36人の異常体験
玉崎蓮
第1話 幽体離脱
砂利のゴツゴツした感触と暑さと鼻をつくような夏の匂い、それらを感じることで俺は学校の校庭に横になっていることに気がついた。今は何時だ?というか、なぜ俺はここにいる?………全くわからない。腕時計もここにはない。いや、待て、ここが校庭なら校舎に時計がついてるはずだ。あった!今は、五時か、日も傾いてきてるし、カラスのなく声もさっきからしていたから間違いなさそうだ。というか、そんな時間まで俺は何をしていた?よく思い出せ。まず俺の名前は茅ヶ崎智明、一六歳、男、彼女いない歴イコール年齢の典型的な高校一年生だ。そして今日は七月十日、今日は__
◆◆◆
今日もいつも通りの一日だった。いつものように憂鬱に思っていたはずだ。いつものようにできるならば学校へ行きたくなかったと思った。友達なんていたことがないから、雨谷詩乃なる少女が毎日話しかけてくることが怖い。どう受け答えたらいいかわからないからだ。はぁ、今日も学校には行きたくないのに、理由もなく学校を休めるほど肝っ玉が据わっているわけでもない。憂鬱に思いながらもワイシャツの窮屈さに袖を通し、親の「ご飯だよ」という声に誘蛾灯に蛾が捕まる時のような足取りで部屋を出た。今日の朝食は目玉焼きだった。卵の焦げる匂いとジュウジュウと叫ぶフライパンの悲鳴に耳を傾けながら階段を降りた。
「さぁ、早く食べて学校に行きなさい。」
母親は俺が学校に対していい感情を抱いていないことを知らない。俺が必死に隠しているからだ。焦げて固くほんのり苦い目玉焼きを喉に通し支度を終えてから登校した。
登校中は特に何事もなく遅刻しないギリギリの時間に学校に着いたはずだ。
学校ではいつものように、
「おはよう、今日も暑いね」
と雨谷さんに声をかけられた。
「お、おはようございます、雨谷さん。」
俺はしどろもどろにながらもなんとか受け答えできた。えらいぞ、俺!そして、そのままの足で窓際の後ろの眩しいくらい明るい席に着いた。そして、担任の斉藤先生が入ってきてホームルームを始めるまで寝たふりして雨谷さんをやり過ごした。
授業自体は何てことはないいつも通り授業を聞いて、問題を解いて雨谷さんのちょっかいをうまく聞き流して、そして雨谷さんの悪戯を無視しながら弁当を食べて、そして、そして……その後の記憶がない。
◆◆◆
どういうことだ?弁当は教室で食べたはず………?なんで校庭で寝てる?わからない。気にはなるが、そろそろ帰らないと。カバンは教室にあるはずだ。それを持って家に帰ろう。そして、その後に詳しいことは思い出せば良い。
教室だ。誰もいないのになぜかドアが開いていた。もちろん中には誰もいない。金色に染まった窓に照らされた教室に入る。思わず忍足になってしまうほどの静謐さ。俺の机からかすかに花の匂いがする。綺麗な花瓶だった。だが、人の机の真ん中に置くなんて縁起でもない………そっと冷たく、さらさらとした花瓶を脇に押しのけ机にかかっているはずのカバンを取ろうとしたが、カバンはなかった。誰かが持っていったのだろうか?迷惑なやつだ。しょうがない。帰る金もそのバッグに入れっぱなしだからなぁ。歩いて帰るか………今までいじめられたことなんてなかったのに、どうして、急にいじめられ始めたのだろう。
◆◆◆
なんとか家には着いた。だが、汗まみれだし。日は暮れてるし、門限もすぎてるし、しかも今日に限って鍵をバッグにいれっぱなしだったんだよなぁ。とりあえずインターホンを押して、壊れてる………音すらならないってどういうことだよ?とりあえず窓が空いてないか確認しよう。………空いてませんでした。くそ!家の目の前で野宿かよ!
