5-4. 【口下手】のツグミ
ツグミは、かつて「役立たず」として売られた元奴隷だった。
成人の儀式で授かったスキル【口下手】。
その基本効果は「対象者が口下手になる」という物。
ツグミ自身は「口数は多いが情報が全く伝わってこない」タイプの口下手だが、他人にかければ「上手く言葉が出てこない」タイプの口下手になることが多い。
だから何だと言われると、全く反論もできない。
何の役にも立たない外れスキルだとされた。
友人だと思っていた者達には陰で笑われ、幼馴染みの恋人にも捨てられ。実家にも役立たずを食わせて行くだけの余裕はなく、ツグミは口減らしも兼ねて奴隷商人に売り払われた。
全ては成人の儀式のあの日、外れスキルを授かったせいだ。
奴隷商人の馬車が横転した隙に、同じ境遇の3人と逃げ出したツグミは、しばらく不遇な暮らしを送っていたが――何の因果か、突然そのスキルが覚醒する。
いつの間にかレベル999になっていたツグミは、外れスキル四天王として、世界への復讐を決めたのだった。
死にたい、しかし死にたいと言っても本当に今すぐ心臓に刃物を突き立てて命を断ちたい訳ではなく、漠然とした不安感を解消したいという程度の意味で、自傷でなくとも暴飲暴食や超過労働や濫読や恋愛でその内心の虚無が満たされ苛立ちが収まるなら、特に死には拘らない、とはいえそうした代償行為の最中にふと我に返ると、本来あるべき暴飲暴食や超過労働や濫読や恋愛や浪費や破壊活動の持つある種の必然性と現在自分がおこなっている形式的で空疎な猿真似のギャップが目について、かえって不愉快になるため、総合して考えれば、瞬間的な衝動が永続的な思考停止をもたらす自死に期待を持たなくもないが、そう考えた時点でその先の自死は所詮空疎な猿真似に過ぎないと感じてしまうため、まずは死が示す救済を確たる実感として認識できるよう、人を殺そう、とツグミは思った。
なお、似たようなことは過去にも思ったため、殺人経験がないわけでもない。むしろ最近は熟達してきた実感もある。
それで死を救済だと確信できていれば、既にツグミも死んでいるのだろうが、世の中そう上手くは行かなかった。
しかし、何だか今日こそは行ける気がしたのだ。
「止まれ! 貴様、何処から入ってきた?」
「ここは民間人立ち入り禁止だ!」
濃色の軍服を着た兵士が2人、ツグミの進行を止めるために駆け寄ってくる。
それはそうだろう。ここはパースリー市外縁部近くに位置する第2領兵訓練所、その敷地内の広場。軍事施設といって差し支えない。
近年、パースリー子爵領軍では魔法系スキル保有者のみで結成した魔法兵団の拡充に力を入れており、第2訓練所は魔法兵団のみが使用している。
魔法兵団は性質上、都市内の警備等ではなく、外敵からの防衛や、大規模災害時の支援等に配備される。訓練所が都市周縁部に置かれたのは、騒音対策と共に都市防衛時の前線本部として使えるようにするためでもあり、同様に使える公営施設が都市の四方に設置されている。
それはそれとして、この第2領兵訓練所には、魔法系スキルを持った魔法兵しかいないわけだ。
「えっと、ごめんね、一から説明するとね?」
ツグミは両手を挙げて動きを止める。
2人の兵士も杖を構えたまま、距離を置いて立ち止まった。
「魔法系スキルって、よっぽど扱いにくい属性の物を除いて、基本的には当たりスキルだって言われてるでしょ? 【火魔法】や【水魔法】みたいな四属性は大当たりの部類だけど、【雷魔法】や【氷魔法】なんかも十分当たりスキルだよね。犬を操る【犬魔法】は勿論、ウニを操る【海胆魔法】もギリギリ当たりかな? ウニが簡単に獲れると便利だし、ウニを飛ばして刺さると凄く痛いと思うし、レベルが上がれば魔法でウニが出てくるしね。【パセリ魔法】や【蕎麦魔法】辺りになると、ちょっと怪しいけど、で、とにかく当たりスキルの人、特に戦闘に適したスキルの人って、あんまりスキル以外の能力を鍛えないでしょ? 【剣術】とか【格闘術】みたいな技能系スキルなら身体も使うけど、詠唱だけで魔法が飛び出す魔法系スキルの保有者なんて、9割はモヤシでしょ? あ、ごめんね、モヤシって言われて怒った? 怒るくらい私の話聞いててくれたんだね、ありがとう。皆いつも話が長いとか言って途中で遮ったり、最初から無視したり、翻訳系の魔法で勝手に要約したり、ちゃんと聞いてくれる人って全然いないんだ。たぶん私のスキルが悪いんだけど、【口下手】っていうスキルでね、人を口下手にするんだけど、口下手になったら呪文も上手く言えないでしょ? 呪文が言えないと魔法って使えないし、魔法が使えない魔法使いって、ただのモヤシだから、恐るるに足りないから、本当のモヤシは美味しいし栄養もあるけど、今のは悪口のモヤシだから、ここに来たんだよ」
