第28話 変わりはじめた感情

 自分が人間ではないと聞かされて以来、人間自体にはあまり興味をひかなくなった。重要なのは、我々の存在を悟らせない事。それに尽きる。

近藤の報告では、人間の部隊がやっと救助を始めたらしいが、時すでに遅し、である。今では犠牲者を見ても、さほど動揺しなくもなってきた。

本当の記憶も戻らず、ここでの記憶しかないにも関わらず、僕は薄情なのだろうかと、冷めていく気持ちに不安を感じた。口は出さないが、小林と康子はどう思っているのだろうか。


幼馴染で友人以上の感情を抱いていたことさえも嘘だと知らされ、今ではそんなことを聞くことさえ躊躇われた。今、僕の前には、埋めることのできない深い溝が出来てしまったようだ。


一行は、僕の思いなどとは無関係に地下街を走り続け、やがて地下鉄の駅へと入っていった。駅の内部は静寂に包まれおり、六人の足音だけが暗闇にこだまする。ここには犠牲者の姿はなかった。異変が起きた後、出口に殺到したのだろう。犠牲者を見てもそれほど気にはならなくなったが、それでも、お目にかかるるよりはマシだった。ホームまで降りると、九条が立ち止まり口を開いた。


「少し休憩しましょう」すると秋葉が設置してあった自動販売機をこじ開け、ジュースを取り出すと皆に渡した。ずっと走ってきたにも関わらず、のどの渇きも疲労も感じてはいない。渡されたジュースを不思議そうに見ていると、

「身体は欲しがっているよ」と秋葉が言った。言われて気が付いたが、僕の身体は汗だくだった。それを知った途端、急激な疲労感に襲われた。


「任務が終わるまでは大事に使え」と言われ、秋葉が言おうとすることを理解した。器を大事にしろと言うことだろう。ベンチに腰掛け、一気に飲み干すと、さらに汗が噴き出した。その上、息まで荒い。かなり空気が薄いようだ。普通の人間ならばひとたまりもなさそうだ。小林は元気そうに、九条に色々と質問を浴びせていた。その姿は楽しそうに見えた。僕の隣には康子が腰を下ろした。ちらりと見た彼女も汗だくだ。


「なあ、康子」僕は正面を向いたまま訊ねた。

「なぁに?」康子の顔がこちらに向けられたのを目の端でとらえた。けれでも、僕はそのまま顔を合わせずに訊ねた。

「お前のばあちゃんは何で死んだんだ?」と。どう切り出すか迷っていたが、結局、口から出た言葉は直球だった。暫く沈黙が続いたが、

「ガンよ」と、康子も直球で返してきた。しかし、その答えだけで康子の中には、いまだに家族への強い思いがあるのだと知った。本当の自分に家族が居るのかさえわからない。今の僕たちには、記憶に残る家族だけが唯一と言える。それは、ちらりと見えた寂しそうな康子の目を見れば分かる。


しかし、僕はこの逃走劇が始まって以来、ほとんど家族の事を思い出していない。

無事なのだろうかとも頭に浮かんではこない。

そもそも、記憶の元となった対象が、現代の人間なのかすらわからないのだ。


「そっか」僕はそれ以上の言葉を返せなかった。否定も肯定も出来なかったのだ。

やがて休憩も終わり九条は線路に飛び降りた。

「まだ遠いから気を抜かないでね」と言うと、奥へと向かって歩き始めた。トンネル内はさらに暗い。けれども、いつの間には視力は戻っているかのように、周囲を見えるようになっていた。武器を取り出したことが良かったのだろうか。

スイッチが入ったような変化だ。


「おー、見えるな」と小林も同じ反応だった。

「意識しなくとも身体が覚えているのよ」と九条が言った。身体と言うよりも、本来、持ち合わせている機能だろう。なにせ作られた器なのだから。


暫く歩いたとき、

「マズイな」と殿を務める秋葉が声を出した。

「敵か?」先行する近藤も反応した。

「ああ、追ってきている」地下街とは違い、ここには遮蔽物もない一本道のトンネル。数で押されればひとたまりもない場所だ。それを理解したように、

「次の駅まで走るのよ」と九条が叫んだ。

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