まだだ!どこか空いてないか?…………三十分探したが、どこも空いてない。扉も窓も、何度も何度も手が滑ってしまって開かない。また、疲れているのか、ドアや窓を叩いても力が抜けて音が鳴らない。本当に家の前で野宿なんて……ふと、窓の奥の家の中を伺うと両親は神妙な顔で夕食を食べていた。だが俺の目を引いたのは両親の食事風景ではなく、
「何で俺のバッグがあそこにあるんだ?」
そう、ソファの上に置いてある俺のバッグがあったのだ。考えられる可能性は二つ。一、親が学校に行く用事があった。二、学校で持っていったやつが怖くなって返しにきた。だが、どちらも可能性が低すぎる。どういうことだ?もっとよく見ようと窓に近づいたら、自分の足に躓いてこけた。窓にぶつかってゴトッと音が鳴るはずだった。しかし現実には、俺は窓を突き抜けて家の中に入っていた。あ、これもしかして、でもそうなら、全部説明がつく。
「俺、今もしかして幽霊か何か?」
◆◆◆
「俺、もしかして死んで幽霊になったのか?」
「そんなバカなことあるわけないだろ?ハハハ…」
言ってみて馬鹿馬鹿しくなって、笑い飛ばそうとした。だが、こんな時に限って冷たく冴え渡っている俺の思考がそれを許さない。今の状況が、あまりにも俺の想像する幽霊の特徴と重なってしまう。しかも、学校で机の上に花瓶が置かれていたのも、学校にバッグが無かったのも、今まで家の『モノ』に触れられないことにも説明がつく。説明がついてしまうのだ。
「う、嘘だ!俺は死んでいない!だって、俺は、自分の体に触れる!」
―だが、家の窓をすり抜けたぞ?
「幽霊みたいに何かを恨んでいるわけでもない!だったら成仏していて然るべきだ!」
―花が机に置いてあったのは何故だ?あれは、明らかに死んだ生徒へのお供えだぞ?実際、他のモノには触れられないのに、あの「お供物」には触れられたぜ?死んだんなら、何でよりによって俺なんだ!俺には絡んでこなかったが、学校にいた隣のいじめっ子前川こそ死んで然るべきだ!何でよりによって俺なんだよ…俺が何したっていうのさ?雨谷を適当にあしらっていたことか?…なぁ神様、成仏させてくれないか、こんな状態じゃ辛いだけだ。とっとと消えて無くなってしまいたい。俺は神に祈りを捧げるような状態でしばらく待った。
おそらく、三十分ほどだろうか。祈りの姿勢のままでいた。だが、神も天使も悪魔ですらも現れなかった。もう、どうでもいいや。もともと一人でいるのには慣れてるんだ。本や漫画を読めないのは残念だが、外に出て空の星を眺めていよう。そうすれば、きっと何も考えずに済む。
「綺麗な星だなぁ。死んだらああいう風になれると思ってたのに。」
◆◆◆
一晩星空を見て、学校に行ってみようと思った。俺は死んだらしい。そう、『らしい』なのだ。もしかしたら生きたまま魂だけ彷徨っていて体は病院のベッドの上にあるかもしれない。俺も死体を確認したわけではないしね。
登校はものすごく簡単だった。幽霊だからね。空を飛ぶな流石にできないけど、電車に乗るのにお金もかからないし、次の電車がくるまで時間がかかりそうなら線路を歩いても誰にも怒られない。
と、そんなものすごく安い登校をして教室に入ると、珍しいことに雨谷さんはまだきていないようだ。俺はとりあえず机に伏せるいつものような体勢をして、担任の先生から俺のことについて発表されるのを待つことにした。
五分くらい経った頃だろうか。雨谷さんが俺に話しかけてきた。
「おはよう、今日は遅刻ギリギリじゃないんだね」
「は?」
意味がわからん。どうなってる?もしかして、俺、幽霊じゃなかった?だとしたら嬉しいな。
「私より先に智明くんが登校してるなんて、もしかして、今日世界終わっちゃうのかな。」
不思議そうな表情をして話しかけてくる雨谷さんが、眩しく見えた。
「ホームルーム始めるぞ」
もうそんな時間か、と思い話を聞く体勢に入る。みんなぞろぞろどさどさと自分の席につく。
「全員座ったな。昨日、昼休みの後に倒れて救急搬送された茅ヶ崎だが、一命は取り留めたらしいぞ。まだ意識はないみたいだがな。」
よかった。死んではいなかったらしい。だとしたら何で幽霊状態なんだろ?どうやって戻るんだろうか。でもならなんで__
「先生、茅ヶ先くんは今日休んでるということですか?」
「当たり前じゃないか。」
ちょうど雨谷さんが先生に聞いてくれた。そして雨谷さんは俺が普通に昨日救急搬送されたけど、治ったから学校に来たものと思っていたらしい。つまり彼女は、“見えちゃう”体質なんだろう。今朝のやりとりもあったし、よく考えたら、雨谷さんに話しかけられて幽霊じゃないって思っても、幽霊だから大丈夫と思ってやった無賃乗車のこととか注意されないのはおかしいもんな。
