第33話 海辺の神社とセーラー服の少女

 それから桜の季節を迎えた。しかしやわらかな春の日差しにあくびをしている瞬間に、すでに季節は夏に変わっていた。そして青々と茂る草木を愛でているうち、季節は実りの時期へと移り変わる。たわわに実る木の実が落ちるのを眺めていると、すぐに透き通る小さな結晶の粒が舞う季節を迎えた。


 永遠にも思える命を持つワシにとって、季節の移り変わりなどは、一瞬の出来事であった。


 茂吉の次にもてあそぶ命は誰にしようかと、はじめのうちは熱心に探していたが、「これは」という人物が見つからず、だんだんと怠惰に時間を過ごすようになった。


 何百年もの時を過ごしていると、恐ろしく気が長くなるようで、めぐる季節の何周もぼんやりと過ごしていたらしい。たまに次の標的探しはするのだが、すぐに飽きてふて寝をする。


 ワシが生き長らえる意味とは、一体なんなのだろうか。

 こんなにも考える時間があるにも関わらず、その答えは、未だ見つからない。


 神社の裏でうたた寝をしていると、向こうからやってくる人の気配がする。この海辺にほど近い神社は、祭りのときこそ賑わうが、普段人がやってくるのは珍しい。


 なんとなく興味を惹かれたワシは、むくりと起き上がり、神主の姿を借りて、少し遠目から、やってくる人物の様子をうかがうことにした。


 神社の境内側から神社の外を見ると、目の前の道路を隔ててすぐ向こうが海になっているために、鳥居がまるで海を切り取る写真立ての如く見える。この美しい景色を見たときに、ワシはここを次の住処と決めた。


 鳥居の向こう側の、キラキラと太陽の光を受けて輝く水面を景色に背負いながら、ここ最近普及してきたという「せえらあふく」なる衣を着たその女学生は、まっすぐ賽銭箱の前にやってきた。


 礼に則って賽銭を入れ、二礼二拍手一礼を終えた彼女は、意志の強そうな大きな瞳で社殿を見据え、くるりと鳥居の方へ向き直り、颯爽と去っていく。


 ――人間の女など、それこそこれまでの気の遠くなるような年月の中で、くさるほど見てきた。だが、その彼女の先を見据えるような凛々しい眼差しが、ワシの心を捉えて離さない。


(これは一体、どうしたことか。あのような小娘に心を惑わされるなど)


 頭を振って気を持ち直そうとするが、やはりあの瞳が、心に焼き付いて離れない。


(また、会えるのだろうか。またここへ、来ることもあるのだろうか)


 海風になびく「せえらあふく」の消えた方向に、視線をやる。自分の目の前を過ぎ去っていった人間が、再び現れることを期待するなどという、ありえない感情が自分の身の内に起こっていることに驚きを覚えていた。


 この日以降、彼女が神社ここに現れなければ、ワシは衝動的に彼女を探しに町をさまよったかもしれない。だが――彼女は、翌日も、その次の日も、神社にやってきた。


 毎回毎回、はじめに見たときのように、彼女は用件を終えればすぐ帰ってしまう。神社なのだから当たり前なのだが、そこはかとない寂しさを感じている自分がおり、いつか声をかけられないものかなどと、だんだんと思うようになっていた。


 今日も彼女が現れるかもしれない。そう思いながら、はじめに見かけたのと同じ時間に、境内で掃き掃除などをしてみる。この神社には本物の神主もいるのだが、彼女が来るときは本物が出てこれないよう、社殿の出入り口に結界を張っているのである。


 神聖な場所と思われる神社だが、大昔の術師のような力を持った神主などほとんどいない。齢九百年を超えるワシにとって、神社の境内を意のままに操ることなど、赤子の手をひねるより簡単なことであった。


 気配を感じ、ふと、表を上げる。彼女だ。節目がちな彼女は、そのままいつもの通り賽銭箱の前に直行していく。じっと目で追うわけにはいかない。おかしな人物――いや正確には人ではないのだが――だとは思われたくはなかった。


 ワシはチラリと彼女の姿を確認した後、再び掃除に集中するふりをして、地面に目線を落とす。


 彼女がいつもの手順を終えて、石畳の上をしずしずと歩き、鳥居に向かって歩いていくのが聞こえる。


 ああ――今日も声をかけられなんだ。

 そう思っていたその時。


「今日もお掃除、ご苦労さまです」


 そう、彼女に声をかけられた。


 「今日も」ということはこれまでもずっと、ワシに気づいていたということなのだろうか。


「こんにちは。お嬢さんも変わらず、毎日お参りされて偉いですね」


 ワシは精一杯平静を装い、涼し気な笑みを意識して彼女に笑いかけた。久しぶりに正面から彼女の顔を見て――改めて綺麗だと思った。


 もしかすると、これが「一目惚れ」というものなのかもしれない。


 彼女は淡く、あどけない微笑みを浮かべ、軽く会釈をしてその場を去っていった。


 ――これが、ワシが日記帳と芳名帳を渡す二人目の相手となる、「静江しずえ」との出会いだった。

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