第一章 親父の背中:鈴木祐也

第2話 親父が死んだ

 午前4時50分。横須賀に住む母から電話があった。


 先日の見舞いの時からなんとなく予感がしていた俺は、すぐに着信に気づき、目が覚めた。


「もしもし、祐也? お母さんだけど。……今病院から電話があって。お父さん危篤だって。お母さん、今すぐ支度して、タクシー乗って行ってくるよ。祐也は、来れそう?」


「そうか……わかった。今から向かうよ」


 通話を切り、深いため息をつく。スマホを持つ自分の指先は小刻みに震え、全身から血の気が引いているのがわかる。


 ついにこの日が来てしまったのか。


 覚悟はしていたが、「危篤きとく」という、ドラマでしか聞かないような一言を、脳が実際の出来事として理解するまでには、まだ時間がかかるようだった。


「パパ、どうしたの……?」


 電話の声が聞こえたのか、妻の七海が目をこすりながら起きてきた。


「親父が、危篤らしいんだ」


「えっ」


「悪い七海、洸汰お願いしていいか。俺は横須賀の病院へ行ってくる。長くなるかもしれないから、また、状況がわかったら連絡する」


「わかった。……気をつけてね」



 俺は手早く服を着替え、必要最低限の荷物だけ持ち、自宅の階段を降りていく。


 玄関の戸を開けた先は、まだ漆黒の世界だった。肌を刺すような寒さは、痺れた頭を冷やすにはちょうどいい。


 車のエンジンをかけ、寒さでかじかむ手でカーナビの目的地を「横須賀総合病院」にセットする。あざみ野から病院までは、今の時間なら急げば1時間でつけるだろう。


 まだ日の登らぬ中を、はやる気持ちを押さえて走り出す。車の中は、冷え切った自分の心を象徴するかのごとく、なかなか温まらない。


(息を引き取る前に、もう一度会えるだろうか)


 最後に目にした父親は、すでに言葉を発することも難しくなり、まるで命が剥ぎ取られていく苦しみを訴えているような、か弱いうめき声を上げていた。


 あの姿を見た時、もう、長くはないのだと悟っていた。




 保土ヶ谷バイパスを過ぎて、横浜横須賀道路に入る頃には、空も明るくなり始めていた。見慣れた景色が迫ってくるたび、親父との思い出が、頭の中で浮かんでは消える。


――親父のことを尊敬しているか、と聞かれたなら。俺は迷わず「No」と答えるだろう。


 浴びるほど酒を飲み、毎晩ベロベロに酔っ払う。へべれけ状態の親父を見るのは何より嫌だった。近年まれに見るヘビースモーカーで、1日の間に1箱消費するのは当たり前。家族とはぶつかってばかりだが、外面は良い。だが、おだてればすぐ木に登る性格ということもあって、人に利用されてばかりいる。


 ちょっと振り返ってみても、残念なエピソードばかりが頭に浮かんだ。別に嫌っているわけではないし、家族としての愛情はそれなりにはあるとは思うが。正直に言ってしまえば――俺は親父のことを、みっともない男だと思っていた。


 本町山中有料道路を抜け、汐入駅の近くに出る。

 左手に広がる軍港に、米軍の潜水艦や護衛艦が停泊しているのが目の端に映った。まだ午前六時ということもあり、人通りは殆どない。


 ポケットのスマホの振動で、心臓が跳ねた。良い知らせであってくれと願いながら、路肩に車を止め、通話に出る。


 やはり母からの電話だ。心臓の鼓動が、うるさいほどに早くなる。

 疲れ果て、擦り切れたような母の声は、絞り出すようにその言葉を吐いた。


「祐也……お父さん、今、息を引き取りました。急がなくていいから、気をつけて来てね……」


 それだけ言って、母からの電話は切れた。

 スマホを持った左腕をだらんと垂らし、ハンドルに顔を伏せる。


 ――親父が死んだ。その事実が受け止められなくて、まだ、涙は出なかった。




 そこからどうやって病院まで運転していったのか、俺はあまり覚えていない。


 なんとか病院にたどり着いた頃には、すでに湯灌ゆかんを終え、清められた親父はベットに寝かされていた。


 お湯で温められた体はぬくもりを保っており、とても死んだ人間とは思えない。まるで本当に眠っているような、安らかな死に顔だった。


「お母さんが到着した頃にはね、もう意識がなくて。なんとか酸素吸入で生きているような状態だったの」


 母もまだ現実感がないようで、ふわふわとした面持ちで、涙も流さず、じっと親父の姿を眺めていた。


 母の隣には、おばの佳子よしこが佇んでおり、声をたてないよう、静かに涙を流している。


 それからしばらくして、主治医の先生が来て、親父の最後の病状を説明していった。


 最後は苦しむこともなく、眠るように亡くなったそうだ。それを聞いて、悲しみの中に、少しだけ光が差したような気持ちになった。


 俺も度々この病院には親父の通院や見舞いのために足を運んでいたが、まだ40は超えていないであろうこの若い先生は、必死に親父の病気と向き合ってくれていた。


 足掛け4年同じ病院にお世話になったが、病状や抗がん剤が変わるたびに、家族や父にわかりやすいように、忙しい合間を縫って、何度も理解できるまで説明をしてくれた。本当にこの先生には、感謝しかない。