午前中の授業は、ほとんど聞いていなかった。どうやれば戻れるのかをずっと考えていたが、まったくおもいつかない。そしていつの間にか昼休みになった。誰か他人の意見を聞こうと思って俺は雨谷さんを屋上に誘った。
「智明くんから誘ってくれるなんて珍しいね。」
「お、俺のこと見えてるの黄身だけだった見たいなので、体に戻る方方についての意犬聞き鯛なあと思って…」
「家族以外の人に話しかけたことないんでしょ?智明くんの言葉、面白いことになってるよ。」
「えっと、どういうことで賞?」
「ほら、またおかしくなってる。えぇと、とりあえず発言を振り返ってみて。まぁ、でもちゃんと言いたいことは伝わったよ。『自分のこと見えてるのは、私だけみたい何だけど体に戻る方法がわからないから私の意見を聞きたい』ってことでしょ?」
「そういうことです。」
そんなにおかしなことになってるんだろうか。雨谷さんがおなかを抱えて笑っている。
……振り返ったけども、俺日本語めちゃくちゃじゃん。家族以外とあまり話さなかったせいだなきっと。恥ずかしい。高校生にもなって母国語が話せなかったなんて…
「顔真っ赤になってるよ?大丈夫?そんなに恥ずかしかった。」
雨谷さん、笑いを堪えているつもりなのでしょうけど、めちゃくちゃ漏れてますからね⁈
と、そんな話は置いておいて、
「いけんをおききしても?」
これなら言い間違えないだろう。ふう。
「とりあえず、自分の体にあってみれば?そしたら何か閃くかも?」
そうしたいのはやまやまなのですが?
「あの、びょういんのばしょが分からなくて」
「そっか、それじゃあ後で先生に聞いてみるね。」
そして気になっていることをいくつか聞いてみよう。
「あの、俺、いつどこで倒れたんでしょうか?」
「あー、それね、私も先生も他のクラスメイトもわからないの」
分からないって、済ました顔で言われましても困るんですが?
「あの、それはどういう?」
「智明くんは一人でいることが多いでしょ?だから、みんな君が倒れていることに気が付かなかったの。」
「雨谷さんなら気がつきそうですけど」
「あー、智明くん昼休みとか朝とかずっと机に突っ伏してるでしょ?その時は話しかけても返事してくれないから他の友達と話してるの。」
つまりあれか、みんなそれぞれコミュニティがあるからそこでの会話に夢中になってるし、普段から休み時間はおんなじ体勢をしている俺が気を失っていても気が付かないわけか。俺、殺人事件に巻き込まれないようにしないと危ないな。
「もっと誰かと話したほうがいいと思うよ?」
「そ、そうですよね。わかってはいるんです。でも人と話すのってなんか怖いじゃないですか。自分のことを否定されたらどうしようとか、雨谷さんは考えないんですか?」
「んー、考えるよ。でも…」
「でも…?」
「意味もなく人のことを否定するような人はなかなかいないよ?」
「相手の話についていけなくなったら気まずくないですか?」
「話し相手に聞いてみなよ。きっと教えてくれるよ。」
「いや、流れを止めてしまうのもいけないのかなと。」
「知らない話を聞かされるよりいいじゃない。」
「そもそも、会話のきっかけも、作法も、聞き方も、話し方も知らないのに、会話なんてできるわけがない!」
「難しいことは考えなくていいんだよ。きっかけも、作法も、聞き方も、話し方も間違えたって誰も気にしないよ。だってそれが、『会話をする』ということなんだから。」
やっぱり会話はよく分からない。雨谷さんのいうものが会話なら、それは『ルールのないゲーム』に聞こえてしまう。俺はもっと『秩序を保った格式ばったもの』だと思ってた。俺にも会話ができるかもしれない。でも、それを考える前に、
「すみません、昼休み、終わってしまうのですが、先生に病院聞いてきてもらえませんか?」
キーンコーンカーンコーン
「「あ」」
◆◆◆
そして迎えた午後の授業。午前とは違った理由で集中できない。午前中はどうすればいいか分からない不安で集中できなかったが、今は、雨谷さんの「だってそれが、『会話をする』ということなんだから。」という言葉が耳に張り付いて離れない。俺は、今まで会話から逃げていただけなのではないかという気すらしてきた。そんなことばかり考えていたら、いつの間にか放課後になっていた。時間が経つの速くね?
