4-7. 催眠術を試みるエリー
エリーは自分の中の最後の記憶を振り返る。
腹に角煮を乗せて、ドワーフ達の背中で目を覚ます前のことだ。
「山奥の町に手紙を届けに来て……空から遠目に町を見たまでは、覚えてるね」
つまり、そこから先を覚えていないのだ。
「町を囲う壁のように人が立ち並んでいて。教会の鐘が聞こえて。それから?」
奇妙な光景だ、と思った記憶はある。
それに気を取られでも、したのだろうか。
「空を飛ぶ魔物に襲われたか……地上から狙撃されたとか?」
落下した所を、町の人に拾ってもらったのかもしれない。
ただ、高所から落ちたにしては傷や痛みが残っていない。
スキルによる高度な治療を受けたのか、最初から無傷だったか。自分の耐久力の限界を知らないエリーには、その判断も付かない。
しかし、助けた人の腹の上で豚の角煮を作るような相手が、人として信頼できるとも思えない。
室内で集団パントマイムをしているドワーフ達も気になる。
ドワーフの町を目指していたので、ドワーフが大勢いるのに不思議はない。
しかし、先程から何度呼び掛けても返事がない集団パントマイマー達に、エリーは辟易としていた。
最初はこれが噂の異種族嫌悪かと思ったが、流石に反応が無さすぎる。
実は精巧なオブジェだったのかとも思ったが、熱や痛みに反応することもある(※エリーが意図的に傷付けたわけではない。彼らが不運だったのだ)ため、やはり本物のドワーフなのだろう。
エリーは実際にドワーフを目にするのは初めてだったが、この全員が低身長のヒュームだとか、ガタイの良いハーフリングだということもあるまい。魔力の質もエルフやヒューム、ハーフリング、各系統の獣人等、既知の種族とは異なる。
異種族の年齢・性別を識別するのは難しいが、白髪の者は老人のはず。髭が無く、多少小柄なのが幼子だろう。後は何もわからない。
なお「ドワーフは男女で
ともあれ、まずは会話の通じる相手を探そうと、エリーは耳を澄ませて物音を探す。呼吸音、鼓動音……これらは、無言のパントマイマー達の物だ。
室外の廊下から、誰かの近付いて来る足音。これだ。
足音は1人分。エルフは種族的に聴覚に優れているが、専門的に索敵や斥候の技術を学んだ訳でもないので、それ以上の情報はない。
敵地とまでは言わないが、異様な状況に、変な家。
エリーが期待5割、警戒5割の感情で、廊下に続くドアを見つめていると。
「ウホ」
角煮の臭いに惹かれて現れた人影が1つ。
例によってドワーフだったが……言葉を発している。
目覚めてから「熱っ」「ぐえっ」以外に初めて人の言葉を聞いたエリーは、警戒も忘れて喜びに目を輝かせた。
「あ! 会話できそうな人!! すみませーん!」
「ウッホホ、ウホウホ」
「全然会話できなさそうだった」
人の言葉ではなく、ゴリラの言葉であったらしい。
「何なんだろ、この家」
「ウホホ」
「何なのかな、このゴリラ」
「ウホ?」
虚ろな目でウホウホと鳴く成人ドワーフ(声が渋いので恐らく成人男性だ)に、エリーは自分も虚ろな目に染まりつつあったが。
ふと、あることに気付いた。
「あのーすみません、ゴリラさん」
「ウホ?」
「ここはどこですか」
「ウホウホ」
「他に会話のできる人っていませんか」
「ウホホーウホホー」
「ゴリラ」
「ウホ?」
このドワーフは「ゴリラ」と呼べば答えるのだ。
念のため、周囲で固まっている他のドワーフにも「ゴリラ」と呼び掛けてみたが、返事はなかった。
「このゴリラの人は、自分がゴリラだと思い込んでいるのかな?」
「ウホ? ウホ?」
「それに、この虚ろな目」
「ウッホウッホ」
エリーには1つ、心当たりがあった。
催眠術を受けた者の反応に似ているのだ。
エリーの【火魔法】スキルにも、火を使った催眠暗示の魔法が存在する。暗い部屋で小さな炎に集中させることで意識を制御し、暗示をかけて思考を偏らせたり、忘れた記憶を掘り起こしたりする魔法だ。エリー自身は使ったことがないが、その効果は
「これが催眠術による物だとしたら、催眠術で解くことができるはず」
「ウホーイ」
「まずはこの部屋の中の光を魔力に変換して……」
「ウホー!?」
火の1要素である光を効率度外視で無理やり魔力に変換し、室内を暗くする。催眠術は火を使う技術でもあるが、火の本質とは外れる部分も多い。効果を増すには相応の魔力消費が必要で、発生した魔力自体も多少の足しになるだろう。
急に周囲が暗くなったことで慌てるドワーフに、エリーは、なるべく低めた、静かな声で呼び掛けた。
「ゴリラさん、こちらを見てください」
「ウホ?」
「≪
「……ウッ……ホ…………………」
魔法は問題なく効果を
エリーが自前で出した魔力の消費も大きい。「物を燃やす」魔法ではないので、延焼による魔力の回収もできず、何度も繰り返す必要がなかったのは幸いだ。
元々が【催眠】スキルの影響下にあるので、既に催眠術に掛かりやすかったということもあるだろう。
ともあれ、今の内にこのドワーフが受けた催眠術の影響を除かねばならない。
魔法に可能なのは相手を催眠状態に持っていくことまで。そこから先はスキル外のテクニックの領分である。エリーには催眠療法の経験はないので、魔法に付随する知識のみで対応する必要がある。
催眠状態を、別の催眠状態で上書きするのは危険だ。自分がゴリラだと思い込んでいる者に、お前はドワーフだと無理やり思い込ませれば、「自分はゴリラにしてドワーフである」と思い込むようになるのだ。
必要なのは上書きではなく、解除だ。
「ゆっくり、ゆっくり、意識が沈んでいきます」
「……ウ……ホ……」
「意識の底、一番奥深い場所に、誰かの姿が見えますね」
「……ウホ……ウホ……」
「それが貴方の、本当の姿です」
「………ウホ……?」
「そうです。貴方はゴリラではありません。」
「……………………」
「貴方の本当の姿は、何ですか?」
「…………………、
…………………、
………………、
……………………、
……………………キュー」
あっ、これ何か失敗したかな、とエリーは思った。
ゴリラではない。そこまでは上手く行ったはずだ。
問題は、彼の深層心理における自認――あるいは願望――が、何か可愛らしい、マスコット系の動物だったことであった。
キュー。キュー?
