞ」
その言葉にさくら姫は、反発する。
「いやじゃ、クラがいれば百人力ではないか。あの奇妙な奴らを倒してこの場所の謎を解こう」
「馬鹿を申すな、あんなことで奴らはまいらん。急いで逃げるぞ」
「逃げるのは嫌じゃ」
「この」
意地を張るさくら姫の前に仁王立ちになるとクラは腕を振り上げる。だがさくら姫はそれでも退かない。
その姿をみたクラは大きく息をつくと、小太刀を奪い取りすぐに
「わっ、ちょっと、」
さくら姫はじたばたしたがもう遅い。
「平助、逃げるぞ」
クラは、さくら姫を担いだままもと来た細道に向かって走り出した。
「おっさん、ちょっと」
言いながらも、平助は行李を拾い上げ背負い直し、追いかけていく。
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