「智明くん、君の体は大山総合病院の五〇三号室だってさ」
「あ、ありがとう、ございます。」
「……」
雨谷さんが何やらむくれた顔でこちらを見てくるんですけど?
「あの、どうかなさいました?」
「私に敬語使うのやめて。私はタメ口で話してるのに、智明くんが敬語で話すから友達じゃないみたい!」
「トモダチ?」
はて?トモダチ、ともだち、友達、え?友達⁈いつの間にそんな大層な関係になっていたのか…
「いつの間に…」
「そう、と・も・だ・ち!智明くんと私はもう友達なの!」
そうか、俺にも友達ができたのか…感慨深いな…
「じゃあ、そろそろ俺は失礼しま……ちょっと体に戻る方法探してくるよ!」
◆◆◆
病院だ。まずは五階へ行こう。壁を突っ切りながら歩く。どの幽霊も自分のことでせいいっぱいそうでこっちのことは見向きもしない。ある病室では自分の体へ入っていくやつがいた。その部屋の住人は泣いて喜んだ。またある病室では、空へ昇っていくやつがいた。その病室では、遺族が泣いて悲しんでいた。
と、目移りしていたが体に戻る方法を見ておかないとな、俺も体に戻るんだから。とにかく病室感を移動する。そこには退屈そうに座って宙を見つめているおじいさんの幽霊がいた。ちょうどよかったのでそのおじいさんに話を聞くことにした。
「すみません。体への戻り方、分かりませんか。」
「何じゃ。話を聞いてくれるのか。そりゃ嬉しいのう。わしはのう、体の方が弱っておってな。しばらくは体に入れんのじゃ。もちろん、まだ昇天する気配はないのじゃ。ここでこのボケ老人の話を聞いてくれ。」
「わかりました。」
「わしはのう、一度は戻れたんじゃが、また弾かれてしまっての。入り方はわかっておるのじゃ。手や足のような体の一部を口の中に入れて体と幽霊体が共鳴する場所を探してそこに触れれば勝手に空団入っていけるのじゃ。でな、わしは幸せでのう、毎日娘が見舞いに来てくれるのじゃ。あやつとは喧嘩別れじゃったからお互い何年も話していなくてのう。近くの高校で教師をしておると聞いたのじゃが。あんな時間にきても大丈夫なのかのう。」
その後数分間、そのおじいさんの話を聞いた。驚いたことにその先生は俺の高校の養護教諭の佐藤先生だということがわかった。
その後は、階段を登って五階についた。そこから三号室を目指す。すぐそこだった。入ると、そこには眠ったままの俺の体と、その横で涙を流す母さん、腕を組んで険しい表情をしている父さん。
よし、大丈夫。手順は覚えてる。……………行くぞ!どこだ!体と魂のつながる場所!
◆◆◆
このへんだ、と思って触った瞬間視界が歪んで、意識が闇に落ちた。
まず感じたのは、病室に充満する薬剤の香りだ。次に母さんの泣き声が聞こえて、そこから、無機質な天井が目に入った。最後にベッドの柔らかさが感じられた。帰ってきた、そう感じた。生きてる心地がする。やっと帰ってこれた。と、まずは両親に
「ただいま。今、帰ってきたよ。」
そこから後は慌ただしく看護師さんやらお医者さんやらが走り回って、明日には退院できそうだと説明された。お医者さんに、
「後五分搬送されるのが遅かったら、君は助かっていなかった。」
と言われた時には流石に恐ろしくなった。これからはどんどん人と会話していこうと思った。
◆◆◆◆
翌日、学校には早めに行った。両親に家出を疑われて少し手間取ったが、なんとかクラスで一番最初に教室に入れたみたいだ。いつも通りの教室、その静寂を足音で破りながら入って、教室の空気を吸う。かびたような、木の匂いがした。吸った息を吐き切るように大声で「おはよう!」
と叫んだ。恥ずかしくなってバッグを開けた時、
「おはよう」
雨谷さんが入ってきた。
「すごく大声だったね。びっくりしちゃった。」
「待って、そんなに声大きかった?」
「うん、大きかったよ」
気持ち新たに学校生活を送ろうとした途端に恥ずかしい思い出を作ってしまった。
「あ、茅ヶ崎がしゃべってる。」
クラスの男子集団が入ってきた。あのにやけ面は、俺の叫びを聞いた顔だな。よし、
「君たち、何でニヤニヤしてるんだよ!」
「悪い悪い。」
そして男子集団と俺と、雨谷さんは大声で笑った。
あぁ、人といるって幸せだな。
36人の異常体験 玉崎蓮 @rentamasak1
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