キューと鳴くのは何だろう。
アザラシは「オァーッ!」だった気がする。
アライグマは「コカカカカカッ」だったかな。
……イタチか?
「えー、貴方はイタチではありません」
「キュー?」
エリーの初手は外れた。
しかし、イタチ系の動物だという予測は、そう間違ってはいないはずだ。
「貴方はフェレットではありません」
「キュー」
これも不正解のようだ。一口にイタチの仲間と言っても、その種類が多い。
とにかく数打てば当たるの精神で、エリーはドワーフの自認を否定していくことにした。
「貴方はグリソンではありません」
「キュー」
「貴方はミンクでもありません」
「キュー?」
「テンでもありません」
「キューン」
「ラテルでもありません」
「キューキュー」
「クズリでもタイラでもオコジョでもありません」
「キュッキュー」
「ゾリラでもスカンクでもイイヅナでもありません」
「キュイキュイキュー」
催眠状態を維持したまま、虚ろな目でキューキュー鳴くドワーフ。
対するエリーの顔にも、疲労の色が浮かんでいた。
いくら
本当にイタチなのか。しかし、キューと鳴くのはイタチでは?
エリーの脳内を疑念と焦燥が渦巻く。
実際の所、この時点において、このドワーフの自認する己の種族はハクビシンであった。
ハクビシンはイタチ科ではなく、ジャコウネコ科の動物だ。
イタチばかりを考えていては、永遠に辿り着けない答えだったのである。
なお、元も子もない話をすれば――【催眠】の影響を解除するだけであれば、エリーがそうしたように、【火魔法】による浄化の炎で軽く頭を炙れば済む話だ。
しかし、自分が催眠状態にあったことも、浄化の炎で偶然催眠が解けたことも知らないエリーはその事実を知らない。
また有史以来「浄化の炎で催眠状態を解除した事例」が存在しなかったため、精霊の記憶に基づく利用例にも存在しなかった。
つい先程追記されたので、今確認すればお手軽な催眠解除の方法として、レベル60以上の全【火魔法】スキル保有者に共有されている。
「うぅ……これ以上は無理かな……一旦催眠状態を解除しよう。えい」
パチン、とエリーが手を叩けば、「キュイッ!?」とドワーフは目を覚まし、窓から差し込む日光も元に戻る。
「キュー!」
結局は振り出しだ。
無駄な時間と魔力を使って「ウホウホ」が「キュー」に変わったことは、進展とは言えない。
「キュイキュイ!」
「あ、でも何か瞳に輝きが出た気がする」
「キュイー!」
【催眠】スキルの影響により、自分がゴリラだと思い込まされていた状態。
催眠術で心を開放し、自分がハクビシンだと確信した状態。
目の輝きが異なるのは道理である。
「良かった。全くの無駄ではなかったんだね」
エリーは「全くの無駄」が「ほぼ完全に無駄」へランクアップしたことに、ほんの僅かながら、自分の心を救われた気がした。
「まあ、これはこれとして。【火魔法】で催眠を解くための別の方法を考えてみよう……あれ、何か新しい情報が増えてるね」
「キュー?」
と。
身の内深くに存在する【火魔法】スキル。
そのスキルに付随する、世界の記憶に、あるいは精霊の記憶に刻まれた、これまで生まれた全ての【火魔法】の用法を検索し。
つい先程まで存在しなかったはずの知識――「浄化の炎で催眠がお手軽に解除できる」という事実を知り。
町全体を覆う非殺傷性の浄化の炎を燃え上がらせ、【催眠】スキルの影響下にある全ての人々を即時解放し。
それでも何故か、エリー自身が掛け直した、このドワーフが自身をハクビシンだと信じ込むという催眠だけが解除されなかった時点で。
「ほぼ完全に無駄」が「完全な裏目」に急降下したことを、エリーは理解し、後悔した。
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