こいつは何を言っているんだ、という旨のことを、兵士の1人は言おうとしていた。
全員警戒しろ、という旨のことを、もう1人は叫ぼうとしていた。
「うっ……あ………?」
「あっ! ………んん!?」
しかし、上手く言葉にならなかった。
「なんだ、何も言わずに聞いてくれたのかと思って、ふわーってなって、やったーってなって、嬉しかったのに、何も言わなかったんじゃなくて、何も言えなかったんだ」
ツグミは残念に思いつつ、スキルの第2段階を発動する。
がりっ、と何かを削る音がして。
2人の魔法兵は血を吐いて蹲った。
「おいっ、何があがっ……んぐっ!?」
「ど、どうしっがぐっ……」
「がっ、あががががが!」
他の兵士が気付いた時には、もう遅い。
訓練所にいた残りの魔法兵達も、ほとんどが口を押えて動けなくなり、僅かにツグミ達の方へ近付こうとした者達も、気力で耐えてどうにか歩けるような状態。
力一杯自分の舌を噛み切ったのだから、そうもなるだろう。
実際の所、人類が舌を噛んで死ぬのは簡単ではない。
舌の切断面からの出血で失血死に至るには時間がかかるし、舌が切れた程度でショック死というのも現実的ではない。
血液が気管に流れることによる窒息死は不可能ではない。常に唾液で湿る口腔内では血が固まり難いため、傷口の大きさ如何では出血量もそれなりに多くなる。
まず舌を可能な限り伸ばし、全力で噛み切ることで、腱を断ち切って舌自体を気管に落とすことも可能だが、狙ってやるのは難しい。
いずれにせよ、噛んで即死というようにはいかないのだ。
だが、相手はスキル頼りで世の中を渡ってきた、モヤシの魔法兵である。
魔法系スキルは呪文の詠唱が必要なのだ。
声帯や肺がなくても、精霊が理解できる程度に一般化された音声言語であればいい。高い知能を持つ魔物は嘶きや唸り、鼻息、超音波、摩擦音、打音等で言語を構成しているが、多くの人類は「舌と声帯を使った発声」以外の方法による言語を持たない。
故に、口を封じれば、スキルも封じられる。
特に、パースリー子爵領の新設魔法兵団は、魔法による一斉攻撃を目的とした遠距離戦用の集団に過ぎない。痛みへの耐性もなく、兵士の割に肉体面でも未熟。
ナイフ1本もあれば、この状態から致命傷を与えるのは簡単だった。
屋内に残っていた数名への対処も終え――驚くべきことに、本当に魔法系スキルの保有者しかいなかった――現在ツグミと死体の山がある広場には、ツグミ以外の生存者は残っていない。
個人の死が救いとなるのは永続的な痛覚刺激がある場合のみに限られ、あらゆる心因性の事柄は死とは全く別軸の問題であるが故、いかに総合的な
そして――。
しかしながら、新設、急造で、運用方法の限られた魔法兵団とはいえ、このお粗末さは異常だ。
魔法系スキルにとって相性の悪いテロリストの襲撃を警戒しておらず、技能系スキルの保有者が1人も存在しない訓練所。
また魔法兵達も、どうして魔道具の1つも携帯していないのか。実際の戦闘では属性相性の悪い相手に対して魔道具での応戦をすることも考えられているかも知れないが、平時の警戒が疎かに過ぎる。
まるで危機感がない。自分達は襲われないとでも思っているのか。管理者から末端に至るまで、誰も疑問に思わなかったのだろうか。
――というような旨のことを、ツグミが長々と纏まらない言葉で考えていた所へ。
「事故ですか? テロですか?」
空から火を噴くエルフが飛んできた。
***
鼻を鳴らしながら進んでいたヒタチマルが立ち止まったのは、高い塀に囲まれた施設の入り口までやってきた。
「パースリー子爵領、第2領兵訓練所……だって。ここに何かあるの?」
「キュー!」
