4-8. 敗北するアート

 アートは町長のを剥奪された。

 全町民の催眠状態が解けたのだ。それは当然だろう。

 原因は明らかに、先程町全体を覆った白い炎だ。


 轟音を立てて執務室に流れ込み、そのまま全身を飲み込んだ白炎に、アートは死を覚悟した。が、炎は室内を一舐めすると、白昼夢のように掻き消えた。


 アート以上に混乱していたのは、アートが座っていた椅子……のだったドワーフや、書き物をしていた机……のだったドワーフ。その他、ありとあらゆるインテリアのをしていたドワーフ達だ。


 アートは椅子のをしていた町長に殴り飛ばされ、倒れた所をドワーフ達に囲まれた。


「テメェ……このアテクシを椅子にするとは、いい度胸ザマス。

 ヒュームのガキザマスかぁ……?」


 ドワーフにしては細身、ヒュームにしては小柄な交雑種のアートは、彼を見知らぬ者にはヒュームの子どもに見られることも多い。

 しかし、この場にはアートをよく知る人物も、机の1人として紛れ込んでいた。


「あっ、こいつヒョロガリのアートだトヨ!

 町長。そいつはドワーフとヒュームとの混血のガキだトヨ!」


 アートは自分の名を叫んだ相手を確認する。

 同じ孤児院の後輩だ。自分より年下なのに、ガキとは何だと思った。


「混血のアートぉ……?

 ああ、何年か前に、そんなのがいた気がするザマス。

 何にせよ、アテクシを尻に敷いた罪は万死に値するザマス!」


 どうにも状況が悪いので、アートはスキルを使って状況を立て直すことにした。

 両手を掲げて、殺気だった表情で周囲を取り巻くドワーフ達に掌を向ける。


「……ブヒャヒャヒャ! それって、あの時の外れスキルトヨ?

 勿体付けて何も起きなかったのが傑作だったから、よく覚えてるトヨ!」


 言われてみれば、とアートは思い出す。

 この町を出る前日にスキルを使った時も、たった3人だったが敵意、悪意に囲まれて、駄目元でスキルを試したのだった。


「眠れ」


 アートは当時と同じ台詞をキーワードに、周囲に向けて【催眠】スキルを行使する。


 今となっては、言葉をキーワードにして発動効果を高める必要などはない。道具さえ要らない。

 単純な思考操作なら、ちょっとした目線、物の配置、文字や香り、何を使っても【催眠】スキルは発動するし、即時に望んだ通りの結果を得られる。

 ただ、以前と同じ情景を期待されたのが判ったから、手振りや台詞でそれに応えてみせた。


「ぐう」


 当然、結果はあの時とは異なる。

 わかりやすい「私は寝ています」というレスポンス、催眠成功の合図を、周囲のドワーフ達が揃って口にした。



 高レベルの【催眠】スキルは1度発動すれば後催眠現象が永続するので、スキル発動に必要な魔力は比較的少ない。

 まずは当座の手駒集め。それから状況の確認だ。


 町長の家の地下には、歯車の外された振り子時計が大量に設置されており、ここで生じるエネルギーを魔力に変換することで、設置型暗示による自動的なスキル発動に伴う魔力消費も賄える。


 普段は町中の壁に暗示用のポスターを貼ったり、教会の鐘の音で定期的にスキルの発動を行っている。町に誰かが侵入しても、それで対応できるようにするためだ。

 だが、どうも広範囲に催眠が解除されたような感覚がある。先程から設置型暗示による魔力消費も激しい。催眠の解けた住民が、ポスターの絵柄によって再び【催眠】スキルに掛かり直しているのだろう。

 その際の魔力消費によって、自身の魔力にも影響が出ている。町の周縁部に残っている町壁の住民達に対し、教会の鐘で一気にスキルが発動したら。アートは魔力切れで気を失う可能性も高い。



 子爵領軍辺りが、自分を討伐に来たのだろうか、とアートは考えた。


 問題は排除せねばならない。

 邪魔をされるわけにはいかない。


 自分には、この町を支配するという割があるのだ。




 ***




 設置型暗示の発動、魔力の消費を感じる方向へ進めば、原因と思われる相手はすぐに見つかった。


 少し前に町に来て、アートがを与えたエルフの女だ。

 正直な所、アートにエルフの正確な個体識別はできないが、この町には他のエルフなんていないし、鉢巻きで両蟀谷こめかみに留めた2本の蝋燭に白い炎が灯っている。先程見たのと同じ色の火。間違いないだろう。設置型暗示による【催眠】は、効果が発動した途端、その蝋燭の炎で解除されているようだった。