 穏やかに、ひとつひとつ、いつものように言葉を紡いでいた先生だったが、伝えるべきことを伝え終わると、耐えかねたのかポロポロと大粒の涙をこぼし、その場を辞していった。


 病状が悪くなってきてからは、もうちょっと大きい病院に転院したほうが良いのではないか、と親父に言ったことがあったが、


「俺はよ、山本先生に、もう命は託してあんだ。他の先生には、かからねえ。最後まで、山本先生を信じるよ」


 と言って、病院を変えようとはしなかった。



 その後病室には、父の看護をしてくれた看護師の方々が、入れ替わり立ち代わり、父の顔を見に来ていた。


 その誰もが父の顔を見て涙を流し、口々に別れの言葉を残していく。


 父はこの病院の人たちに本当に好かれていたのだろう。



 昔から人と関わることが好きな父は、自分の担当の看護師や先生の名前を、すべてノートに書き留めて覚えていたらしい。


 ただ世話をされるだけでなく、色々雑談をふっかけては、他愛ない笑い話をしたり、ときには悩みを聞いたり、なんと喧嘩して仲直りまでしていたというのだから驚きだ。


 入院中の病院でこれだけコミュニケーションを取る患者も珍しいだろうな、と俺は思っていた。


 病状が進んできてからは、アルツハイマーを併発し、家族に対する反応が徐々に鈍っていった。


 だが病室を尋ねてくる見舞客、看護師や先生には、健康だった頃の笑顔や、言葉になりきらない冗談を発することもあったようだった。



 葬儀場へ行くために、タオルに包まれた親父の遺体は、記憶にある親父の体よりずっと小さく見える。


 動かなくなった体が運ばれていくのをじっと眺めていたが、それが数時間前まで生きて動いていた、自分の父親だった人物であるということが、なんだか信じられない。


 1年ちょっと前までは、まだ普通に会話ができていたのに。



 親父の亡骸を見送った後、俺と母親は、横須賀の実家に一旦帰ることにした。


 病院から車で20分ほどの場所にある実家は、漁港が見渡せる場所に位置している。付近にはコンビニが1軒と、接骨院と内科があるぐらい。一応都内には1時間ちょっとでアクセスできる場所ではあるが、駅まではバス便、大きな商業施設は車でいける場所にしかなく、田舎と言っても差し支えないと思う。


 家についてすぐ、俺は七海に電話をかけ、親父が亡くなったことを告げた。


 電話口で泣き崩れる七海をなだめつつ、この後昼過ぎから葬儀社との打ち合わせがあること、告別式は明後日になることなどを告げ電話を切った。


 息子の洸汰はまだ1歳に満たないため、七海が手伝いに来ることは難しい。


 ただ、親父に最後に孫の顔を見せてやりたかったこともあり、告別式だけは、洸汰を連れて義両親とともに来てもらうことにした。


 帰りがけにコンビニで調達してきたおにぎりをつまみながら、母がれてくれたお茶を口にする。


 朝早かったからなのか、それとも父親が亡くなったショックからかはわからないが、おにぎりの味がわからない。まるで砂を食べているような感覚だ。


 そして、潤しても潤しても、喉の奥が乾いている感じがした。




 隣で同じように呆然としたままずっと押し黙っていた母親が、何かを思い出したような顔をして、おもむろに立ち上がった。


「母さん、どうしたの」


「ちょっと……気になるものがあって」


 そう言って母は、介護ベットの下から、古ぼけた四角形のお菓子の缶を持ってきた。


 母から缶を受け取ってみるとずっしり重い。10センチほどの厚みがあるその缶には、何かがびっしりと詰まっているような感じがした。


「なに、これ」


 写真でも入っているのかと尋ねてみると、母は首を横に振った。


「これ、前はね、別のところにしまってあったみたいなんだけど。ほら、洸汰がNICUに入って、大変だった時あったでしょ。あのときに、お父さんが押入れの奥から出してきて。私に隠れてこそこそなにか書いて、この中にしまってたの。それからはベットの下に置いてあって。でも『さわるな』って怒るから、お母さんは中身、見てないんだけどね」



 洸汰は、超低体重児で生まれたため、NICUに入っていた時期があった。一時、もうダメかもしれないと医師に告げられたことがあったのだが、ある日を堺に奇跡の回復を見せたのだ。


 今はあのときの出来事がまるで嘘だったかのように、無事すくすくと育っている。


  堅く閉じられた缶の蓋を開けると、古本屋のような、カビ臭い匂いが広がった。


 缶の中には、錦糸をあしらった、赤い和紙の表紙が印象的な1冊の芳名帳と、芳名帳に似た作りの、藍色の表紙の日記帳が1冊、そして市販品の安っぽい日記帳が数冊入っていた。


「……お父さん、日記なんかつけてたんだ」


 本をよく読む人ではあったが、筆不精だったので、好んで日記を書くようなタイプではない。


 意外に思いながらも、俺は一番日付の古い日記帳を手に取り、黄ばんでもろくなった紙のページを、破らないようにそうっと開いた。



 ――そこには、俺たちが予想だにしなかった内容が綴られていたのだ。

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