背に乗せたエリーが問い掛けると、ヒタチマルは肯定するように鳴いた。
エルフは耳と目が良いが、ドワーフは鼻が良いらしい。また何かしらを嗅ぎつけたのだろう。
「これは入っちゃ駄目なとこかな?」
「キュー?」
エリーの言葉に、ヒタチマルは首を傾げて野太く鳴く。
催眠術で自分をハクビシンだと思い込んだドワーフであるヒタチマルに、ヒュームの街の事情はわからない。
「でも、大事故とかだったら寝覚め悪いしなぁ……ちょっと上から覗いて来るね」
「キュー!」
「≪デフラグレーション≫」
ヒタチマルの背から降りたエリーは、足の裏から火を噴いて飛翔すると、1人で塀を越えて、人だかりの見える広場に向かった。
人だかりと見えたのは死体の山で、その隣に1人のヒュームが立っている。
黒い制服を着た死体達と違い、1人だけ茶色い服を着ている。明らかに部外者だろう。
「事故ですか? テロですか?」
問い掛けた相手が血塗れのナイフを持っているのを見て、
「明らかにテロですね」
エリーはそう判断し、魔法を解いて地上に降り立った。
推定テロリストはエリーを見て目を丸くした。
知り合いだろうか、と考えたのも束の間だ。
「火を噴くエルフの女の子! 君、『外れスキル狩り』でしょ!」
「うっ」
不名誉な二つ名で呼ばれたエリーは一瞬言葉に詰まって。
「えいっ!」
という掛け声により、そのまま言葉を封じられた。
「んんっ!?」
「私のスキルはあんまり強くはないんだけど、魔法使いの人には強いんだけど、強いって言っても凄い威力とかじゃなくて、【口下手】って言って、口が下手になるスキルなんだけど、口が下手って言うのは、口を使うのが下手っていうか、口を動かすのが下手? 喋るのが下手になって喋れなくなったり、舌を噛んじゃったり、口呼吸ができなくなったり、あ、口呼吸ができなくなっても鼻で息をしたらいいんだけど、最初それを思いつかなかったから、窒息攻撃だ! 強い! って思ったんだけど、私は花粉症で鼻が詰まってるんだけど、それで口を塞がれたらもう駄目だと思ってたんだけど、花粉症の人には強いのかな? でもエルフって花粉症にならないでしょ? 森に住んでるし。風邪は引くかもだけど」
「んん……?」
突然始まった要領を得ない話にエリーが無言で眉を寄せていると、遠くから塀の崩れるような音がした。
事実として、それは塀が崩れた音だった。
「キュー!」
高らかな鳴き声した方にいるのは、【豪腕】スキルで訓練所の塀を殴り壊したヒタチマルである。
「わっ! 何か来た!」
「ンー?」
ツグミは反射的に【口下手】スキルをかける。
しかし、それがどうしたとばかりに4足走行で駆け寄ったヒタチマルは、
「ンー!」
と1発、ツグミを殴り飛ばした。
「きゃああああああッ!?」
塀の高さほどまで跳ね上がったツグミは、頭から地上に落下。
即死である。
「ん……んあっ! 喋れた!」
ツグミの死亡により【口下手】スキルが解除されたエリーは、改めて周囲を見回し、その惨状に血の気が引いた。
死体の山は、エリーには無関係だ。
ヒタチマルが殺害したテロリストも、まあ相手は推定大量殺戮犯のテロリストであるし、これで罪に問われることもあるまい。
問題は被疑者及び被害者の全滅により、それらの明確な証拠が挙げられない点。
また、領主所有施設の塀をヒタチマルが破壊したことは事実である点。
その2点だ。
「キュー……」
ヒタチマルもハクビシン並の思考ながら、ドワーフ相応の知能は有している。何となく事態を不安に思って落ち込んでいる様子だった。
噂では、ヒュームの貴族は庶民を気紛れで処罰することもあるそうだ。
今回の事件では被疑者が死亡している。となると、第一発見者が真犯人に仕立て上げられ、理不尽に賠償金の肩代りさせたり、見せしめで処刑されたりしないとも言い切れない。
エルフの王侯貴族に当たるハイエルフも似たような物だったから、エリーにはよく判る。
「よし、これは見なかったことにしよう」
「キュー!」
そういうわけで、エリーは軽く自分達のいた痕跡を消すと、ヒタチマルに跨って脱兎のごとく逃走した。
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