 エルフが町に来てから10日以上は経ったが、間違いなく【催眠】は効いていたはずだ。何故今になってを降りたのか、アートには判らない。

 今日は確か、コンロのをやらせていたと思う。そこで何かあったのだろうか。


「あ! 自由意思がありそうな人!」


 エルフは呑気な調子でアートに駆け寄ってきた。


「キュー!」


 それを追いかけるように、エルフの隣にいたドワーフの中年男性も、奇声を上げながら駆け寄ってきた。

 この男は少し前までソファのだったが、今は、確か……ゴリラのをやらせていたような。

 何故ゴリラが「キュー」と鳴くのか。何故、折角与えられたまっとうしないのか。それとも最近のゴリラは「キュー」と鳴くのか。

 アートの困惑は増すばかりだ。


「【催眠】スキルを解除したのは貴女ですか?」


 アートはエルフにそう尋ねた。


「そうですよ。配達者ギルドの依頼で来たんですけど、ちょっと住民の人に話を聞こうと思いまして。

 なのに誰も状況を把握してないし、異種族に辛辣だし、いつの間にか無言のパントマイマーに戻ってるしで。

 すみませんが、何かわかりますか? 町がこうなった理由とか」


 エルフの言葉に、アートは少し納得した。

 なるほど、彼女には別の場所で与えられた割があり、自分の与えるは必要なかったのだろう、と。

 それはそれとして、折角かけた【催眠】スキルを解除されるのは困るのだが。


「町がこうなった理由は、【催眠】スキルのせいです」


 そう言いながら、アートは可能な限りの手段で目の前のエルフに【催眠】スキルを同時行使した。

 確かにスキルは発動する。相手は催眠状態になる。その直後に、白い炎の周りから効果が解除されていく。


「キュー、キュッキュー!」


 キューキュー鳴いているゴリラの男にも【催眠】の影響は及んでいるはずだが、こちらは何故か効果がない。

 即座に効果が発揮されるはずなのに、明らかに異常だ。試しにの催眠術を開発、行使してみたが、こちらも効いていない。

 スキルの効かない原因が明白なエルフの女と違い、こちらは何が起こっているのか、アートにはまるでわからなかった。


「あー。もしかして今、何かされました?」


 エルフの女は眉根を寄せてそう尋ねる。


 アートは何と答えたものか、咄嗟に言葉に詰まった。

 ちょうどそこへ、正午を告げる教会の鐘が鳴る。

 12度の音が止む前に、アートは意識を失った。




 ***




 次にアートが目を覚ました時、彼がいたのは見慣れない部屋のベッドの上だった。

 見慣れはしないが、見知ってはいる。町にある唯一の宿、その客室だ。

 アートは町を支配する者として、この町のことは一通り把握している。

 窓外は既に夜だが、部屋の中は複数の火の玉で煌々と照らされていた。


「あ。やっと起きましたね」


 ベッドの隣の椅子――木でできた椅子だ――には、エルフの女が腰かけていた。相変わらず鉢巻きで蝋燭を留めている。

 収まり悪く伸ばした長い脚は、椅子の高さが合わないのだろう。

 宿の客の大半は他所から来る異種族なのに、ドワーフ向けに作られたベッドと椅子。実際に異種族が不便そうにしているのを見て、これはこの場に不適なのだろうな、とアートは思った。


「さっき倒れた時、魔力の流れを見てたんですけど、今回の黒幕の人ですよね」


 エルフはあまりに軽い調子で、そんなことを言った。

 魔力の流れを見る、というのはよく判らない。ただ、自分が町の支配者であることは、完全にバレているようだった。


「そうですが。どうして【催眠】を解除したりしたんですか」


 だからアートは開き直って、逆にエルフを糾弾した。


「えっ。だって私も巻き込まれたので……」


 微妙に気まずそうな表情は、アートの逆ギレが成功したのだろう。


「ただ、私個人はもう対策も練ったので、今後何かするならご自由にどうぞ。一応、ガーランド町で起きた事件の原因と、現在の状況はギルドに報告しますけど。そういう仕事なので」


 大問題だ。不都合だ。しかし、とアートは思い出す。

 執務室を埋め尽くし、町全体の【催眠】を解除した白炎を。


 人を焼く火より、人を焼かない火の方が高度な技術を要するのは当然だ。町を覆うような火を出す【火魔法】使いが、多少燃えにくい種族とはいえ、人1人を焼けない理由もない。


 先程から客室の中を漂う火の玉は、アートが身動きをする度に、彼を狙っているかのような動きを見せる。下手に動けば、あれに身を焼かれて死ぬのだろう。

 【催眠】が効かない以上、正面から戦って勝てるはずがないのだ。


「命だけはお助けください。靴を舐めさせていただきますね」


 アートは床に這いつくばり、エルフの靴に舌を伸ばした。


「いや、靴は舐めなくていいです」


 エルフは脚を持ち上げ、アートの舌を回避する。


「命も取りません。今の所、特に私に不都合はないので」

「それは、ありがとうございます」


 まるで信用できない命の保証を受け、アートは形ばかりの礼を返す。


「でも折角なので、幾つか質問に答えてもらえますか?」

「はい、何なりと」


 そして、武力を盾に投げつけられた、実質的な命令に首肯した。



「スキルレベルは?」

「レベル999です」

「どうやってそこまで上げたんです?」

「“先生”に鍛えていただきました。具体的な方法は門外不出とのことで、できれば……」


 1つ目の回答にはうんざりしたような顔で、2つ目の回答には意外そうな顔で、エルフは頷いた。


「その“先生”というのは、何処の誰です?」

「“先生”は……名前は忘れました。人の名前を覚えるのが苦手で。

 住んでいる場所は、海沿いの……町の近くです」


 3つ目の回答に、エルフは苦笑で応じた。


「欲しかった情報が手に入ったような、入らなかったような……町の名前を覚えるのも苦手なんですね」

「はい。自分の名前と、ガーランド町の名前だけは憶えています」

「あ、すみません。今のは質問のつもりじゃなかったんですけど」

「いえ。こちらこそすみません」


 最後に、と前置いて、エルフはアートに尋ねた。


「どうしてこんなことをしたんです?」

「そういう割をいただいたので」

「それは、“先生”に?」

「いえ。【魔王】にです」


 最後の最後で、また妙なのが出てきた。

 エルフは小声で呟き、頭を抱えていた。

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