第40話 輪廻への干渉
標的をこちらへと変えた鉄の
ドシン、という鈍い音とともに、鋭い痛みが身体に走ると同時、視界が空を仰ぐ。思わず目をつぶったが、地面にずり落ちたような感覚もなく、なんだか体が浮いているような気がする。
恐る恐る、ゆっくりと目を開けると、どうやら車や秀明達からは離れた場所に飛ばされていたようだ。
身体の無事を確かめようと、自分の手足を眺める。だが、視界に入ってきたのは、白い猫の手足ではなく、ぼんやりと実態のない、霞のようなものだった。
かろうじて繋がっていた魂への
(世話になった身体に、最後の最期に酷い仕打ちをしてしまった。もう、あともっても一日そこらというところだろう)
霞のような姿のまま、そっと猫の体によりそう。足が明後日の方向を向いている。先程の衝撃で折れてしまったのだろう。ちらりと運転席に目をやると、予期せぬ方向に急にハンドルを取られたであろう男が、顔面蒼白で動けずにいるのが見えた。
「ミイ!」
轢き殺されるかもしれないという衝撃と恐怖から解放され、ようやく現実に戻ってきたらしき秀明が、こちらへ走ってくる。ぐったりとした猫の体を恐る恐る起こし、傷の状態を確認し、はらり、はらりと涙を流した。
「こんな落書きされちゃって、かわいそうだったなあ。おまけに足も折れちまって。今日は災難だったなあ。今、病院に連れていけないか、母さんに聞いてやるからな。もうちょっとの辛抱だからな」
そう言って、優しく、そっと猫の体をそっと抱き上げ、まだまだ幼さの残る坊主頭の少年は、事故の起きた道路沿いにある自宅の方へと歩いていった。
ワシは霞のまま、その後をついていく。
(これでこいつとの付き合いも終わりか)
猫の命も尽きる。静江を失った悲しみは癒えてはいないが、獣の姿で自由気ままに外の世界で過ごすうち、少しずつ少しずつ、感じることのできなくなっていた季節のうつろいや、海風の匂い、町を行く人間たちのざわめきに気が行くようになってきたと思う。
もう、癒しの時間は終わった。
次の旅路へ向けて、歩き始める頃合いであろう。
そんなことを考えているうち、母親と会話を終えたらしき秀明が、家から出てきた。
肩を落とし、暗い影を背負って玄関から出てきた秀明の様子を見るに、病院には連れて行ってはもらえないのだろう。
無理もない。体全体で大きく呼吸をし、ほとんど目も開いていない猫の様子は、この小さな命が終わりが迎えることを大人が悟るには、十分なものだっただろう。
秀明は毛布に包んだ猫の体を縁側に寝かせ、ぬるま湯に浸して絞った手拭いで、身体についた絵の具を、優しく優しく、拭っている。
細い腕で、目に溜まった涙を拭いながら、身体を拭き終えると、自分も縁側に腰掛け、ほとんど動かなくなった猫に、語りかけた。
「ミイよお、お前がひょっこり縁側に顔を出すのがよ。俺は毎日楽しみだったよ。うちは貧乏で、大した餌もやれねえのによ、ようく毎日来てたもんだよなぁ」
中学生の秀明は、すでに家業を手伝っていて、子どもながらよく働き、幼い弟妹たちの面倒をよく見ていた。ワシがこれまでの世で見た中でも、ここまで文句を言わず、人のために尽くすやつは、なかなか珍しい。
毎日縁側にやってくる猫に対しても、愛情をかけて世話をすることを忘れなかった。自分の命を燃やしながら、毎日毎日を丁寧に暮らすこの子どものことが、なぜだか心から離れなくなっていたのは、いつからだろうか。
「お前が先に逝っちゃうのは、仕方ないことだけだよ。俺は寂しくてしかたねえよ。お前は猫だけどさ、俺にとっちゃあ、お前も大事な家族だからなぁ」
目を瞑り、動かなくなった白い猫の亡骸を、慈しむように撫でながら彼は言った。
「また来いよ、待ってるからな」
力が抜けた猫の体から、モヤモヤと白いものが立ち上り、泣きじゃくる秀明の周りを回っている。おそらくこの子どもには、これは見えていないだろう。
「お前も、離れがたいか」
ワシの言葉に、秀明の周りを回っていた魂は反応し、こちらにやってきた。そしてその魂は、言葉にならぬ想いを、ワシにめがけて訴える。
「駄目だ。命を奪うことはできても、
物言わぬ獣の懇願に、首を縦に振ってやることはできない。ワシは神ではないのだ。
――だが、ふと、ひらめいた。
生き返らせることはできぬとも、生まれ変わる先の人生に干渉することはできるかもしれぬ。そうした呪いや縁結びは、元々の性質上、得意の分野に入る。
「……生まれ変わりの方向を、少しいじってやることはできるかもしれない。だが、その代わり、またお前の身体を貸せ」
ワシの言葉に、白い霞は上下に飛び跳ねた後、くるくると再び秀明の周りを踊った。
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